第七話 「友達がいないんじゃなくて」
日本概念省・入国管理局。
局長室。
「平たく言っちまえば、概念省ってのは異世界の存在が広まらないようにあるもんだと言ってもいい」
部屋の奥、窓際に置かれた机。
男が机の上に足を投げ出す形で座っている。
スーツを着崩した黒髪の男で、鋭い目つきが特徴的だ。
机の上には『局長 賀持諒助』と書かれた札が置いてある。
「他の世界と大きく異なる形を持つこの世界の、その在り様を守ろうと、そういう理念で作られた組織なわけだ。……分かるか、一妃?」
そして、男――賀持の向かい側。
局長室のど真ん中の床に、正座をしている少女がいる。
銀髪紅眼の少女――園崎一妃は、少しばかり不満げな表情を浮かべながら、それでもぴしっと正座を続けている。
背筋をぴんと伸ばし、身体が揺れたりもしない。まるで何かで固定されているかのような、この上なく完成された正座の姿勢だった。
「実際に動くことが一番多いのは俺たち入国管理局だが、それにしたって概念術を使う機会は極力少なくしているし、事件に巻き込まれた一般人に対しても色々と措置をしているわけ。分かる?
概念省って組織はそれ自体が日本という国家の最重要機密であり、それ故に非公式機関なの。知られちゃまずいことばっかなわけよ。故に職員には徹底した情報管理が求められる。
今回のお前の行動は、完全にやり過ぎ、だ」
「……ごめんなさい」
一妃は頭を下げてそう言ったが、しかし納得をしたようには見えない。
それなりの理由があったことが窺い知れる。
「一応聞いとくか、一妃。何故あそこで力を?」
「そうしないといけないと思ったから。勲弥は違うって言ったけど、やっぱり吉川天満は、私たちの敵なんじゃないかって思った」
「私たち、ね」
つまりは、園崎一妃と、各務勲弥。
『全一世界』を継ぐ者たちだ。
園崎一妃という少女は、『全一世界』に牙を剥く人間に対して、容赦が無い。彼女を完全に制御できるのは、勲弥くらいのものだろう。
否――勲弥ですら制御しきれないことがあると、今回で分かった。勲弥に危険が迫れば、彼女は誰にも止められないのだ。
そして、園崎一妃が本気を出した時、それに立ち向かえる概念術師が、どれほどいることか。
「……吉川天満についてはこっちでも調査をしてる。何にせよ、お前の先走りには違いねえよ。
言ってもしょうがないかもしれないが、お前はもうちょっと落ち着き持て。今回にしたって、目撃者がいなくてラッキーだったんだからな」
誰かに見られていたら、もっと面倒な事態になっていたことは疑いようが無い。
「とにかく以後気をつけるように……。というか、俺の仕事を増やすな頼むから」
男は、大きく溜息をつく。
園崎一妃は、とにかく子供だ。常識知らずもいいところだし、学ぶべきことは山ほどある。
厄介なのは、そんな子供が、強大すぎる力を有しているところだ。
「……分かった。ごめんなさい、かもちー」
幸い、一妃の性格は悪くない。言って聞かせれば反省できるのは良いことだ。頭もいいし、教えればその分吸収していく。
「結構。じきにお迎えが来るから、そしたら行ってよろしい」
言った直後、局長室のドアをノックする音が響く。
恐らくは『迎え』だろう。賀持は一妃に言って、ドアを開けさせた。
予想通り。入ってきたのは一妃の保護者――各務勲弥だった。
「局長、一妃を迎えに来た」
「知ってるよ。お説教は終わったからさっさと連れてけ」
「いや、僕もあんたに聞きたいことがあるんだ」
そう言って勲弥は、机の前まで歩いてくる。
「美冴さんが吉川連れてどっか行ったんだけど。『男子禁制ね』って笑顔で言われた」
「そりゃまた。でもまあ、お前よか美冴ちゃんの方が色々と話は早いでしょ」
「吉川は、もう元の日常には戻れない。そういう意味か」
吉川天満には、世界にまつわる様々な説明がなされるはずだ。
これは滅多にないケースだ。この世界の人間が異民絡みの犯罪に巻き込まれた場合、大抵の場合は記憶処理を施す。異世界の存在、概念術のテクノロジーの流入・拡散を防止するためだ。
とは言え、全ての人間がそうではない。元の日常に回帰することが難しい場合などは、そのまま何らかの形で概念省の管理下に入る。
勲弥はまさにそのケースに当てはまる。彼はつい一年ほど前まで一般人だったのだが、ある事件をきっかけに、入国管理局に入り、実働として働いている。
吉川天満もまた、そういったレアケースなのだ。
「勲弥。勘違いしているようだから言っておくけど、彼女の場合はお前とは違う。
あとから力を手に入れたお前と違って、吉川天満は最初から力を持ってる。彼女のの『元の日常』ってのは、お前が言うのとは意味が違ってくるぜ」
「じゃあ、吉川は……」
「簡易検査の結果、何らかの能力を秘めていることは確定的だ。それが先天的なものなのか、植えつけられたものなのかは分からないけどな。もうちょい調べる必要はあるだろ」
「吉川の命が狙われたのも、そういう事情があったからなのか……」
『狩人』ロベルト・ブラックによる吉川天満襲撃。
彼女の持つ力を疎んでのことなのは推測に難くない。問題なのは、それが誰の意図なのか、だ。
ロベルト・ブラックの私怨なのか。
或いは、その背後にいる『誰か』の意思なのか。
前者ならば話は単純だ。ロベルト・ブラックを捕まえて事情聴取すれば大体は片付く。
だが、後者であった場合。この事件は一筋縄ではいかないものとなるだろう。
「……何にせよ捜査は始まってる。多分だけど、勲弥、お前は一妃と一緒に、吉川天満の護衛に当たってもらうことになるな」
「言われなくても。むしろ僕の方からそう進言しようと思ったくらいだ」
「言うねえ。一妃の話じゃ、殺されそうになったらしいじゃん、お前。だのに、何でまた?」
賀持はからかうように笑ってみせる。
勲弥は結構なお人よしだ。時としてそれが仇となることもなりうるが、彼の最大の長所であることには違いない。一年前の事件で、賀持は彼のそういった性質を実感している。
危険なのは。
最大の長所が最大の短所に転じうる、というところなのだが――。
「何か、放っておけないし。それに……」
「それに?」
「友達がいないというところに親近感を感じます」
「嫌な類友だなオイ……」
各務勲弥は友達が少ない。
ルックスも性格も悪くない。何か他人を遠ざけてしまう悪因を持つでもないのに、何故か彼は友達が全然いないらしい。
聞くところによれば、学校では一妃と、あとは幼馴染の女子としか話さないそうだ。
吉川天満は、誰とも話さず、孤独な高校生活を営んでいるそうだが、そちらにはまた別の事情がありそうである。
と、そこで、一妃が口を挟んでくる。
「かもちー、勲弥は友達がいないんじゃなくて、作らないだけなんだよ。勲弥が自分で言ってた。友人は量じゃなく質だって」
あくまで一妃に他意はない。それくらいは賀持にも分かる。
だが現実、勲弥は気まずそうな表情をして、滝のような汗を流していた。
「ちょ、一妃――」
「勲弥は休み時間はいつも一人でいるんだけど、それはうるさいのが苦手なだけなんだよ。
あと、グループ活動をする時とかは暁美以外に声をかけてくれる人がいないんだけど、それは勲弥が一人でいるのが気楽だからなの。勲弥は『一匹狼』なんだよ」
「ほーお」
賀持はニヤニヤ笑みを浮かべながら、焦燥の表情を浮かべる勲弥を見やる。
ぶっちゃけ、面白くて仕方が無い。
「何だよ勲弥、随分と良い台詞吐くじゃねえの」
賀持がからかうと、勲弥はばつの悪そうな顔で反駁する。
「い、いいだろ別にっ。友達いなくても困ることなんか無いんだし。それに……」
勲弥は一旦言葉を切った。
表情が真剣なものになったのを見て、賀持はニヤニヤ笑いを止める。
「……僕はいつ死ぬか分からないじゃないか。だから……」
「お前が死んだ時、悲しむ人間は少ない方がいいってか」
「…………」
勲弥は何も言わない。それを見て、賀持は大きく溜息を吐き出した。
途方も無いレベルのお人よしがいたものである。
「そういうモンこそ量じゃなくて質だと、俺は思うけど?」
「……それは、どういう」
「人数の話じゃねえ、ってことだよ。お前がぼっちだろうがそうでなかろうが、お前が死ねば誰かが悲しむのは同じだ。数字に意味はねえよ」
勲弥には家族もいる。少ないかもしれないが友人もいる。そして仲間がいる。
勲弥が死ねば悲しむ人間は、いるのだ。
流れる涙が多かろうが少なかろうが。
人の死の価値は同等だ。
「ったく。下らねえこと考えやがって。ガキは後先考えずやんちゃしてりゃいいんだよ」
「そういうわけには……」
「うるせえ。お前が変な遠慮をしたところで喜ぶ人間はいねえよ。お前のそれは自己満足に過ぎない」
「っ……」
勲弥は押し黙る。
彼自身も分かっているのだろう。自分の言っていることがどうしようもなく欺瞞であると。
「話は簡単だろうが。お前が死ななきゃそれでいい。いつ死ぬかも分からない、なんて年寄りの考えることだ。分かったか? 分かったらさっさと出てけ。俺は忙しい」
「……邪魔した」
勲弥は一妃を連れて、局長室を出て行った。
少しばかり思いつめたような表情をしていたが、大丈夫だろうか。
……まあ、俺が心配するようなことでもないけど。
大いに悩めばいいのだ、と思ってしまうのは年寄りくさいかもしれない。
……案外、勲弥と吉川天満は似た者同士なのかもな。
吉川天満もまた、孤独を自ら望んでいる節があるようだ。
それは、彼女がその身に宿した『力』と関係があるのだろうか。
他人を遠ざけ、一人でいなければならないほどに、その『力』は厄介だということか。
「推測しか出来ねえ、か」
吐息。
とにかく今は、情報が必要だ。
何となく、賀持は感じていた。この事件がただならぬ事態に発展しそうだという、予感を。
或いは――悪寒を。
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