第一話 始まりのカンタービレ (3)
人のいない静かな廊下を、部室棟へ向かって歩く。吹奏楽部の演奏が、遠くから響くように音符をこぼしていた。
無言……。何か喋った方がいいのだろうか、とも思ったが、無理に会話をして失敗するのも嫌なので黙っておこう。
と、思った矢先に口を開いたのは彼女の方だった。
「そうえば、どうして合唱部は悪い噂しか聞かないの?不良がたくさんいたりするから?」
「いや、そういう悪い噂っていうより……なんか、変人の集まり?というか、ネジが外れた集団というか……まぁおれもあんまわかんないけどね」
なるほどね、と聞いておいておきながらもあまり興味はなさそうだ。まぁ、厄介ごとに巻き込まれるのは面倒だから、彼女を部室まで送り届けたらさっさと退散しよう。
「あ、ここだよ」
物置きのようになっている踊り場3枚分程度の四階の奥に、校舎唯一の引き戸の扉がある。GASSHO!とかかれた可愛らしいプレートが、少し傾いていた。
わぁ、と彼女の目がまた輝く。すると、おれの手を取り「本当にありがとう!」と言うと、また大きな瞳が可愛らしく弧を描いた。
ああ……。おれも一緒にこのまま入部してしまおうか……なんて、あってはならない考えがよぎったその時。
「や、やめてくださいですぅぅぅぅ!!」
突然、バン!と大きな音を立てて扉が開き、涙目になった女の子が飛び出してきた。かと思ったその直後。
「ぐはっ!」
何かから逃げるように一心不乱になって走ってきた女の子は、俺に気付かず突進。彼女の額が鼻にぶつかり、い、いってええええええ!!!!まじいてええええ!!え、ちょっ、いきなり何!?
いきなりすぎる出来事に頭が回らなかった。テンパるおれの前には、ああ、すいません!と、慌てて怯えた瞳でおれを見上げる女の子。
「だ、大丈夫?」
隣にいた彼女はそうおれを気遣ってくれたあと、どうしたの?と目の前の女の子にしゃがみこんで様子を訪ねている。そして、女の子が涙目になりながらも口を開こうとしたその時。またもや、扉が大きな音を立てて開いた。
ああ、どうりで扉がガタガタしているわけだ……。なんて思う余裕もなく、現れたのはまたもや女の子。
今度は2人だ。
ムチと縄を持ち(実際持っているのは猫耳とヒョウ柄の着ぐるみだが)、逃げられると思うなよ、とでも思わせるかのようなオーラを放ちながら扉の前で辺りを見回している。
「ねこちゃん、逃げられるとでも思った?」
「ありすちゃん、いくでー!」
そういい、2人が駆け出そうとした瞬間。ねこちゃん、と呼ばれた女の子は、ひぃぃぃぃと腕で頭を覆い伏せる。……が。
「はーい、その辺にしときなさーい」
ひょい、と2人の体が中に浮く。
「わっ、ちょっ、離せおっさん!」
「まだねこちゃん実写計画は終わってません…!」
逃れようとバタバタと暴れるが、手足が空を切り無意味と成す。両手で首根っこを掴んでいる男の人は、2人を部室の中に戻すと扉を閉め、こちらに歩み寄った。あご髭をはやし、たばこをくゆらしているがまだ若い。
「さ、ねこちゃんもおいで、戻る……ん?」
おれと彼女に気付いたのか。こちらに視線を向ける。たばこが少し上下した。
「あれ、転校生の子じゃないか。隣の君は……2組の子だね。どうした、2人してこんなとこで」
……おそらく、この学校の教師だろう。人数が多すぎて、担当教科以外の人はあまり知らないが。
「あ、初めまして、水戸美里と申します」
隣にいる彼女は礼儀正しくお辞儀をし、名乗る。すると先生も、一瞬驚いたような表情を浮かべたがすぐに頬をゆるめた。
「これはこれはご丁寧に。ラガー、と申します。何分ハーフなものでね。合唱部の顧問をやっております」
くたくたのシャツの上に羽織ったパーカーのポケットから、くしゃ、と皺になった名刺を取り出す。それは俺にも手渡された。
「ありがとうございます。実は私、合唱部に入部を希望していまして……」
「おお、ほんとに?それは嬉しいね。あ、もしかして彼も?」
「あ、いや俺は……」
「まぁいいや、とりあえず部室へ案内するよ。お茶でも出すから、君もおいで」
「い、いえ、俺はここで!」
な、とんでもない。噂通り、ここの部活はどう見てもまともな部活ではなさそうだ。このまま部室へ連れられてそのまま入部……なんてことは何があっても避けなければならない。が……。
「ラガー先生もそう言ってるし、明日無くんも付き合ってくれないかな?やっぱり、一人じゃなんだか心細くって……」
困ったような笑みを浮かべながら、彼女は俺にそう問いかける。こんな美少女に頼まれごとをされて、誰がノーと言えるだろう。否、答えはイエスだ。
「そうだな、わかったよ」
「即答だなおい。青春かー」
ラガー先生はそう冷やかすと、ねこちゃんと呼ばれた女の子を連れ先に扉の中へ姿を消す。
いこう、と彼女の天使の笑みをむけられれば、おれたちも扉の向こうへと続いて行った。




