第10話 新しい「収納」場所。貴方の人生を、私の人生にしまっておくスペースはずっと空けてあります
小鳥のさえずりと、コーヒーの香ばしい匂い。
そして、パチパチと暖炉が燃える音。
森のログハウスには、今日も平和な朝が訪れていました。
騒音も、理不尽な命令も、寒さもありません。
「……ふぅ」
私は湯気の立つマグカップを片手に、テラスに出ました。
目の前に広がるのは、私が所有者となった「帰らずの森」。
今では結界の調整も終わり、庭には季節の花が咲き乱れています。
以前と違うのは、私の隣に「彼」がいることでしょうか。
「ルチア、足元が冷えるぞ。これを」
背後から、ふわりと温かいショールをかけられました。
アレクセイ様です。
今日は公務がないため、私が縫った生成りのシャツを着て、リラックスした表情を浮かべています。
あの「氷の悪魔」と恐れられた宰相閣下が、今ではすっかり過保護な愛妻家の顔です。
「ありがとうございます。ですが、室温は二十二度に設定していますので寒くはありませんよ」
「念のためだ。君は自分の管理は完璧だが、たまに無理をするからな」
彼は自然な動作で私の腰に手を回し、テラスの椅子に並んで座りました。
この距離感にも、だいぶ慣れてきました。
最初の頃は心拍数が上がって「非効率だ」と嘆いたものですが、今ではこの体温がないと落ち着きません。
「仕事の進捗はどうだ?」
「順調です。帝国魔導院からの質問状にはすべて回答しましたし、新しい『魔導冷蔵庫・改』の設計図も納品済みです」
私は帝国の「特別技術顧問」という肩書きをいただきました。
出勤義務なし。完全在宅勤務。
私の『収納魔法』や『生活魔法』の理論を提供するだけで、王城時代の給与の十倍が振り込まれます。
適正な評価とお金。
素晴らしいです。
「魔導院の連中が騒いでいたよ。『天才だ』『神の啓示だ』とな。君の考案した『家事効率化理論』は、帝国の生活様式を一変させるだろう」
「大袈裟ですね。ただのズボラ……いえ、効率化の追求です」
私が謙遜すると、アレクセイ様は優しく笑い、私の手を取りました。
「ルチア」
「はい」
「そろそろ、真面目な話をしてもいいか?」
彼の声色が、少しだけ変わりました。
真剣で、熱を帯びた響き。
私はマグカップをテーブルに置き、彼に向き直りました。
眼鏡の位置を直す指が、少し震えたのは内緒です。
「……どうぞ」
「先日、君の『森』をもらう契約をした。だが、まだ足りないものがある」
彼は懐から、小さな箱を取り出しました。
装飾のない、シンプルなベルベットの箱です。
パカッ、と蓋が開くと、そこには透き通るような青い宝石――最高純度の氷魔石で作られた指輪が輝いていました。
「君の『人生』が欲しい」
ストレートすぎる言葉に、息が止まりそうになります。
「私はこれまで、仕事と魔力に追われ、孤独に生きてきた。世界はうるさく、冷たかった。……だが、君に出会って初めて、呼吸ができた」
「……アレクセイ様」
「君の作る空間だけが、私の安息地だ。だが、それ以上に……君という存在そのものが、私にはなくてはならない」
彼は私の左手を取り、指輪を指先に触れさせました。
まだ、はめません。
私の許可を待っています。
「契約結婚でも、形だけの夫婦でもない。私は、君を愛している。一人の女性として、生涯守り抜きたい」
「…………」
「ルチア。君のその完璧に整理された『収納』の中に、私という荷物を置く隙間は……あるだろうか?」
ずるい言い方です。
そんなふうに言われて、断れるはずがありません。
私は自分の胸に手を当てました。
かつて、そこは空っぽの倉庫でした。
感情を殺し、ただ淡々とタスクをこなすための場所。
でも、今は違います。
彼との思い出、温かい食事、静かな夜、触れ合う体温。
たくさんの「幸せ」で満たされています。
でも、一番特等席のスペースは、まだ空けてありました。
最初から、彼のために。
「……非効率ですね、アレクセイ様」
「え?」
私がいつもの口調で言うと、彼は不安そうに目を瞬かせました。
私はくすりと笑い、彼の手を取りました。
「隙間なんてものじゃありません。一番広くて、一番管理が行き届いたスペースを、ずっと空けて待っていたんですから」
「ルチア……!」
「早く収納ってください。このスペースは、貴方専用(予約済み)ですので」
私が左手を差し出すと、彼は震える手で指輪を薬指に滑り込ませました。
サイズはぴったりです。
氷の魔石なのに、指輪はとても温かく感じました。
「……ありがとう。愛している」
「私もです、アレクセイ」
彼が顔を近づけ、私たちの唇が重なりました。
甘く、深い口づけ。
小鳥の声も、風の音も遠のき、世界には私たち二人だけの静寂と熱がありました。
これが、私の求めていた「癒やし」。
誰かに必要とされ、誰かを愛する充足感。
◇
それから数ヶ月後。
「ルチア、帝国から新しいカカオ豆が届いたぞ。これで新作のチョコを作らないか?」
「いいですね。では、私はクルミをローストしますから、アレクセイは殻割りを」
「任せろ。氷魔法で綺麗に割ってみせる」
私たちの森の生活は、相変わらず賑やかで、そして穏やかです。
噂によれば、ルマニア王国は財政再建のために四苦八苦しているとか。
カイル元王子は修道院の畑で「土が服についた!」と泣きながら芋を掘っているそうです。
まあ、私には関係のない話です。
私は今、キッチンで並んで立つ夫の背中を見つめました。
黒いエプロンが似合う、世界一かっこいい宰相様。
「……幸せですか、私」
小さく呟くと、
「ん? 何か言ったか?」
と彼が振り返りました。
「いいえ。今日も平和だな、と思っただけです」
「そうだな。……君がいるからな」
彼は嬉しそうに笑い、私の頬にキスをしました。
婚約破棄から始まった私の断捨離人生。
不要なものを捨てて、本当に大切なものだけを残した結果、最高に素敵なパートナーと居場所を手に入れました。
私の『収納魔法』には、これからもたくさんの幸せな思い出が詰め込まれていくことでしょう。
もちろん、きっちりと整理整頓して、いつまでも大切に。
これにて、私のお話は「収納完了」とさせていただきます。
(完)




