第3話 「君の声は耳障りだ」と言われたので結界に引きこもっていたら、なぜか国一番の魔導師様が転がり込んできました
「……生きていますね」
私が脈を確認すると、男性の首筋で微かな拍動を感じました。
ただ、酷い状態です。
全身が氷のように冷たく、魔力は枯渇寸前。
おまけに頬はこけ、肋骨が浮くほど痩せています。
遭難者というよりは、過労死寸前のサラリーマンが山で行き倒れたような雰囲気です。
「放置すれば一時間以内に死亡。死体が庭にあると、腐敗臭で害獣が寄ってきます。それは非効率です」
私は結論を出しました。
拾いましょう。
これも「整頓(あるべき状態に戻す)」の一環です。
私は空間に手を差し入れました。
「取り出し(アウト):『自動搬送用担架』」
現れたのは、白いシーツが張られた車輪付きの担架です。
本来は戦場の野戦病院で使われる魔導具ですが、王家の倉庫で埃を被っていたのを回収しておいたものです。
私は男性の体を魔法で少し浮かせ、担架に乗せました。
七十キロはありそうな大柄な体ですが、私の魔法なら指一本触れずに移動可能です。
そのままコロコロと担架を押し、ログハウスの中へと運び込みました。
◇
客室のベッドに彼を寝かせました。
ここからが少々、事務的な作業になります。
「衣服が濡れていますね。これでは風邪を引きます」
私は躊躇なく、彼の上着のボタンを外しました。
異性の裸?
前世で介護施設の手伝いもしていましたし、今の私にとっては「濡れた布」を「乾いた布」に交換する作業でしかありません。
それに、このやせ細った体を見てときめく趣味もありませんし。
手早く下着姿にし、新しいリネンのシャツ(父用に買っておいた未使用品)を着せます。
そして、私のとっておきのコレクションを取り出しました。
「特級ハイ・ポーション。一本で金貨十枚の価値がありますが……まあ、死なれるよりは安い経費です」
青い液体を彼の唇に流し込みます。
喉がごくりと動き、顔色が青白から薄いピンク色へと変わりました。
呼吸も安定してきました。
「よし。あとは栄養ですね」
私はキッチンへ向かいました。
冷蔵庫(魔石冷却式)から野菜と鶏肉を取り出し、細かく刻みます。
消化に良いものを。
生姜を効かせた鶏ガラスープのお粥を作りましょう。
コトコトと鍋が音を立て、良い香りが部屋に満ちていきます。
一人暮らしの静寂も良いですが、誰かのために料理をするのも悪くありません。
見返りを求められる労働でなければ、ですが。
三十分後。
客室から、ガタッという物音が聞こえました。
◇
「……ここは、どこだ」
私がトレイを持って部屋に入ると、男性はベッドの上で上体を起こしていました。
警戒心剥き出しの鋭い視線。
アイスブルーの瞳が、私を射抜くように見つめています。
腰に手を伸ばしていますが、剣はありませんよ。玄関に収納しましたから。
「目が覚めましたか。ここは私の家です」
「家……? 森の中に、家などあるはずがない」
彼は眉間を押さえ、周囲を見回しました。
清潔な白い壁、磨かれた床、窓にかかるレースのカーテン。
そして、適度な温度に保たれた室内。
外の過酷な環境とは別世界です。
「幻覚か……? それにしては、頭痛がしない」
「頭痛がおありですか? ポーションを飲ませましたが、まだ痛むなら追加しますよ」
「いや……違う。静かだ。静かすぎる」
彼は呆然と呟いています。
まだ意識が混濁しているのでしょうか。
私はベッドサイドのテーブルにトレイを置きました。
「とりあえず、食事にしましょう。三日ほど何も食べていないようなお体でしたので、お粥を作りました」
「……毒が入っているかもしれん」
「毒を盛るくらいなら、庭で行き倒れている貴方をそのまま放置しています。そのほうが証拠も残りませんし」
私が淡々と言うと、彼はハッとして私を見ました。
少し言いすぎたでしょうか。
でも、事実です。
「……すまない。失礼なことを言った」
意外にも、彼は素直に謝罪しました。
王城の人間とは大違いです。
彼は警戒しつつも、スプーンを手に取りました。
そして、恐る恐るお粥を口に運びます。
「…………っ」
一口食べた瞬間、彼の動きが止まりました。
目を見開き、震える手で口元を覆います。
「どうしました? 熱かったですか?」
「いや……美味い。……なんだこれは」
彼は夢中でスプーンを動かし始めました。
ガツガツと、けれど品のある所作で、あっという間に平らげてしまいます。
よほど空腹だったのでしょう。
「温かい……。体が、内側から溶けるようだ」
「生姜と薬草を入れていますから、血行が良くなるはずです」
彼は空になった器を見つめ、深く息を吐きました。
その表情から、先程までの険しい警戒色が消え、幼子のような安堵が浮かんでいます。
「助かった。……礼を言う」
「お気になさらず。貴方が元気になれば、すぐに出ていってもらえますから」
私は空の食器を回収しました。
彼のような高貴な身分の男性(軍服の質からして高官でしょう)を長く置いておくのはリスクです。
面倒ごとは御免です。
「そうだな。長居をするつもりはない。私は帰らなければならない場所がある」
彼はふらつく足取りでベッドから降りました。
まだ病み上がりだというのに、責任感が強い方のようです。
「上着と剣は玄関に置いてあります。ですが、今はおすすめしませんよ」
「急ぎの公務があるのだ。恩に着る」
彼は私の制止を聞かず、部屋を出ていきました。
私はため息をつき、その後を追います。
玄関のドアを開けた彼が、絶句して立ち尽くしていました。
ゴオォォォォォォ……!
目の前は、真っ白な世界でした。
猛烈な吹雪です。
視界はゼロ、気温は氷点下。
私の張った『結界』の外側は、地獄のような荒天と化していました。
山の天気は変わりやすいと言いますが、この森は特に魔力嵐が起きやすいのです。
「……なんだ、これは」
「申し上げたはずです。今はおすすめしない、と」
私は彼の背中に声をかけました。
「私の結界の外は、現在猛吹雪です。その体調で出れば、五分で凍死しますね。先程のポーション代が無駄になります」
「結界……? この嵐を、君が防いでいるのか?」
彼は振り返り、驚愕の表情で私を見ました。
そして、次に室内を見渡し、また外の吹雪を見ます。
薄いガラス一枚を隔てて、極寒の死地と、常春の楽園が隣り合わせている異常さ。
それに気づいたようです。
「君は……何者だ? これほどの規模の環境制御結界を、魔石もなしに維持するなど……帝国の魔導師団長でも不可能だ」
「ただの一般市民です。少し整理整頓が得意なだけの」
私は眼鏡の位置を直しました。
正体を探られるのは好ましくありません。
「とにかく、嵐が止むまではここにいるしかありませんよ。諦めてベッドにお戻りください」
彼はしばらく外の吹雪を睨んでいましたが、やがて力尽きたように肩を落としました。
賢明な判断です。
「……迷惑をかける」
「家賃は労働で払っていただきますので、ご心配なく」
「労働?」
「ええ。元気になったら、薪割りと雪かきをお願いしますね」
タダ飯ぐらいを置くつもりはありません。
私がそう告げると、彼はきょとんとして、それから――
「ふっ……くくっ」
低く、掠れた声で笑いました。
「私に薪割りを命じるとは。……いいだろう。契約成立だ」
その笑顔は、最初に見た死人のような顔とは別人のように、存外に魅力的でした。
少しだけ、心拍数が上がった気がします。
おそらく、室温の設定が高すぎたせいでしょう。
こうして、私の静かな一人暮らしは、たった一日で終わりを告げました。
謎の同居人(大型犬系、エサ代かかりそう)との生活の始まりです。




