第4話 都市空母の風景
「なに言ってるの?
あんなのショタに決まってるじゃない」
沈黙を破ったのは信濃だった。何を今さら、とでも言いたげな声音だった。
「いや、なにを根拠に」
千早が、ものすごく嫌な予感を顔いっぱいに広げながら訊ねる。
「そうですわ。見るからに愛らしい女の子でしたで――」
「――匂いかしら」
「はぁ?」
「は?」
「え」
三者三様の間の抜けた声が、綺麗に重なった。
「アンジュちゃんの頭皮を、こう、hshsした時にね。」
といって気色悪く鼻をひくつかさせる。
いよいよ言動が怪しい。
「わからないの?
こう、甘いミルクのようなに香りの奥に、未だ蕾を咲かせていないオスの――むぐっ――…」」
「お姉さま。
おやめくださいまし、これ以上はいけませんわ」
手で無理やり口を塞ぐグローウォーム――なんとかして敬愛するお姉さまの尊厳を守らんとする涙ぐましい忠誠心。
「――あかんわ、こいつ」
千早がもはや見捨てたように、軽蔑の眼差しを向けた。
その横で、コメットがおずおずと手を挙げる。
「えっと……たしかに、アンジュちゃん、自分のことは女の子だと思ってる感じだったよ。
少なくとも、本人の中ではそうなんじゃないかな……」
その一言で、皆冷静になる。
「まぁ、別に今、確認すべきことではありませんわね。」
「そ、そうね。
そのうちはっきり分かるでしょう…私が正しかったということが」
ようやく収まりかけた、その時。
「なんで?
トイレ行く時、後ろからついてったらええんとちゃう?」
「千早…」
「千早さん、それは…」
「千早さん、あなた」
三人の視線が、一斉に千早へ突き刺さる。
「え、なに?」
こうして、妙な後味だけを残して、その場の話し合いは一度お開きとなった。
――――
船室に戻ってからも、アンジュの頭の中は少しも静まらなかった。
ベッドに腰を下ろし、ぼんやりと自分の手を見る。
(……戦う、って)
兵器少女は国の代表として戦う。
勝てば資源の価値が上がり、負ければ国が傾く――それが、この世界のルール。
(……じゃあ、わたしも)
その戦場に立つのか。
けれど、信濃は別の道もあると言っていた。
戦わない兵器少女は、海溝炉のエネルギー供給を担う。
その代わり――自由はない。
(戦うか、自由を捨てるか……)
戦争は怖い。
でも、自由がない、という言葉にも言い知れぬ不安を感じる。
アンジュはゆっくりとベッドへ倒れ込み、天井を見上げた。
(わたし……どうすればいいんだろ)
ふと窓の外を見ると、いつの間にか空は暗く沈み、黒い海の上に空母の灯りだけがぼんやりと浮かんでいた。
(……時間、経ってたんだ)
どれくらい考えていたのか、自分でも分からない。
そのとき、
コンコン、と。
静かなノックの音が、部屋に響いた。
――「アンジュちゃん、起きてる?」
もしもアンジュが眠っていてもいいように、コメットは静かに声をかけた。
(こういう優しさを、他人に向けることができる。最初に出会ったのが、コメットちゃんでほんとによかった)
アンジュは少しだけ、気持ちが穏やかになっていくのを感じた。
「うん、起きてる」
返事をすると、扉がゆっくりと開いた。
「ごはん、食べに行こ。あとさ……ちょっと街、案内しよっか」
街。
その言葉に、アンジュは少しだけ目を瞬かせる。
「……街?」
「うん。この船の中、けっこう広いんだよ。気晴らしにもなるしさ」
気遣われていることは、すぐに分かった。
だからこそ、アンジュは一瞬だけ困ったように目を伏せて、それから小さく笑った。
「……お、お腹あんまり空いてないから…だから…」
「うん」
一生懸命喋る子供を見守るように、コメットは優しく見守ってくれていた。
「街を…歩いてみたい…かな」
「りょーかい!!」
ぱっと花が開いたみたいに、コメットの顔が明るくなる。
「…ありがと…」
「いいっていいって!」
コメットは気遣ってか、普段より少し大げさに笑った。
聡い子だ――コメットは、アンジュを見つめながら心の中でそう呟いた。
大人の顔色を窺い、困らせるようなことは言わない。
そして、その在り様がコメットの心を締め付けた。
だから守らなければと、そう思っていた。
――船内・都市区画
扉を抜けた先は、まるで別世界だった。
「……え」
思わず、声が漏れる。
光――そこに広がっていたのは、確かに街だった。
煌々と灯る営みの明かり、整然と並ぶ店舗と街並み、行き交う人々の声と雑踏。
備考をくすぐる食べ物の匂い。
笑顔、笑い声、手をつなぐカップル、友達だろうかお酒を飲みかわす5人の男女、ちょっと高そうな店でディナーをする、おしゃれできれいなお姉さんの三人組。
戦うための船の中に、生活があった。
「すごいでしょ?」
コメットが少しだけ得意げに笑う。
「ここ、みんなが暮らしてる場所。だいたい三千人くらいかな」
「……三千…」
アンジュは、ゆっくりと周囲を見回した。
軍服姿の人、作業着の人、私服の人。
誰もが、それぞれの役割を持って、この場所で生きている。
さっきまで想像していた“戦場”とは、あまりにもかけ離れすぎていて、眩しかった――
(……普通だ)
あまりにも、普通だった。人々の生活がそこにはあったのだ。
「コメットちゃん!」
通りすがりの店主が手を振る。
「やっほー!おばちゃん」
コメットも元気に手を振り返す。
また別の人が声をかける。
「あれ、今日は誰かと一緒だ。
見ない顔だね、新人ちゃんかい?」
「うん! アンジュちゃん!」
「はは、よろしくな!」
軽い調子の挨拶、自然な笑顔。
アンジュは少し戸惑いながら、小さく頭を下げた。
「……よろしく、おねがいします…」
その反応に、相手はにこっと笑う。
まるで、当たり前みたいに受け入れてくる。
(……なんで)
こんなに、優しいんだろう。
「こっちこっち!」
コメットに手を引かれて、ひとつの店の前に立つ。
看板には、丸い文字で書かれていた。
――もっちゅクリームドーナツ専門店
「ここ、めっちゃ美味しいんだ!」
中から店員が顔を出す。
「あら、コメットちゃんじゃない、いらっしゃい」
「来た!」
「今日は、お友達?」
「うん!」
店員のおばさんがアンジュを見て、ふっと優しく微笑んだ。
コメットは手慣れた様子で会計を済ませようとしたが
「初めてね。はい、サービス」
差し出されたのは、クリームがたっぷり詰まったふわふわのドーナツ。
甘い匂いが広がる。
「え……いいんですか?」
「いいのいいの。歓迎の気持ちよ」
アンジュは戸惑いながら、それを受け取った。
「……ありがとう、ございます」
一口ほおばる。
「……おいしい」
思わず、素直な感想が漏れた。
「れしょー!むぐむぐ…」
いつの間にかコメットもドーナツを受け取り、口元を真っ白にさせながらドーナツをほおばっている。
アンジュの口からも自然と笑みがこぼれた。
喉が渇いたので、テイクアウトのカフェラテで喉を潤した。
アンジュがこれが良い、というのをコメットがカフェインがどうだこだ、と一生懸命止める一幕もあったが、なんとかホットラテをアンジュは手に入れた。
しばらく歩いて、人込みと喧騒から離れ、やがて二人は街を一望できる展望廊下にたどり着く。
人の流れが少し落ち着いた場所で、アンジュはふと口を開いた。
「ねぇ」
「ん?」
「……なんで、戦うの?」
コメットの足が、少しだけ止まった――そんな気がした。
ほんの一瞬。
けれどすぐに、また歩き出す。
「んー……」
少しだけ考えて。
「守りたい…から、かな」
考えながら話す、軽い口調。
でも、嘘ではない声――真剣なまなざし。
「……守る?」
「うん」
コメットは、少しだけ前を向いたまま話す。
「わたしさ、もともとこの国の子じゃないんだ」
「うん」
もともと、アンジュにはこの国がどこの国かもわからない。
「祖国でね、落ちこぼれって言われてさ。使えないって」
さらっと言う。
本当に、さらっと。
それを会ったばかりの、アンジュに何気なく笑顔で話せるまで一体、どれだけの時間、どれだけの思いを重ねたのだろうか。
アンジュは自分がひどく子供に思えて、コメットが急に遠い存在のように感じられて、何か言葉をかけようと口を開いては閉じて、何も言えずにいた。そして、
「それでね――捨てられたんだ」
ついに言葉を失った。
「――でもね、この国が拾ってくれた。この国の人がね、優しくしてくれたんだ」
コメットは、少しだけ笑った。
「この国、戦いたくない子が、多いんだ」
「……え?」
「戦争に慣れてないから、他の国よりね。
だから、発電とかでエネルギーはけっこうある」
けれど、と続ける。
「戦う力が弱いから、レートが低い」
アンジュは思い出す。
勝てば価値が上がる。
負ければ、下がる。
「だから、この国は貧しい」
静かに、現実を告げる声。
「海溝炉もさ、自由に使えない。難しいことは分かんないけど、中央市場?ってのに通さないといけないって、信濃さんが言ってた」
アンジュは黙って聞いていた。
「いろんな国があるんだ、他の国は良いんだ」
コメットの言葉に熱がこもる。
「強い国、お金で強い兵器をいくらでも買える国、戦わなくても別の資源があって、海溝炉に頼らなくてもいい国」
――でもこの国は、そうじゃない。
だから、
「わたしが、守るんだ」
その言葉は、とても静かで。
でも、確かな信念を感じた。
アンジュは、隣を歩くコメットを見た。
自分の本来の年齢より、ずっと年下に見える。
なのに。
(……戦ってる)
他の人のために、命をかけて。
そんなの――
(おかしい)
そう思うのに、なのに、この世界では、それが当たり前で。
「ねぇ、アンジュちゃん」
「ん?」
「この船、あとで港に寄るんだ」
「みなと……この国の?」
「そう、この国の港」
コメットは、少しだけ優しく言った。
「もしさ、戦うのが嫌なら」
一拍置いて。
「そこで降りちゃえ」
アンジュの足が、止まる。
「……いいの?」
「もちろん、いいんだよ!」
即答だった。
「無理して戦う必要ないし」
にこっと笑う。
いつもの、明るい笑顔。
アンジュは自分のことが急に恥ずかしくなった。
自分の暮らしていた国では、戦争なんて遠い国の話で。
子供が戦場に行かなければならないなんて、そんなのは間違っている。
(間違っている筈なのに…)
――アンジュちゃんのことは私が守ってあげる
アンジュは、しばらく何も言えなかった。
ただ、街の灯りを見ていた。
笑い声。
人の気配。
暖かさ。
そして、そのすぐ外にある、まだ見ぬ戦場。
(私は、コメットちゃんの様にはなれない)
そんな気持ちが暗鬱と立ち込めるのだった。
その時――。
突如として、耳をつんざくような警報音が、街区全体に響き渡った――
選択の時、運命が刻一刻とアンジュのもとに迫っていた。
今日はドーナツについて議論をしたい。
つまり、なぜ私は、もっちゅりんを食べることができなかったか、である。
これは資本主義社会、格差社会の、もっとも重大かつセンシティブな話題だ。
私は、もっちゅりんを、強烈に食べたかったのであるが、それを叶えることができなかった、なぜか?
それは、私が結婚していなかったからであり、子供がいなかったからである、という結論に至った。
みな、考えてみてほしい。
日中働いている成人が、どうしても食べたい“もっちゅりん”の為に列に並ぶことができるか、ということである。
物理的には可能であろう、しかし無理なのだ。
なぜなら、平日は当然として、せっかくの休日である土日に、あの初詣の参拝者みたいな列に並ぶという苦行は、列に並ぶロリかショタを見に来る変態くらいにしか無理なのである。
では、あの時、あそこにいた大人は皆、変態だったのか?
――否。
あそこに並んでいたのは、全てママかパパであったと、私は断言しよう。
可愛い可愛い我が子の、もっちゅりんが食べたい、という可愛らしい願いの前では、親の自我など無力に等しい。
私事ながら、私にも先日姪が生まれた。
姪でこれほど可愛いのだから、我が子なら精神を支配され、その命令のまま、どんなことでもしてしまうだろう、恐ろしい。
だから、私は次にもっちゅりんが発売された時に備え、婚活をすることに決めた。
2026.4.1作者




