第6話 出撃
――格納庫ブロック(ハンガー)
高速エレベーターが、振動とともに下降する。
扉が開いた瞬間、轟音が押し寄せた。
広い。
とにかく広い。
天井は高く、無数の照明が、無機質なグレーの兵器たちを不気味なほど白く照らし出していた。
整備員たちが走り回り、機材が移動し、金属音が絶え間なく重なり合う。
空気は熱と油の臭い、そして張り詰めた緊張で満ちていた。
ここが――出撃前の最前線。
「気を付けてね。
大人の人の言うことをちゃんと聞いて、ケガしないようにね!」
これから戦場に出ていくのは自分のくせに。そんな心配を、満面の笑みでアンジュに向けてくる――数時間前、意識も記憶も曖昧だったアンジュに最初に向けてくれた、あの笑顔のままで。
コメットは目線を落とすと、アンジュの身なりを気遣うように、ポンポンと肩や袖口を払い、襟を整えた――まるで姉か、親のように。
「……うん」
アンジュは小さく頷く。
本当は何か言いたかった。止めるでもなく、送り出すでもなく、もっと別の何かを。
けれど、それが何なのか、自分でも分からなかった。
信濃が、グローウォームが、千早が、それぞれ持ち場へ向かっていく。
――その背中を見ながら、アンジュはあの時のやり取りを思い出していた。
――……その子も、出撃させるのか?
艦長の静かな問い。
責める響きはなかった。ただ、戦場に立つ者として避けて通れない確認だけが、そこにあった。
「いいえ」
沈黙もおかず、信濃が答えた。
「アンジュちゃんは出さない」
迷いのない声。
――出ない、ではなく、出さない。
それは、アンジュの意志ではなく、わたしの意志で戦場に立たせないのだ、という優しく強い意志表示。
ほんの一拍。
「了解した」
艦長はただ頷いた。
責めも疑問も気遣いすらない。それがまるで当たり前のことであるかのような、静かな応答だった。
それだけだった。
誰も反対しなかった。
信濃も、グローウォームも、千早も。
当然のことのように受け入れ、短く視線を交わす。
信濃はアンジュに歩み寄り、真剣な眼差しで見つめると――
「むぎゅーっ!!」
「ふがっ!!」
突然、その豊満な胸に抱きすくめた。
やがて満足したようにアンジュを腕から解放すると、信濃はアンジュの背を軽く押す。
「お願いできますか」
一瞬の間もなく――
「無論だ」
艦長が答えた。
「……ありがとうございます」
その迷いのない返答に、信濃はほんの一瞬だけ目を見開き、それから打って変わって、たおやかな所作で、深々と首を垂れた。
その所作には、長く身に染みついた教養を思わせるような、格調高い気品があった。
艦長は肩をすくめ、おどけるように言う。
「なに、我々は――我が国の軍隊は、国民の生命及び財産を守ることを任務としている。
――むしろ本懐である」
似合わぬほど気障に言い切ったが、しかし――
「艦長、アンジュさんは、恐らくこの国の方ではありませんわよ」
直後、グローウォームの一言で、空気が凍った。
それは「なにを格好をつけているのですか、鳥肌が立ちますわ」と、まるで見咎めるような、冷めた一言。
……そこではない。そして今ではない。
誰もがグローウォームがその容姿に反して無粋であることだけを、確かに認識したのだった。
「グロさん……」
「グロやん、ほんま……最低や……」
「な、なんですの? わたくしが悪いとでもいいますの!?」
集中する非難の視線に、グローウォームが慌てて抗議を始める。
「お、男はいちいち細かいことは気にせんのだ……」
いたたまれなくなった艦長が、ぼそりと呟いた。
「ぷっ……くすくす……」
ついに信濃が堪えきれず、上品に口元を隠して笑い出す。
場はまるで締まらなかったが、それでも皆、互いの顔を見て、名残惜しそうに頷き合っていた。
――まるで死地に赴く決戦前夜、そんな最後の晩餐にも似た空気が漂っていた。
――――アンジュちゃん、行ってくるね!
そして、現実に引き戻される。
出撃前、格納庫の喧騒、あわただしく行き交う雑踏と機械音。
目の前では、コメットがもう離れていくところだった。
信濃がたおやかな所作で歩み出る。グローウォームは優雅に背筋を伸ばし、千早はいつもと変わらない調子で、そうやって、それぞれの持ち場へ向かっていく。コメットもまた、迷いなく駆け出した――みな本当の自分よりも年下だろう。
アンジュだけが、その場に残された。
広い格納庫の隅。
轟音と怒号の渦の中で、自分だけが静止している。
(……わたしは)
戦わないと決めた。
そうしていいと、皆が言ってくれた。
なのに。
(……なんで)
胸の奥が、ずきりと痛んだ――怖い。死ぬのは嫌だ、でも、
守られたことが、置いていかれることが、つらい。
(……なんで、こんなに)
コメットたちはもう遠い。
信濃の背も、グローウォームの横顔も、千早の小さく振る手も、すぐに金属と光の向こうへ紛れていく。
悔しさ――ひとりだけ残されたその場所で、アンジュはようやく、自分のなかに芽生えたその感情の名前を知った。
――夜闇の海上
信濃は月の映る水面を、まるでスケートリンクのように滑走していた。
速度は凡そ40ノット――視線の先には先行するグローウォームの背中、傍にはひたすら前を向き飛翔するコメット。
「主機関出力上昇。臨戦モード移行――…」
信濃の呼びかけに応えるように、信濃の体の奥底に眠る何かが目覚めていく。
――艤装展開
周囲の空間が歪む。
ノイズのような粒子が空間に滲み、一拍遅れてそれが形を持ち始める。
最初に現れたのは艤装の輪郭――分厚い装甲や対空砲に、あとから外装が追い付くように貼り付いていく。
「CMS――起動、ターゲットリンク確立
レーダー、アクティブスキャンスタート」
12.7cm連装高角砲、連装ロケット砲、25mm単装機銃――無骨な砲身が姿を現し、意志を持った生物のように駆動する。
「FCSオンライン。
全システム起動――レディ」
やがて完全に起動した信濃は、右手を横に――平行に突き出した。
打掛の長い袖が風に棚引く――夜の闇に浮かぶ、紅白の絹の光沢。金の細工が月光をちらちらと反射させ、幻想的なまでの美しさをたたえていた。
「コメット!」
月を見上げて、信濃が短く名前を呼ぶ。
月光に照らされ、空を裂く軌跡が、ふっと角度を変えた――一直線だった軌跡がほどける。
コメットは機体を起こし、滑るように減速した。
風切り音が、低く沈み、そのまま、大きく旋回。
信濃のもとに降り立ち、コメットはやがて最後の推力を殺した。
ふわり、と機体が浮く。
次の瞬間、信濃の伸ばした“腕”に触れるような、軽い接触。
信濃と同じく戦闘機の艤装を展開したコメットが、ふわりと着地した。
音もなく、ただ、かすかな重さだけが遅れて落ちる。
まるで、獰猛な鷹が飼い主の腕に着地するように――信濃の腕にとまった。
膝を折り、足の間に両手を着く――それは彼女のいつでも飛び出せる合図だった。
「焦らないの、あなたはまだ待機よ」
「は、はい、信濃さん」
信濃の落ち着いた声に、コメットは気勢をそがれたように肩をすくめ、慌てて頷いた。
信濃は内心、焦りを覚えていた。
気鋭十分とはいえ、コメットはまだ新兵と呼ぶべき存在だ――そんな彼女を伴っての戦場。
兵器少女同士の戦闘において、空母二、巡洋艦一というのは中規模~ほぼ大規模艦隊に相当する。空母が二体いる以上、航空機系のユニットが三機以上控えているとみていいだろう――現状の戦力ではあまりにも寡兵。
ならば、一度は交戦すると見せ、一点集中で敵に損害を与えつつ離脱するしかない。まともな作戦と呼べるものではない。
そして、その対価として、誰かが死兵となり殿を務める必要がある――その役目を負う覚悟は、すでに決まっていた。
都市空母が戦闘海域を離脱するまで、時間を稼ぐ。加えて、敵航空戦力だけは、何としてでも道連れにする。
歴戦の経験というものはときに残酷だ。生き残る術だけではない、自らがどう終わるかまで、容赦なく見せてしまうことがある。この戦闘がどんな帰結を迎えるかを、彼女はほとんど正確に見通していた。




