第十一話 「これが青春というものなのかしら」
金曜日。
それは、天満が園崎一妃と揉め事を起こし、概念省に連れて行かれた次の日だった。
吉川天満は、その日もいつも通りに登校した。
だが、いつもと違うことが一つだけあった。
昼食を、勲弥と一緒に取ることになったのだ。
いつも昼休みになると、天満は適当な場所を見つけて一人で弁当を食べている。教室にいると騒々しいので、大概裏庭などの静かな場所だ。
今日もそうしようと教室を出ようと思ったら、各務勲弥に出くわした。
「あ、吉川、丁度良かった。もしよければ、一緒に昼飯食べないか」
「え、えっ……!?」
驚天動地。
吉川天満の人生において、他人から昼食に誘われるという事態は生まれて初めてだった。
……か、各務君とお昼ご飯っ!?
天満は今までに無いほどに胸が高鳴っているのを自覚する。
だが、
「その、一妃も一緒なんだけど、構わないかな」
現実には園崎一妃も交えて三人での昼食だった。
……私が馬鹿みたいじゃない。
落胆したことは言うまでもない。とは言え一人で勝手に舞い上がって期待していただけなので、お門違いであることも確かだった。
昼食は、中庭で取った。芝生の上に腰掛けて、誰かと一緒に昼食を食べる……それもまた天満にとっては初めての体験だった。
……これが青春というものなのかしら。
芝生に座った天満は、しみじみと感じ入ってしまう。
誰かと共に在ることを放棄した天満にとって、青春というのは決して得られぬものだった。
友達と一緒に、ご飯を食べたり、映画を観に行ったりするということ。
きっとそれは、多くの人間にとって当たり前のようにあるものなのだろう。そして自分には決して得られぬものなのだと、天満は思っていた。
……結局、私は悲劇のヒロインを気取って自分の殻に閉じこもっていただけなのかも……。
そう思うと、無性にこの間までの自分が恥ずかしくなってくる。とは言え、自分が間違った選択をしていたとも思わない。
独りでいる限りは、他人を傷つけずに済むのだ。
自分を除いては。
天満にとっては、思っても見なかったことだった。或いは、気づいていながらも無視していただけなのか。
……自己犠牲なんて柄じゃないんだけどね。
「さて」
隣に腰掛けた勲弥が、おほんと咳払いをしてから言った。
ちなみに芝生には、勲弥を天満と一妃が挟む形で並んで座っている。
「今回集まってもらったのはさ、まあ訳があるわけでな」
「訳?」
天満は首を傾げる。
単に昼食に誘ってくれたわけではない、ということなのか。
少し落胆している自分がいることに、天満は驚きを得た。
「吉川、というわけでちょっと聞いてやってくれないか。こいつの話」
そう言って勲弥は立ち上がると、一歩後ろに下がる。
すると、天満と一妃が対面する形になった。
……う。
天満にとって、園崎一妃は軽いトラウマにも似た存在だ。
元はと言えば自分が勲弥の『運』を奪い取り、彼に『警告』をしたことが原因でで彼女に敵とみなされてしまったわけだが、それにしても園崎一妃という存在が、天満には怖かった。
「ほら、一妃」
「…………」
銀髪紅眼の少女は、細く形のよい眉を寄せ、唇をきっと結んでいる。
イタズラをした子供が親に見つかって叱られている時のような、そんな雰囲気だった。
勲弥に促され、一妃はやがて天満に目線を合わせてきた。
「こ、この間は、すいません、でしたっ」
ぺこりと。
頭を、下げてきた。
「……え、あ」
この間のことか、とすぐに分かった。
同時に、勲弥の意図も理解できた。
和解の場なのだ、ここは。
勲弥はこの昼食の場で、天満と一妃の間にあるわだかまりを解消しようとしている。
そのことが分かれば、天満が取るべき対応は一つだった。
「……私も、この間はごめんなさい。あなたの大切な人を……傷つけようとして」
一妃がどれだけ勲弥のことを大事に思っているかは、天満にも何となく分かる。
勲弥に敵意を向けた自分を、一妃が許さないと思ったことも自然な反応だ。
「本当にごめんなさい」
天満は、誠心誠意、頭を下げた。
そうするべきだと思ったからだ。
「……これで、八方丸く収まった、よな?」
勲弥は一妃と天満の肩に手を置いてはにかんだ。
実際、そこまで単純な問題ではないような気もするが、少なくとも天満には一妃を糾弾する意図など毛頭ない。
一妃がどう思っているかは、分からないが。
「……私は、納得してない。あなたが、勲弥の敵なら、私はあなたを許さないから」
「っ……」
「でも」
紅色の眼光が、その鋭さをやや和らげた。
「あなたが勲弥の敵じゃないなら、私はあなたの敵にならない。約束する」
そう言って一妃は、両手で天満の手をぎゅっと握る。
その握力自体はてんで大したものではなかったが、振りほどこうとしても決して出来ないような力強さを、彼女の体温と共に感じた。
……ああ、この子もやっぱり人間だ。
握られた手に感じる温もりは、紛れも無く生きた人間のものである。
心のどこかで天満は、やはり園崎一妃を、人外の何かとして恐れていたのだろう。
「……約束するわ。私は各務君の敵じゃない。私は――各務君の友達よ」
少し恥ずかしかったが、天満は言った。
各務勲弥は、吉川天満にとって『友達』であると。
天満がずっと拒絶してきたもの。遠ざけてきたもの。
それを得たのだと。
「……勲弥、勲弥は、吉川天満と、友達?」
「もちろん」
はっきりと勲弥が頷いてくれたことが、天満にとっては何より嬉しかった。
「……じゃあ、友達。私にとっても」
一妃はそう言うと、握るのを止めて、代わりに片手を差し出してきた。
仲直りの握手、ということなのだろう。
天満は口元を緩め、その手を握り返してきた。
「よろしくね、園崎一妃さん」
「よろしく。一妃でいい」
「そう、じゃあ私のことも天満でいいわ。ああ、出来れば各務君もそう呼んでくれると嬉しいわ」
天満の傍らに立つ勲弥が、少し驚いたように自分を指差した。
「苗字で呼ばれるの、あまり好きじゃないの。だから、下の名前で呼んでくれるほうが嬉しいかな」
「……そっか。分かった、吉川……じゃなくて、天満」
「うん」
天満。
自分の、名前。
そういう風に呼ばれるのは、一体どれだけ久しぶりなことだっただろうか。
……仲直りできたみたいで、良かったな。
勲弥は、内心で安堵を得た。
吉川天満を、園崎一妃と和解させること。それは勲弥にとっては最優先課題だった。
これから先、天満を護衛していく上で、一妃の助力は必須だ。無論、勲弥だけで片付けることが出来ればそれに越したことは無いのだが、賀持や美冴の忠告もあり、一妃の力も当てにしなくてはならない。
今回の事件はそれだけの重要性を秘めている、というのは、概念省・入国管理局の総意でもあった。
それは、今朝方勲弥が知らされたあるニュースに起因している。
……ロベルト・ブラックが、殺された。
今朝、美冴から電話でそのニュースを聞き、勲弥は少なからず驚いた。
概念術師として対峙し命をかけた戦いを演じたからこそ分かる。ロベルト・ブラックは紛れもない強敵だった。
その彼が、殺されたと言うのだ。
一体誰の仕業なのかは分からないし、どういう経緯があったのかも不明だ。
だが局長の賀持はこれを重く見て、警戒度を引き上げた。その上で勲弥に与えられた命令は、『吉川天満から目を離すな』ということだった。
彼女の護衛。
今回、天満と昼食を取っているのは、そういう意味も含んでのことだ。
出来る限り、彼女と一緒にいる方がいい。いつ何時、吉川天満を狙う刺客が現れるか分からないのだから。
ロベルト・ブラックは死んだが、それで吉川天満が危険から解放された、などという考えは楽観的に過ぎるというものだった。
裏がいる。
何らかの理由で、吉川天満の命を狙う誰かが。
ロベルト・ブラックはあくまで氷山の一角に過ぎない。
……学校にまで襲撃してくるとは、思えないけど。
用心するに越したことはないだろう。
「……勲弥。お昼食べよ」
「ん。ああ、そうだな」
どんな時でも食事は大事だ。そういうわけで勲弥も、中庭でのランチを堪能することにする。
のどかな昼下がり。空は雲ひとつ無い快晴だし、時折吹くそよ風が頬を撫でるのはとても気持ちいい。
中庭を見回すと芝生や木々が景色を緑に彩っている。自分たち以外にも昼食を取ったり談笑する生徒たちの姿が見受けられるが、騒々しさはどこにもない。
平穏が、そこにはあった。
それは、勲弥が守ろうと決意したものでもある。
……それにしても、やたらと周囲の視線が集中しているような。
離れた場所にいる集団や、過ぎ行く人々の視線が、勲弥たちに向いている気がする。
よく考えればそれも当然だ。勲弥の隣にいる二人は、学校でも屈指のルックスの持ち主で有名である。
右にいるのは園崎一妃。銀髪紅眼という非常に目立つ色彩に加え、浮世離れした美貌の持ち主ということで有名だ。但し、対人コミュニケーション能力に若干の難アリ、という註釈が加わるのだが。
そして左にいるのは吉川天満。飾り気は全くないのにも関わらず、誰もが「綺麗だ」という感想を抱くような美人だ。但し、関わると不幸になる、という噂が纏わり着いているのだが。
……要するに、目立つ二人に囲まれている僕はもっと目立ってるってわけね。
納得した。
この状況はいわゆる「両手に花」というやつだ。
だとすれば喜ぶべきなのだろう。
「……各務君、何ニヤニヤしているの?」
隣で天満が怪訝そうな表情を浮かべていた。
勲弥はやや誇らしげに胸を張る。
「僕は今間違いなくリア充だ」
「……リア充。そうね、確かに……。中庭で異性の友達とランチだなんて、リア充極まる行いだわ」
天満も満足げな笑みを浮かべる。
「分かるか、天満」
「ええ、分かるわ各務君」
勲弥は天満とがっちり握手を交わした。
同じ友達がいない人間同士、通じ合うものがあったということだ。
「『りあじゅう』って、何? 鰻重の仲間とかかな」
一人、一妃は訳が分からず、首をひねるのみだった。