第06話「ダサTと胸の突起と太ももと」
アジの南蛮漬けは、作り置きしようと多めに仕込んでいたのが幸いした。
冷凍していたご飯を温め直すだけで、三人分の夕飯が間に合ったのは奇跡に近い。
「うっわ、なにこれ! めっちゃうま! サクッとジュワって、濃い味さいこー!」
目を輝かせたティアナの箸が止まらない。
ひと口食べるごとに新しい発見でもあるみたいに、声を上げている。
酢と鷹の爪の匂いに少し躊躇していたリュシアも、一口食べたあとはゆっくりと噛みしめている。
ごはんと南蛮漬けを一緒に飲み込み、ぽつりとつぶやいた。
「すごい……食材の質感、温度、香り、舌触り、味の変化……すべてが一つの料理の中に、同時に存在している……」
「分析モード入ってるな」
「いえ、でも……これほど多層的な体験は、チューブ食にはありませんでした。たった一皿で、五感が全部揺さぶられるなんて……。本当に、地球の食文化は――すごいです」
その言葉は、決して理屈だけじゃなかった。
リュシアの瞳がわずかに潤んでいるように見えて、俺はなんだか少し照れくさくなった。
「ごちそーさまでした! ねぇユウリ、明日も作ってよ、ねっ?」
「いや、毎日南蛮漬けはきついだろ」
「だって今まで食べたご飯の中で一番おいしいんだもん☆」
「今日はたまたまだからな。毎日凝った料理なんてしないぞ」
「えー?」
「そ、そうなのですか……」
ティアナはともかく、リュシアまで本気で落胆している。
俺は「まぁ気が向いたらな。またなんか作るよ」と食器を下げた。
食洗機とお風呂のスイッチを入れ、リビングに戻ると、リュシアしかいない。
「あれ? ティアナは?」
「部屋に荷物を置いてくると言っていました」
二階から「なにこれ?! カワイイー☆」という声が聞こえてくる。
就職して今は一人暮らしをしている姉ちゃんの部屋あたりだ。
「おいおい! 帰省したときには姉ちゃんが使うんだから、汚すなよ!」
階段を上りながら声をかける。
後ろから、宙に浮くトランクケースを引き連れたリュシアが続いた。
部屋に入ると、ティアナは姉の子どもの頃の服を引っ張り出して、次々に身体にあてがっている。
中学以降、全寮制の学校にスポーツ推薦で入った姉のクローゼットには、小学生時代の服しか入っていないのに、サイズはだいたいぴったりのようだった。
「このふわもこでピンク色のネコちゃん服! サイコー☆」
「それパジャマだろ……あ、パジャマとか持ってるのか?」
「いえ、ホテルではタオル地のガウンを使用していましたが……」
「パジャマ! これがパジャマ! そっか~、すごく地球って感じする~!」
言葉を濁すリュシアに、俺はクローゼットを探してみる。
でもやっぱり小学生サイズの服では、さすがにリュシアが着られそうなものはなかった。
「ティアナはそのパジャマ使っていいぞ」
「わーい! ヤバ~い、カワイイ~! 地球って神じゃん!」
「リュシアは……サイズが合わないからな……。なんか適当に俺の服持ってくるよ」
「ありがとうございます。助かります」
ちょうど湯船がたまった音楽が鳴っている。
お風呂まで案内して、ドアを閉めた。
リビングまで、ティアナのはしゃぐ声と水の跳ねる音が聞こえる。
同じ屋根の下、今まさに美少女二人が全裸になって――いやいや、何を考えてんだ。
テレビの音を不必要に大きくして、俺は雑念を振り払うことに集中した。
――風呂から上がったティアナは、ピンクのキャラものパジャマを着てはしゃいでいた。
リュシアはダボダボのダサTにハーフパンツ。
足が……長い。
太ももの威力が半端ない。
それ以上に、胸に描かれたゆるキャラの両サイドに見えるあの突起は……。
無理矢理に視線を剥がして、俺も風呂に向かう。
二人がつかった湯船には、罪悪感がのしかかってきて、入ることはできなかった。
そして就寝の時間。
「無理だしー。ティアナ、けっこう神経質だから。おねぇちゃん寝相も悪いし、絶対ムリムリ☆」
ティアナは姉のベッドを占領して、バタバタと足を振り回している。
リュシアは真顔で首を傾げた。
「でも使えるベッドが二つしかないのですから……ユウリさん、一緒に寝ていただけますか?」
「ちょ、ま、何言って――!」
「私、寝つきはよいのです。なるべく端のほうに寝ますので――」
結局、俺はリビングのソファで寝ることになった。
深夜。
腰が痛い。
ソファは思った以上に狭く、雨上がりの夜気が毛布をすり抜けてくる。
そもそもあんな教育に悪そうな格好を見せられて、健全な高校男子がすぐに眠れるわけがない。
幸い明日は土曜だ。
もぞもぞと体を起こして、冷たい水でも飲もうかとキッチンの明かりをつけた。
「……ユウリさん?」
静かな声に振り返ると、階段の影からリュシアが姿を現した。
胸元と太ももが、また視線を奪う。
「どうした?」
「少し……神経が高ぶっているようです」
「そっか」
冷蔵庫から取り出した冷たい水をコップに注いで、ふたり並んでダイニングテーブルに腰かけた。
「今日は……今までにない驚きがいっぱいの一日でした」
「俺もだよ。ていうか、宇宙人と暮らすなんて驚かないヤツいないよな」
少し笑顔を見せ、リュシアがふと天井を見上げる。
俺もつられて視線をあげると、ダイニングの天窓から二つの月がのぞいていた。
宇宙人と同居する俺。
月が二つある地球。
どちらもちょっと前には、誰も想像すらできなかったことだ。
それでも、今はそれが俺の日常なんだと、急に腑に落ちた。
「……明日、服買いに行こうな。パジャマとかさ」
「はい。……楽しみです」
そう言って、彼女は水を飲み干して立ち上がる。
「では、もう一度。おやすみなさい」
優雅に微笑み、彼女は名残惜しそうに階段を上って行く。
月明かりだけが残るリビングで、俺は今ならゆっくり眠れそうだと思った。