第10話 夜空に散る
コメットはもう何度目か分からない、信濃の高速カタパルト射出を経て空に翔び上がった。
音速近い速度でヘルキャットの横を抜け、サンダーボルトの死角へ滑り込む。
撃つ。
蹴る。
離れる。
次の瞬間には、もう別の角度へいる。
天を穿つ彗星
その異能じみた速度は、今なお夜空の支配権を握っていた。
だが――
(まだ、落ちない……!)
コメットは歯を食いしばった。
手応えはある。
ヘルキャットの脇腹と腕には、自分の蹴りが何度も入っていた。装甲は歪み、機動のたびに火花を散らしている。
サンダーボルトの背部も同じだ。三〇ミリ機関砲を食らった箇所が原因か、明らかに動きの乱れが出始めていた。
それでも、落ちない。
「このっ……ちょこまかとぉッ!!」
サンダーボルトが振り絞るように吠え、未だ重い砲火をばら撒いてくる。
精密ではない――だが重く、広い。
「くっ!!」
コメットは上へ跳ねた。
直後、その空間をヘルキャットの火線が横薙ぎに切り裂く。
「にゃはッ、今のは惜しかったにゃ!」
甲高い声――コメットの超高速機動に、獲物を捕らえるネコ科の瞳孔が慣れ始めていた。
一瞬たりともコメットから目を離さない。
二人とも分かっているのだ、今この空で、最も危険なのは誰か――それがコメットであることを。
だからこそ、ヘルキャットとサンダーボルトは、どれだけ傷ついても引かなかった。
ドーントレスが上へ抜けた今、やるべきことは一つ。
この彗星を、ここで撃墜とす。
「コメットちゃん、伏せて」
信濃の静かな指示に、瞬時に反応し高度を下げるコメット――直後、火線が頭上を薙いだ。
花火のように美しい爆裂――火砲が弾ける。
それは逃げ道を潰し、敵の機動を削るための砲撃。
ヘルキャットがそれを嫌って機首をひねった。
その半拍を、コメットは見逃さない。
蒼白い軌跡が真横へ走る。
ヘルキャットの視界から、コメットが消えた。
「づぁああァ!!!」
「は――ぎぅッつ!!!」
次の瞬間には、懐に潜り込んでいた。
膝蹴り。
脇腹の同じ場所へ、今度はもっと深く、もっと鋭く叩き込む。
「ぎにャあッ!!」
金属の悲鳴。
ヘルキャットの小柄な身体がくの字に折れ、海面近くまで弾き飛ばされる。
「くっそがァあ!!」
その攻撃の隙を見逃すことなく、横から噛みつくサンダーボルト。
全て読んでいたかの如く、その軌道を狙って、グローウォームの砲撃が走った。
「あら、わたくしのことを、お忘れになってるのではなくて?」
駆逐艦らしい鋭い火線。
大ぶりではない。だが、実に嫌らしい角度から差し込まれる。
避けようとすればコメットの正面に出るしかなく、コメットを見ようとすれば火線が迫る――グローウォームはまさに、敵が最も嫌がる場所にいた。
更に信濃の砲撃がそこに重なる――サンダーボルトはたまらず飛び退く。
「ちっ……!」
空母が、前にいる。
その事実に、サンダーボルトの目が一瞬だけ揺れた。
「ったく!!なんで空母が前出てんだよ!?」
怒鳴るような声だった。
それは怒りというより、半ば本気の困惑だった。
「頭おかしいのか、あいつ!」
「にゃっ……ふう、フツー後ろにいるもんにゃ……!」
ヘルキャットも喘ぎながら同意する。
空母は守られるものだ。
後ろで航空隊を支え、前衛に壁を作らせるものだ。
少なくとも、二機の爆装戦闘機と正面から噛み合う位置に立つ存在ではない。
だが、信濃は前にいた。
月を背負い、海を滑り、紅白の打掛を風にはためかせながら、その白い腕でコメットを支え、砲火を放ち続けている。
その闘い方はあまりにも異様。そして何より邪魔だった。
コメットは息を吐いた。
吐いたつもりだったが、喉の奥が焼けつくように熱いだけで、うまく空気が入れ替わらない。
(まだ、いける)
思考の端で、そう念じる。
胸が熱い。
肺が破裂しそうだ。
脚も腕も、さっきよりも重い。
だが、それを絶対に表には出さない
もしもここで鈍ったと悟られれば、二人は確実にそこを突いてくる。
この戦場において、コメットは常に最速。敵からそう警戒されるからこそ、優勢がぎりぎり保てている。
もしも、その速さが落ち始めたと悟られれば、相手は後続の艦隊を待つ遅延戦闘へと移行するだろう。
「少し引きなさい、コメット」
冷静な信濃の指示。
しかしコメットは、笑った。
口元だけ。
獲物を前にした猛禽みたいな、乾いた笑み。
「まだまだ――だよ!!」
その声と同時に、また飛ぶ――完全に戦場の興奮に支配されていた。
海面すれすれから急上昇。
今度はサンダーボルトの頭上を越え、そのまま背後を取る。
サンダーボルトも対応が早かった。重い艤装に似合わぬ勢いで捻り、腕を振るった。
コメットはそれを冷静に蹴り上げ、軌道を逸らすと、がら空きになった脇腹に、鋭く踵を叩き込んだ。
「もらった――!!!
―――――…な!?」
しかし、重さが足りなかった。
ほんのわずか、蓄積した疲労が、蹴りの精度を鈍らせた。
コメットは舌打ちを飲み込む。
追撃に火砲を叩き込み、サンダーボルトの防弾装甲を削っていく。
(今の、仕留めきれた……!)
わずかな鈍り。
自分にしか分からない程度の遅れ。
それでも、敵は気づく。
ヘルキャットが目を細める。
「……にゃあ?」
猫耳がぴくりと揺れる。
「にゃんか、さっきより……雑になってきたにゃ?」
コメットは答えない。
答える代わりに、さらに加速した。
火線を三つ躱し、ヘルキャットの眼前まで一息に詰める。
火砲を吐き出し肉薄し、お得意の蹴りを叩き込んだ。
「しつっこい!!!倒れろぉお!!」
コメットの咆哮――ギャリギャリと金属の擦れる嫌な音が響く。
しかし、ヘルキャットも辛うじてそれを読んでいた。
完全には避けきれないまでも、装甲の厚い箇所に身を寄せ、両手で衝撃を殺す。
「ぐっ……!」
呻き。
だが決定的なダメージではない。
その瞬間、サンダーボルトの戦意の籠った瞳が、ギラリと輝く。
重い機体が、今度はコメットではなく信濃へ向いた。
「わかったぜ、お前の弱点。
随分息も上がって、辛そうじゃねェか?えェ?」
コメットの心臓が嫌な跳ね方をした。
戦場に身をおいて間もないコメットは、戦闘の興奮に呑まれ、自分がどれほど消耗しているのかを理解していなかった。
浅く速すぎる息、頬だけが熱を帯びたまま顔全体は青白く冷え、焦点の甘くなった瞳を見れば、酸素も体力もとうに限界を割っていることは明白だった。
(見抜かれた…!!)
「そうか、空母がこんな前に出て戦うなんておかしいもんなァ?」
サンダーボルトの視線が、信濃へ突き刺さる。
ヘルキャットの顔にも、理解の色が広がる。
「にゃるほど……あいつ、何回も戻ってるにゃ。
ただの連携じゃないにゃ。補給だにゃ」
コメットの背筋に冷たいものが走った。
“頻繁に戻らなければいけない”と敵に理解された時点で、狩る側の潮目が変わる。
「信濃さんっ!!!」
熱に浮かされた頭で思わず叫ぶ――叫んでしまった。
次の瞬間、二機の意識がはっきりと切り替わったのが分かった。
(――しまった!!!)
焦りと、酸欠の頭で、咄嗟に発した言葉が、敵に致命的な情報を与えてしまう。
高速飛翔体を落とさずとも、他に勝つ方法がある。
まずは脆く弱い、止まり木の枝を折る――そのうえで、彗星が燃え尽きるのを待つ。
それが最適解だと、敵も悟った。
ヘルキャットが低く潜り、グローウォームの火線を誘うように左右へ振る。
「くっ、コイツら、動きが変わりましたわ!!」
敵の軌道の意図を悟り、グローウォームが悲痛に叫ぶ。
信濃は何も言わない。
サンダーボルトはわざと鈍重に見える進路を取りながら、信濃の砲火の密度を測っている。
コメットはその間を裂くように飛び込んだ。
「やらせない!!」
叫びとともに、サンダーボルトへ食らいつく。
銃撃とともに、なりふり構わぬ、無様な突進と脚。
サンダーボルトの艤装が悲鳴を上げる。
だが、それでも押し切れない。
ヘルキャットが背後から銃火を浴びせ、コメットを引かせる。
引いた先へサンダーボルトが圧をかける。
「くそ!邪魔だ!!お前ぇえ!!」
コメットが焦りに吠える。追撃を逃れたヘルキャットは、グローウォームの目の前に躍り出るように飛翔し、翻弄する。
戦場がそして戦況が、さっきまでより広く、悪くなっていく。
コメットは飛びながら理解していた。
相手はもう、自分の速度そのものと勝負しようとしていない。
速度の“切れ目”を待ち始めている。
(そんなの……!)
認めるものか。
認めてなるものか。
コメットは再び信濃の腕へ着地した。
ほんの一瞬。
火花が散る。
その瞬間、着地を狙った銃撃が信濃を襲う――涼しい顔でそれを受ける信濃の外装に、傷が刻まれていく。
何度も着地した腕は、赤黒く腫れ、血が滲んでいた。
自分がまだ空にいられる理由。
何度でも翔べると思わせてくれる、唯一の止まり木――それが今、折れようとしていた。
「たとえ右手が折れたとしても、まだ左手があるわ」
全てを見透かすように、信濃は前を見たまま、静かに言った。
「まだ飛べる?」
優しい問いではない。
確認だ。
戦場で必要な、冷たい確認。
コメットは笑った。
「もちろんです」
嘘だった。
脚は重く視界は滲む。
胸の奥では、何かがひりひりと焼けていて、どれだけ深く呼吸をしても、酸素うまく供給されない、意識が途絶えかける。
それでも笑う――空母でありながら、最前線で自分の止まり木たらんとする、その信濃の心意気に、応えないわけにはいかない。
最後の力を振り絞り、信濃の腕から飛び立つ。
それが自分に許された、唯一の役割だった。
コメットが再び空へ躍り出た、その時だった。
ぞくり――寒気がした。
上、空――
コメットの目が、反射的に天を見上げる。
月。
その白い月の中から、黒い点が落ちてくる。
最初は影だった。
次に輪郭。
そして、その輪郭に見覚えのあるシルエットが重なる。
――ドーントレス!!!
高高度まで上昇し、防衛線を抜けたたと思われていた彼女が、今まさに獲物へ食らいつくための軌道に入っていた。
「――信濃さん!!」
叫ぶ。
遅い――致命的な回避の遅れ。
ドーントレスはまるで空そのものを踏み抜くような速度で降ってきた。
急直下、そして一直線。
迷いも躊躇もない、殺意そのものの軌道。
信濃の対空砲火が上を向く。
グローウォームも気づいていた。火線が咄嗟に天を薙ぐ。
「お姉さま!!!!」
悲鳴のような叫びが木霊する。
だが、間に合わない。
その突入はあまりにも速すぎた。
この一撃のためだけに全てを捨ててきた爆撃機の、命を懸けた突入。
赤い髪を、燃え滾る炎のように靡かせて、ドーントレスの殺意の瞳が、真っ直ぐ信濃を捉えていた。
「この時を待ってたよ。確実に仕留められるこの瞬間を――」
友を――マスタングを落とされた怒り。
仲間が――サンダーボルトとヘルキャットが傷つき、それでも耐え続ける姿を、上空でひたすら見守り続けた。ただこの瞬間、敵を葬る瞬間にすべてを賭けた空母殺しの執念。
その全てを乗せて、彼女は降ってくる。
コメットは飛んだ。
全力で。
残っているものを全部燃やしてでも、その間に割り込もうとした。
だが届かない。
信濃が、ほんのわずかにこちらを見た。
庇うな、とでも言いたげな、静かな目だった。
「あんたに恨みはないけど、なんて言わない。
恨みを込めて――絶対に、沈める」
次の瞬間。
夜空を裂くような轟音とともに、ドーントレスの爆撃が信濃へ叩き込まれた。
海が、そして空気が揺れた――落雷のような轟音。
衝撃そのものが海面を殴りつけ、黒い水を白くめくり上げる。
燃えあがる水面に、反射する赤。
「――ッ!!」
コメットの喉が、声にならない悲鳴で焼けた。
そして、その瞬間の致命的な隙を、戦場という残酷な死神は見逃しはしなかった。
「コメット!!!お避けなさい!!」
そんなグロ―ウォームの叫びもむなしく――
「つかまえたにャ」
ひやりと、背筋が凍り、至近距離で何かが爆裂した。
体がバラバラになったような痛みと衝撃、落ちていく空、砕け散る自身の艤装の残骸。
薄れゆく意識の中、爆炎の向こう側に、コメットは沈む信濃の姿を見た。
美しい朱白の打掛が燃え翻り、華奢な体が折れて沈む、その光景に涙が滲む――絶望の中でついに意識を手放した。
よ、読んでくれてるみんな、た、頼む、オラに高評価を…(野沢雅子ボイス




