第5話 王城では「備品が消えた!」と大騒ぎのようですが、それは私の私物です。彼らが寒さに震えている間、私は旦那様と温かいシチューを食べています
森の生活は快適そのものです。
朝は小鳥の声で目覚め、昼は家庭菜園の手入れや読書。
そして夜は、静寂の中でゆっくりと眠る。
ただ一つ、以前と違うのは、リビングの窓際が「宰相執務室」になっていることでしょうか。
「……却下だ。この予算案は再計算させろ。帝国の冬を舐めるなと伝えろ」
アレクセイ様が、宙に浮かんだ青白い光の画面(帝国の通信魔導具)に向かって、冷徹な声で指示を出しています。
氷の宰相モードです。
彼は約束通り、この森に居座りながらリモートワークで国を動かしていました。
私はその横を通り抜け、淹れたての紅茶をデスクに置きます。
「休憩になさっては? 根を詰めすぎると、また眉間の皺が深くなりますよ」
「……ああ、すまない」
彼は私を見ると、瞬時に氷の表情を溶かしました。
ふにゃりと目尻を下げ、紅茶の香りを吸い込みます。
「君の淹れる茶は、なぜこうも心が落ち着くのか……。魔薬でも入っているんじゃないか?」
「入っているのは私の愛情(という名の適切な蒸らし時間)だけです」
「愛情……!」
冗談のつもりでしたが、彼は耳まで赤くしてカップを両手で包み込みました。
純情すぎませんか、この宰相様。
その時です。
空中の画面に、新しい通知音が鳴りました。
緊急報告を示す赤い光です。
「……諜報部からか」
アレクセイ様が指先で空気をスワイプすると、報告書が表示されました。
彼はそれを読み進めるにつれ、怪訝そうに眉を寄せ、やがて呆れたように鼻で笑いました。
「……滑稽だな。ルチア、君の祖国は今、大変なことになっているらしいぞ」
「あら、そうですか」
私は編み物の手を止めず、生返事をしました。
想像はつきますが。
「報告によると、王城は現在『極寒地獄』と化しているそうだ。暖炉に薪を入れても燃え上がらず、隙間風で室内気温が外気と同じまで下がっていると。貴族たちはコートを着込んで震えながら政務をしているらしい」
「当然ですね。城の暖炉は排気効率が悪く、私が『燃焼促進魔法』を付与した特製炭を使わないと、煙が逆流する欠陥構造ですから」
私が淡々と答えると、アレクセイ様は目を丸くしました。
「欠陥構造? それを君が補っていたのか?」
「ええ。安物の炭では暖まりません。あの快適な室温は、私の炭と、窓ガラスに施した断熱結界のおかげです。全て回収しましたので、今の城はただの石造りの冷蔵庫でしょう」
石材は冷えやすく、温まりにくい。
冬の王城の厳しさを、彼らは身をもって学んでいることでしょう。
「……なるほど。さらに続きがある。『王城内の食料備蓄が消失。残っているのはカビたパンと古漬けのみ。料理人がストライキ寸前』だそうだ」
「それも当然です」
私は編み棒を動かしながら解説します。
「王城の食料庫は湿気が酷いのです。私が『収納魔法』の亜空間に生鮮食品を保管し、必要な分だけ毎日厨房に出していました。いわば、私が巨大な冷蔵庫役でしたから」
「君がいなくなれば、新鮮な食材は一つもないということか」
「ええ。市場から買えばいいのですが、今の王家にそんな即金があるかどうか。私の帳簿管理システムも回収(削除)しましたから、予算を引き出す承認フローすら回っていないはずです」
アレクセイ様は、信じられないものを見る目で私を見つめました。
「……君一人で、兵站と環境維持、財務管理まで行っていたのか? 一国の機能を?」
「地味な仕事ですよ。誰からも感謝されませんでしたし」
「地味なものか! それは国家の心臓部だ。それを『収納魔法は荷物持ち』などと……ルマニアの王族は目が節穴どころか、空洞なんじゃないか?」
彼は本気で憤慨してくれました。
自分のことのように怒ってくれる人がいる。
それは、思った以上に心地よい感覚でした。
「まだあるぞ。『騎士団の剣や鎧が、一夜にして赤錆だらけになった。魔獣討伐に出られない』と。これはどういう理屈だ?」
「王国の騎士団装備は、見栄え重視で実用性が低い安物なのです。すぐに錆びるので、私が毎晩、収納内で『時間停止』をかけて劣化を防ぎつつ、こっそり研磨していました」
私の収納内では、時間の経過を遅らせることができます。
寝ている間に数千本の剣を回収し、磨いて、朝までに戻す。
それを日課にしていました。
彼らは「俺たちの剣は聖なる加護で輝いている!」と信じていましたが、その加護の正体は私の徹夜作業です。
「……絶句した」
アレクセイ様は額を押さえました。
「彼らは、君という『土台』の上で踊っていただけの人形だったわけか。その土台を自ら蹴り飛ばすとは」
「おかげで私は自由になれました。感謝したいくらいです」
「全くだ。君を逃した彼らの愚かさに、私は盛大な拍手を送りたいよ。おかげで君は私の元にいる」
彼は熱っぽい視線を私に向けました。
不意打ちです。
私は誤魔化すように、編みかけのマフラー(彼用です)に視線を落としました。
「……報告書には、カイル殿下の様子も?」
「ああ。『魔女ルチアが呪いをかけたせいだ! すぐに捕らえて全て元に戻させろ!』と喚き散らしているそうだ」
予想通りの反応すぎて、笑いも出ません。
呪いなどかけていません。
ただ、「プラスの魔法」を解除して「ゼロ」に戻しただけ。
マイナスになったと感じるのは、彼らが今まで下駄を履かせてもらっていたことに気づいていなかったからです。
「安心しろ。ここには指一本触れさせない」
アレクセイ様は、画面を閉じて立ち上がりました。
私の隣に座り、そっと肩を抱きます。
「彼らがどれだけ叫ぼうと、この森の結界は破れない。それに、もし君を奪おうとするなら、帝国が全軍をもって相手になる」
「……国と国との戦争になりますよ?」
「構わない。君一人の価値は、あの腐った王国全てを合わせても釣り合わないからな」
彼は真顔で、とんでもないことを言います。
でも、その腕の温かさは、王城のどんな高級な暖炉よりも安心できました。
「……今の生活が気に入っていますので、戻る気はありませんよ」
「そう言ってもらえると、同居人として鼻が高い」
私たちは顔を見合わせて笑いました。
王城の人々が寒さと空腹に震えている頃、私たちは具だくさんのクリームシチューを囲みました。
私が作ったシチューを、アレクセイ様は「世界一美味い」とおかわりしてくれます。
薪がパチパチと燃える音。
美味しい食事。
穏やかな会話。
――ざまぁみろ、なんて思う必要もありませんでした。
私は今、彼らのことなど忘れてしまうほど、幸せなのですから。
けれど、そう簡単に忘れさせてはくれないようです。
翌日、結界の外部センサーが、招かれざる客の反応を捉えました。




