第05話「雨と文化と地球の普通」
六月の雨。
空はどんよりと灰色で、しとしとと音を立てて傘を打ち続けている。
俺は傘を片手に雨道を歩いていた。
なぜか相合い傘で俺の傘に入っているリュシアと、アニメのキャラクターが単色でプリントされた小さな傘のディアナ。
まるで家族連れのように、三人で一緒に歩いていた。
「……これが、雨、ですか」
俺の左で、リュシア・セレナが、傘の内側からぽたりと垂れた一滴を指先で受け止める。
そのライラック色の瞳が、好奇心に濡れていた。
「そうだよ。シャワーとおんなじようなもんだろ?」
「シャワーは毎日使うよ☆」
「しかし“降水”という現象は知識として知っていましたが初めてなのです。……なるほど、水分を細かく散布することで、周囲の温度と視界を変化させているのですね。とても興味深い」
「なんか分析的だな……」
俺はぼそっと返す。
正直、傘に興味津々な宇宙人と雨の中を並んで歩いてるのは楽しい。
特にそれが、タイプの違う美少女二人って時点で、もうだいぶ非日常的で胸が高鳴った。
「でも傘ってめっちゃ便利~!」
右側から聞こえてきたのは、ティアナの明るい声。
パステルピンクの子供用キャラ傘をブンブン振り回しながら、ご機嫌そのものだった。
「カワイイし、世界観つよいし、雨の日にテンション上がるアイテムとか、地球最強な感じ~!」
世界観が強い……?
よくわからんが、まあ楽しそうでなによりだ。
「でさ、ここまで歩いてきて言うのもなんだけど、リュシアたちって、どこに泊まってんの?」
俺がなんとなく尋ねると、ティアナは得意げに答えた。
「“地球外来賓応接施設・東京第3分棟”! 超広くて、黒服のお兄さんいっぱい! ご飯も出るし、おっきなシャワールームもあるし、もうサイコー!」
……って、要するに政府が用意したVIP用の宿舎か。
俺は苦笑いしながら、小さくつぶやいた。
「へぇ……文化交流って言っても、警備付きの高級ホテル暮らしじゃ、地球の日常を知るってわけにはいかないようだな」
その一言に、ぴくりと反応したのはティアナだった。
ほんの一瞬だけ俺を見たその表情には、なにか企思いついたような光が宿っている。
「ふ~ん……確かに」
その言葉の余韻が消える前に、スマホを取り出して、誰かに手早くメッセージを送り始めた。
「ん? 誰に連絡してんだ?」
「んー、地球のえらい人たち~? こっちに来たときにもらった“文化交流特別回線”ってやつ、めっちゃ便利なんだよね~!」
えらい人……?
文化交流特別……なに?
ちょっと気になったが、ティアナはにこにこしているし、リュシアは空を見上げながら「こんな色の雲も初めて見ました……」とか言ってるし、もう俺一人だけが置いてけぼりだ。
そのまま、ふわっとした違和感だけを胸に抱えて、俺はSPがガッチガチに警護している、巨大なホテルまで二人を送り届けた。
「雨の中、ありがとうございました」
「じゃ、おにぃちゃん。またあとでね☆」
ティアナの挨拶は気になったが、「日本語になれてないせいだろう」とあまり気にせず、二人と別れた。
──そして、夜。
親はどっちも長期の海外出張で、姉はもう就職してしまったため、食事や掃除などの家事は俺の役目だ。
今日はスーパーで小ぶりなアジが安く売っていたので買い求め、南蛮漬けにするつもりで台所に立ったところだった。
台所の窓の外から静かなエンジン音が近づいてくるのを聞いた。
この辺は住宅地の奥の方なんで、知らない車が入ってくることはめったにない。
それに、いやに高級そうな音だ。
不思議に思ってリビングのカーテンを開けてみると、家の前に黒塗りのハイヤーがハザードを出していた。
「……え? 俺ん家?」
心当たりはない。
サンダルをつっかけて玄関を開ける。
親父とお袋にSNSを送ってみた。
『ぼくは研究で忙しいから、家のことはママに任せてるよ。今度のスペーススーツはNASAと共同開発中でね、すごくカッコいいんだ。そのうちキミにも見てほしいな。じゃあね、マイサン』
『あ、忘れてた、今日から異文化交流ホームステイに選ばれたんだって。名誉なことじゃない。地球の評判落とさないようにね。がんばんなさい』
……なんなんだうちの親は。
黒いスーツのSPが運転席を降り、周囲を確認して後部座席を空ける。
同時にトランクが自動で開き、スーツケースが二つ、地面にゆっくりと降り立った。
「というわけで、お世話になるよ~♡」
車から降りてきたのは、ティアナだった。
にっこにこで、手を振っている。
「……それでは、ユウリさん。これからよろしくお願いいたします」
その隣には、制服姿のままのリュシアが、姿勢を正し、丁寧にお辞儀していた。
「…………え?」
なんで?
え、なに? どういうこと?
俺は頭が追いつかず、玄関の脇にいた黒服のSPに声をかけた。
「あの……これ、つまりどういう……?」
「本日、文化交流の一環として、地球の一般家庭における生活体験が正式に承認されました。先ほど、関係各所の許可も下りています」
「いや、関係各所って……」
さっきの親のSNSを思い出す。
あの反応を見る限り、親は籠絡済みってことか。
俺は無言でスマホをポケットに突っ込んで、ゆっくりと手で顔を覆った。
「……マジで地球、ちょろすぎだろ……」
そんな俺を見て、ティアナはますます楽しそうに笑うのだった。