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婚約破棄ですね、承知しました。城のインフラは私の私物なので、即時回収いたします  作者: 秋月 もみじ


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3/10

第3話 「君の声は耳障りだ」と言われたので結界に引きこもっていたら、なぜか国一番の魔導師様が転がり込んできました


「……生きていますね」


 私が脈を確認すると、男性の首筋で微かな拍動を感じました。

 ただ、酷い状態です。

 全身が氷のように冷たく、魔力は枯渇寸前。

 おまけに頬はこけ、肋骨が浮くほど痩せています。


 遭難者というよりは、過労死寸前のサラリーマンが山で行き倒れたような雰囲気です。


「放置すれば一時間以内に死亡。死体が庭にあると、腐敗臭で害獣が寄ってきます。それは非効率です」


 私は結論を出しました。

 拾いましょう。

 これも「整頓(あるべき状態に戻す)」の一環です。


 私は空間に手を差し入れました。


「取り出し(アウト):『自動搬送用担架ストレッチャー』」


 現れたのは、白いシーツが張られた車輪付きの担架です。

 本来は戦場の野戦病院で使われる魔導具ですが、王家の倉庫で埃を被っていたのを回収メンテナンスしておいたものです。


 私は男性の体を魔法で少し浮かせ、担架に乗せました。

 七十キロはありそうな大柄な体ですが、私の魔法なら指一本触れずに移動可能です。

 そのままコロコロと担架を押し、ログハウスの中へと運び込みました。


          ◇


 客室のベッドに彼を寝かせました。

 ここからが少々、事務的な作業になります。


「衣服が濡れていますね。これでは風邪を引きます」


 私は躊躇なく、彼の上着のボタンを外しました。

 異性の裸?

 前世で介護施設の手伝いもしていましたし、今の私にとっては「濡れた布」を「乾いた布」に交換する作業でしかありません。

 それに、このやせ細った体を見てときめく趣味もありませんし。


 手早く下着姿にし、新しいリネンのシャツ(父用に買っておいた未使用品)を着せます。

 そして、私のとっておきのコレクションを取り出しました。


「特級ハイ・ポーション。一本で金貨十枚の価値がありますが……まあ、死なれるよりは安い経費です」


 青い液体を彼の唇に流し込みます。

 喉がごくりと動き、顔色が青白から薄いピンク色へと変わりました。

 呼吸も安定してきました。


「よし。あとは栄養ですね」


 私はキッチンへ向かいました。

 冷蔵庫(魔石冷却式)から野菜と鶏肉を取り出し、細かく刻みます。

 消化に良いものを。

 生姜を効かせた鶏ガラスープのお粥を作りましょう。


 コトコトと鍋が音を立て、良い香りが部屋に満ちていきます。

 一人暮らしの静寂も良いですが、誰かのために料理をするのも悪くありません。

 見返りを求められる労働でなければ、ですが。


 三十分後。

 客室から、ガタッという物音が聞こえました。


          ◇


「……ここは、どこだ」


 私がトレイを持って部屋に入ると、男性はベッドの上で上体を起こしていました。

 警戒心剥き出しの鋭い視線。

 アイスブルーの瞳が、私を射抜くように見つめています。

 腰に手を伸ばしていますが、剣はありませんよ。玄関に収納しましたから。


「目が覚めましたか。ここは私の家です」

「家……? 森の中に、家などあるはずがない」


 彼は眉間を押さえ、周囲を見回しました。

 清潔な白い壁、磨かれた床、窓にかかるレースのカーテン。

 そして、適度な温度に保たれた室内。

 外の過酷な環境とは別世界です。


「幻覚か……? それにしては、頭痛がしない」

「頭痛がおありですか? ポーションを飲ませましたが、まだ痛むなら追加しますよ」

「いや……違う。静かだ。静かすぎる」


 彼は呆然と呟いています。

 まだ意識が混濁しているのでしょうか。


 私はベッドサイドのテーブルにトレイを置きました。


「とりあえず、食事にしましょう。三日ほど何も食べていないようなお体でしたので、お粥を作りました」

「……毒が入っているかもしれん」

「毒を盛るくらいなら、庭で行き倒れている貴方をそのまま放置しています。そのほうが証拠も残りませんし」


 私が淡々と言うと、彼はハッとして私を見ました。

 少し言いすぎたでしょうか。

 でも、事実です。


「……すまない。失礼なことを言った」


 意外にも、彼は素直に謝罪しました。

 王城の人間とは大違いです。

 彼は警戒しつつも、スプーンを手に取りました。

 そして、恐る恐るお粥を口に運びます。


「…………っ」


 一口食べた瞬間、彼の動きが止まりました。

 目を見開き、震える手で口元を覆います。


「どうしました? 熱かったですか?」

「いや……美味い。……なんだこれは」


 彼は夢中でスプーンを動かし始めました。

 ガツガツと、けれど品のある所作で、あっという間に平らげてしまいます。

 よほど空腹だったのでしょう。


「温かい……。体が、内側から溶けるようだ」

「生姜と薬草を入れていますから、血行が良くなるはずです」


 彼は空になった器を見つめ、深く息を吐きました。

 その表情から、先程までの険しい警戒色が消え、幼子のような安堵が浮かんでいます。


「助かった。……礼を言う」

「お気になさらず。貴方が元気になれば、すぐに出ていってもらえますから」


 私は空の食器を回収しました。

 彼のような高貴な身分の男性(軍服の質からして高官でしょう)を長く置いておくのはリスクです。

 面倒ごとは御免です。


「そうだな。長居をするつもりはない。私は帰らなければならない場所がある」


 彼はふらつく足取りでベッドから降りました。

 まだ病み上がりだというのに、責任感が強い方のようです。


「上着と剣は玄関に置いてあります。ですが、今はおすすめしませんよ」

「急ぎの公務があるのだ。恩に着る」


 彼は私の制止を聞かず、部屋を出ていきました。

 私はため息をつき、その後を追います。


 玄関のドアを開けた彼が、絶句して立ち尽くしていました。


 ゴオォォォォォォ……!


 目の前は、真っ白な世界でした。

 猛烈な吹雪です。

 視界はゼロ、気温は氷点下。

 私の張った『結界』の外側は、地獄のような荒天と化していました。

 山の天気は変わりやすいと言いますが、この森は特に魔力嵐が起きやすいのです。


「……なんだ、これは」

「申し上げたはずです。今はおすすめしない、と」


 私は彼の背中に声をかけました。


「私の結界の外は、現在猛吹雪です。その体調で出れば、五分で凍死しますね。先程のポーション代が無駄になります」

「結界……? この嵐を、君が防いでいるのか?」


 彼は振り返り、驚愕の表情で私を見ました。

 そして、次に室内を見渡し、また外の吹雪を見ます。

 薄いガラス一枚を隔てて、極寒の死地と、常春の楽園が隣り合わせている異常さ。

 それに気づいたようです。


「君は……何者だ? これほどの規模の環境制御結界を、魔石もなしに維持するなど……帝国の魔導師団長でも不可能だ」

「ただの一般市民です。少し整理整頓が得意なだけの」


 私は眼鏡の位置を直しました。

 正体を探られるのは好ましくありません。


「とにかく、嵐が止むまではここにいるしかありませんよ。諦めてベッドにお戻りください」


 彼はしばらく外の吹雪を睨んでいましたが、やがて力尽きたように肩を落としました。

 賢明な判断です。


「……迷惑をかける」

「家賃は労働で払っていただきますので、ご心配なく」

「労働?」

「ええ。元気になったら、薪割りと雪かきをお願いしますね」


 タダ飯ぐらいを置くつもりはありません。

 私がそう告げると、彼はきょとんとして、それから――


「ふっ……くくっ」


 低く、掠れた声で笑いました。


「私に薪割りを命じるとは。……いいだろう。契約成立だ」


 その笑顔は、最初に見た死人のような顔とは別人のように、存外に魅力的でした。

 少しだけ、心拍数が上がった気がします。

 おそらく、室温の設定が高すぎたせいでしょう。


 こうして、私の静かな一人暮らしは、たった一日で終わりを告げました。

 謎の同居人(大型犬系、エサ代かかりそう)との生活の始まりです。

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