第7話 ドーントレス、その名は空母殺し
「お姉さま」
信濃と並んで幾たびも戦場を潜り抜けてきた兵器少女――駆逐艦グローウォームが、背を向けたまま速度を落とし、するりと身を寄せてきた。
そのまま、ぴたりと船速を合わせて並走する。
規律を重んじる英国を離れ、なぜかこの娘は信濃やコメットたちと行動を共にしている。
そればかりか、なぜか信濃のことを“お姉さま”などと呼ぶのだ。
信濃にはまるで心当たりがなかったが、その理由をあえて聞く機会も、これまでなかった。
「そういえば、あなたはどうして私のことを“お姉さま”などと呼ぶの?」
ちょうどいいと思って、信濃は何気ない口調で尋ねた。
戦闘前の張り詰めた空気に呑まれまいとするように、コメットがわずかに身を乗り出す。
「あ、そ、それ……私も、ちょっと気になってました」
「………いえ、まぁ特に理由などないのですが…」
一瞬の逡巡ののち、
「強いて言うなら“様式美”ですわね」
グローウォームの返答に、信濃は目をしばたたかせた。
あまりに拍子抜けしたその一言に、呆れるべきか、笑うべきか、一瞬だけ判断に迷う。
「……なによ、それ」
「そんなことより、お姉さま、わたくし、この時間が一番苦手なのですわ。
駆逐艦は特に。会敵するまでは、何もすることがないんですもの」
「あなたってこういう時、まるで緊張感がないのね」
「だって、焦っても仕方ありませんもの――体をこわばらせる方が、よほど余計な力を使いますわ」
「う、うらやましいです!
まだ私は慣れなくて…」
まるで深夜のコンビニに、アイスを買いに行く時のような、とりとめもない生産性のない会話。
海は暗い鈍色に沈み、月だけがその上に細い道を引いていた。都市空母を離れた今、この海域には、喧騒も人の気配もない。ただ風と波と、艦体を伝う振動だけが、絶えず足元から這い上がってくる。
そしてこの静けさが長く続かないことを、皆理解していた。
先に沈黙したのは信濃だった。
言葉が切れたあとのわずかな空白に、耳慣れた電子音が鋭く差し込む。
『――前方警戒機より更新。敵艦隊、なお追随中。距離二四二』
信濃が事前に射出した早期警戒機からの情報が、兵器少女の高度な戦術データリンクによって、ただちに三人の間で共有される。
空気が変わった――信濃の紅玉色の瞳が窄められ、わずかに瞳孔が開く。
ほんの数秒前までそこにあった気の抜けたやり取りが、潮にさらわれる泡のように消えていった。
言葉も交わさず、グローウォームの軌道がすっと外へふくらむ――迎撃陣形。敵の航空戦力を打倒するための構え。
信濃はグローウォームの、駆逐艦として数多の戦場を越えてきた軍人としての経験を頼りにしていた。出たがりに見えて、その実、連携を崩すような真似はしない。軽口を叩きながら、いちばん敵が嫌な場所にしっかりと陣取っている。
「航空運用区画、開放」――
信濃の内部で、巨大な機構が目を覚ます。
「貴女はまだよ、くす」
肩ごしに先ほど先走りかけたコメットをからかう――信濃がすらりと横に伸ばした、白く華奢な手の甲。その小さな面積の上に収まるように、コメットはお行儀よく両手足をそろえて身をかがめている――まるで、しつけられた猛禽類のように。
「わ、わかってますよっ」
コメットは、からかわれたことに気づいて、ばつが悪そうに顔を赤らめた。
信濃は前を見たまま、グローウォームの艦影を視界の端で追う。
少し前。
少し外。
波の上に落ちたその位置取りだけで、あの駆逐艦が何を考えているかは分かる。敵がこちらを見つけた時、最初に視界に入るのは、恐らく彼女だ。真正面ではない。かといって無視もできない。そういうところに、あの娘は自然に収まっている。
『――第一迎撃隊、発艦準備完了』
信濃の頭の中に声が静かに響く。
「行って」
そう言うや否や、彼女の背から無数の光子が噴き出し、飛行機のシルエットを模っていく――丁度陰陽師の操る式神か何かのように。
信濃の周囲を旋回し、隊列を整えると、やがて天に昇っていった。
機体群はそのまま高度を上げ、淡く光る小さな影が、月の陰に飲まれていく。
この攻撃が気休めにしかならないことは、彼女自身がいちばんよく理解していた。
四十七機――それが、空母としての彼女に許された正規の艦載機数。
空母としては、あまりにも少ない。エセックス級と比べれば半分にも届かないその数字は、打撃力だけでなく、防空においても決定的な不足を意味していた。
信濃はふと後ろを振り返る――はるか後方には護衛対象である都市空母。
都市空母は一刻も早い離脱を優先しながら、進路予測を許さぬため、一定の間隔で針路を変えジグザグに航行しているはず――ならばこそ時間が必要である。
(千早は残してある…
あの子は、ああ見えて、どんな局面にも器用に対応してくれる…)
今回は戦う術がないからと、信濃はただ単純に艦に残してきたわけではない。
実際、敵空母兵器少女の遠隔攻撃くらいなら、何度かは単騎で耐えきってくれる。
ふと、グローウォームが肩越しにわずかに振り返った。
「来ますわ」
予感――理屈などではない。
それは歴戦の中で磨かれた、言語化しえぬグローウォームの“野生の勘”とも言い換えてもいい――直後、
『――前方警戒機より。敵空母甲板、活動増大』
『発艦準備行動を多数確認』
それは見事に的中――こちらに呼応するように敵が動きだした。
「あっはは、良いわぁ、あなたのそういうところ。
ほんとに頼りにしてる」
所作からは想像できない、らしくない獣じみた彼女の本性を、信濃はとても好ましく思っていた。
「あら、お褒めにあずかり光栄ですわ、お姉さま」
それを知ってか知らずか、グローウォームは涼しい表情をつくり、あえて優雅に答える。
急速に緊張度を高めていく戦場の空気。
先ほどまでの名残にと二人は軽口を叩きあう。
データリンクが次々に更新され、相手の動きが慌ただしくなる――敵も臨戦態勢だということだ。
見えない空の向こうで、相手もまたこちらを見つめている――今にも先発が飛び出してくるだろう。
『――敵航空隊、発進を確認』
『数、四』
敵航空戦力は四。
兵器少女同士の戦闘においては大隊に迫る編成規模だ。一気に押し寄せ、勝負を決める気だろう。
『――機種照合、開始』
『照合更新』
『マスタング』
『ヘルキャット』
『サンダーボルト』
『ドーントレス』
報告が一つずつ落ちるたび、空の向こうに形が生まれていく。
「ドーントレス…」
信濃は静かにその名を復唱し、ほんの一瞬だけ何かを考えるように目を伏せた。
「ご存じの娘なのですの?
確かヨーロッパ戦線で、名を馳せた兵器少女だったと記憶しておりますが…」
「いいえ、ただ…
――少しうわさを聞いたことがあるの」
怖れ知らずの、空母殺し。
それは極東でしばしば囁かれる、彼女の通り名。
急直下爆撃によって、何隻もの空母を海の底に沈めてきた、太平洋の隼。
――都市空母にとって、最も危険な、何を置いても仕留めなければならない相手よ。
ぴんと張り詰めた信濃の言葉に、グローウォームとコメットは確かな意志で静かに頷く。
「まぁ、雷撃機がいないだけ、まだマシかしら…」
マスタング。
ヘルキャット。
サンダーボルト。
ドーントレス。
月光に白く裂かれた夜の空で、空戦の幕が今、切って落とされようとしていた。




