第7話 「泥棒女出てこい!」と元婚約者が家を破壊しようとしたので、旦那様が世界ごと凍らせて黙らせました
「……アレクセイ様、まずは私が対応します。貴方は奥で待機していてください」
私は立ち上がろうとするアレクセイ様を手で制しました。
彼が出ていくと、話し合いの前に殲滅戦が始まってしまいそうです。
帝国の宰相が、王国の王子を殺害したとなれば、戦争は避けられません。
私のスローライフが戦火で焼かれるのは御免です。
「……チッ。分かった。だが、もし君に指一本でも触れようとしたら、その瞬間に氷像に変える」
「善処します」
私は彼をリビングに残し、玄関へと向かいました。
ドアノブに手をかけ、深呼吸。
外からは、まだドンドンと結界を叩く音と、汚い罵声が聞こえています。
「開けろ! ルチア! 聞こえているんだぞ!」
「寒い……もう嫌ぁ……!」
私は表情筋を「営業用(無表情)」にセットし、ドアを開けました。
◇
夜の森の闇に、松明の明かりが揺れています。
私の家の敷地(結界)の境界線に、十数人の人影が群がっていました。
一目見て、私は眉をひそめました。
汚い、の一言に尽きます。
先頭に立っているのはカイル殿下ですが、かつての煌びやかな姿はどこにもありません。
金髪は泥と葉っぱまみれ。
白い礼服はあちこちが破れ、煤で黒ずんでいます。
隣のミラ様に至っては、ドレスの裾が泥水で重くなり、片方の靴をなくして裸足で震えていました。
護衛の騎士たちも鎧が凹み、剣も欠けています。
森の魔獣や、私が設置した「強制転送罠(踏むと入り口に戻される)」に散々遊ばれたようですね。
「……何のご用でしょうか、カイル殿下。不法侵入ですよ」
私が冷静に声をかけると、殿下は血走った目で私を睨みつけました。
「不法侵入だと!? ふざけるな! ここは王国の領土だ! 王族である私がどこに行こうと勝手だろうが!」
「ここは『帰らずの森』。王家の統治が及ばない危険地帯と定めたのは、曾祖父様ではありませんか?」
「うるさい、うるさい! それよりルチア! 貴様、よくも城の物を盗んで逃げたな!」
殿下は唾を飛ばしながら叫びました。
結界があるので私には届きませんが、不潔です。
「盗んだのではありません。私物を回収しただけだと申し上げたはずです」
「嘘をつくな! 城の壁紙も、絨毯も、食料も、すべて消えたではないか! おかげで城はめちゃくちゃだ! 今すぐ返せ! そして戻ってきて元通りにしろ!」
「お断りします。私は既に貴方との契約を解除いたしました」
私がきっぱりと拒絶すると、後ろでミラ様が金切り声を上げました。
「ずるい! ずるいずるい! ルチア様だけ、こんないい家に住んで!」
ミラ様は私の背後に見えるログハウス――温かい光が漏れ、煙突から煙が上る快適な我が家――を見て、羨望と憎悪に顔を歪めています。
「私たちは野宿で、泥水を飲んだのよ!? なのに貴方は、お風呂に入って、いい匂いのする服を着て……許せない! その家、私たちのよ! 王家の別荘なんでしょう!?」
「代金未払いでキャンセルされた物件ですので、私が買い取りました。所有権は私にあります」
「屁理屈なんてどうでもいいのよ! カイル様ぁ、あいつを追い出して、私たちがここに入りましょうよぉ! お風呂入りたいぃ!」
ミラ様が殿下の腕を揺さぶります。
殿下もまた、暖かそうな室内を見て、強欲な光を目に宿しました。
「そうだ……その通りだ。ルチア、貴様のような地味な女に、この豪邸は過ぎた玩具だ。これは没収する!」
「……強盗の発言ですね」
「黙れ! 騎士たちよ、やれ! 結界を破壊して、その女を引きずり出せ!」
殿下の命令に、騎士たちが躊躇いがちに剣を抜きました。
しかし、彼らは疲弊しきっており、私の強固な結界を破れるとは思えません。
「ええい、役立たずどもめ! 私がやる!」
業を煮やした殿下が、懐から赤い魔石を取り出しました。
王家に伝わる攻撃魔法のスクロールです。
「消え失せろ! 『爆炎』!」
殿下が魔石を投げつけました。
紅蓮の炎が膨れ上がり、私の愛しい我が家を飲み込もうと迫ります。
――させません。
私が『収納魔法』で炎ごと空間収納しようと手を上げた、その時でした。
パキィィィィンッ……!
耳をつんざくような、硬質な音が響き渡りました。
爆発するはずだった炎が、空中で静止しています。
いいえ、違います。
炎の形のまま、青白い「氷」に変わっているのです。
燃え盛る火炎が、熱を奪われ、芸術的な氷の彫刻となってそこにありました。
「……は?」
殿下が間の抜けた声を上げます。
次の瞬間、猛烈な冷気が森を支配しました。
先程までの夜風とは次元が違う、魂まで凍りつくような絶対零度のプレッシャー。
コツ、コツ、コツ。
私の背後から、靴音が響きます。
私は安堵のため息をつき、一歩横に退きました。
「……私の『家』に、随分と派手な手土産を持ってきてくれたものだな」
低く、地を這うような声。
アレクセイ様が、ゆっくりと姿を現しました。
今はリラックスウェアではなく、漆黒の軍服に身を包んでいます。
そのアイスブルーの瞳は、ゴミを見るような冷たさで殿下たちを見下ろしていました。
「だ、誰だ貴様は! ルチアの新しい男か!?」
殿下はまだ状況が理解できていないようです。
震える足で虚勢を張っています。
「男、か。……そうだな。私は彼女の同居人であり、この家の番犬だ」
アレクセイ様が軽く指を振りました。
それだけで、騎士たちの足元の地面が瞬時に凍結し、彼らの足を拘束しました。
「うわぁっ!?」
「動けない!?」
「さて、ルマニアの第二王子カイル殿下。我が国の領土……ではないが、私の保護下にある領域への武力攻撃。これは帝国への宣戦布告と受け取って構わないな?」
アレクセイ様が静かに告げると、殿下の顔色がさっと変わりました。
黒髪、赤眼、圧倒的な氷魔法。
そして「帝国」という単語。
鈍い殿下でも、ようやく思い当たったようです。
「て、帝国……? その氷……まさか……」
「ひっ、ひぃっ……!」
先に気づいたのは騎士団長でした。
彼はガタガタと震え、剣を取り落としました。
「あ、ありえない……なぜこんな所に……! 『氷の悪魔』……アレクセイ・ヴォルグ宰相閣下!?」
その名を聞いた瞬間、殿下の喉がヒュッと鳴りました。
「さ、宰相……? 帝国の、あの化け物が……?」
「人聞きの悪い。私はただ、平和な夜を過ごしたかっただけだ。それを貴様らが、汚い足と騒音で台無しにした」
アレクセイ様が一歩踏み出すと、殿下たちは悲鳴を上げて後ずさりました。
ですが、背後はすでに氷の壁で塞がれています。
「ルチア、こいつらはどうする? 氷漬けにしてコレクションにするか? それとも、粉々に砕いて肥料にするか?」
彼は私に優しく問いかけました。
内容は物騒極まりないですが。
「肥料にするには質が悪すぎます。土が汚れますわ」
「違いない」
私たちが平然と会話をしていると、殿下は腰を抜かしてへたり込みました。
ミラ様は既に白目を剥いて気絶しています。
「ま、待ってくれ! 知らなかったんだ! まさか貴殿がいるとは!」
「知らなかったで済むなら、法律はいらない。……だが、殺す前に一つ、精算してもらおうか」
アレクセイ様は私の方を向き、にやりと笑いました。
「ルチア、例の『書類』を持ってきてくれ。監査の時間だ」
私は眼鏡の位置を直し、深く頷きました。
「承知いたしました。請求書と証拠書類一式、すぐに『取り出し』ます」
暴力による解決は野蛮です。
ここからは、もっと残酷で逃げ場のない、数字と法律による断罪(お仕置き)の時間です。
私は収納から、分厚いファイルを召喚しました。




