第49話「侵入者、ユウリ」
吸い込まれるように、転がり込んだ船内は、静まりかえっていた。
倒れた瞬間だけ、床は柔らかく変化し、衝撃はほとんどない。
ヘルメットを首の後ろにぶら下げたまま、リュシアの部屋はどこかとキョロキョロしている俺の目の前で、リュシアのカードに“日本語”のメッセージが浮かんだ。
<最短ルートご案内~:ティアナより☆>
「……は?」
メッセージはすぐに消える。
次に表示されたのは、刻々と表示される、カウントダウンだった。
<3・2・1・スタート♡>
嫌な予感が頭のてっぺんから足の先まで駆け抜ける。
直後、床が斜めに傾き、俺の身体が滑り出した。
「っ!?」
ジェットコースターの比じゃないスピード。
曲がり角ごとにGがかかり、視界がブレる。
転ばないように足を前に出すことだけに集中し、俺は、ものすごいスピードで、いくつもの扉を駆け抜けた。
<ナイス! 次は無重力ゾーン突入だよ~♪>
「おまっ……絶対楽しんでんだろっ!」
知らない言語で書かれた注意書き。
最後に床を蹴った俺の足が、どこにも触れることのできない空間に放り出される。
方向感覚がぶっ飛んだ。
視界の半分を、巨大なQ.E.E.T.装置が覆った。
<Q.E.E.ドライブに触れたら蒸発するからね☆>
「そんなヤバいとこをコースにすんなっ!」
手足を伸ばし、配管にしがみついて進む。
やっと空間の反対でリュシアのカードに反応した扉に取り付き、蒸発の部屋を抜ける。
ほっとしたのもつかの間。
長い廊下、左右交互に等間隔の黒い物体がにょきっと生える。
初めて聞く館内放送の無機質な声が、日本語で、つまり俺に向けて告げた。
『警告します。個体識別名:ユウリ。あなたには、当該エリアの使用権限が付与されていません』
黒い物体から、触手のようなものがぺろんと生えた。
『速やかに捕獲します』
なんかヤバい。
俺に向かってにょろにょろと伸びる触手に、トリハダが立つ。
<次のゾーンはジグザグ推進で突破! 秒速2.4メートル維持してねっ♡>
「そんな速度――」
言い終わるまえに、重力の向きが前方へ90度変わる。
有り体に言えば、俺は《《前方に向かって落ち始めた》》。
壁を蹴り、触手を避けて反動で前へ。
一度かすった触手が、顔の皮膚を3センチくらい持って行った。
汗と血が視界をさえぎる。
ふと気がつけば、正面に壁。
衝突する!
そう観念した瞬間、横Gが俺の身体を吹き飛ばした。
「ぐっ、うっ、うおっ!」
床を何度かバウンドする。
酸素が一気に肺から抜け、目の前が真っ白になった。
息が――できない。
<あぁれれ〜? ざこユウリはもうあきらめちゃったのかなぁ? ざぁこ♡ ざぁこ♡>
「くっそ、……今の俺が、リュシアをあきらめると思ってんのかよ!」
吐き気をこらえ、壁に手をついて立ち上がる。
その後も、いくつかの無謀な挑戦を乗り越え、俺は最後のゲートにたどり着いた。
リュシアのカードが電子音を鳴らし、ゲートが開く。
腕も足も何もかもが限界に達した俺は、ふらふらと部屋の中へと進んだ。
「なにが……最短距離だ……」
そうつぶやき、膝をつきそうになったとき、俺の目に天使の姿が映った。
銀色で、貴金属のような光沢がある長い髪。
白磁のようになめらかで白い肌。
そして、澄み切った青空に、ライラックの花が咲いている瞳。
部屋の中で、静かに本を読んでいたのは――リュシアだった。
「……ユウ……リさん……?」
数秒の沈黙。
動かないはずの足が動く。
彼女に少しでも近づきたくて、俺は一歩前に出た。
言葉なんて、出てこない。
それでもいいと思った。
リュシアも、何も言わず、立ち上がることもできない。
けど、瞳はまっすぐに、俺を見つめていた。
その瞬間、ドアが音を立てて開いた。
「おまたせ〜☆ って、あれ? 今までなにやってたの? もぅめんどくさ!」
背後からティアナの声。
振り返るのも間に合わず、俺は背中に衝撃を感じた。
「――ぐえっ!?」
ドロップキック。
俺の身体はリュシアに向かって突っ込み、一緒にベッドに倒れた。
気づけば至近距離に、リュシアの顔。
俺はその姿勢のまま、こころから湧き上がる言葉を素直に口にした。
「ごめん、待たせたなリュシア。俺は決めたよ。その場所がセレーネだろうが、地球だろうが、一生、お前を守るって。リュシア、俺はお前だけを愛し続ける……だから――」
自分で自分の正直な言葉に驚き、俺は息を呑む。
それでも、やっぱり湧き上がる言葉に間違いはないと確信し、笑顔と共に、そのいのりにも似た言葉を綴った。
「――俺と、結婚してくれ」
ほんのわずかな静寂。
そして。
「はい!」
大粒の涙とともに、リュシアが笑った。
俺の首に手を回し、事故ではない、本当の……キス。
返事と、柔らかい唇の感触と、甘い香り。そのすべてで、こころが解放された。
「終わった? じゃ、時間もないし、逃げよっか☆」
余韻も何もなく、ティアナがあっさり言ってのける。
……と、そこでやっと、俺は我に返った。
「あ、でもスペーススーツ、ひとつしか――」
「あったりまえじゃん! なに? もしかしてティアナたちを生身で2,000メートル上空に飛ばす気だったの? ユウリってほんとバカ☆」
「ユウリさん、脱出ポッドをひとつ――」
リュシアが言葉を引き継ぐ。
「――盗み出せば問題ありません」
あのまじめなリュシアから「盗む」なんて言葉が出るとは思わなかった。
「え?」
思わず出た間抜けな声。
聞き返した俺に、リュシアはすごみのある笑顔を見せた。
「リュシア……なんか、性格変わってない?」
「ユウリさんがここまで来てくれたのです。私も……覚悟を決めました!」
その横で、ティアナがふふんと鼻を鳴らす。
脱出ポッドまで、あと少し。
俺たちは、地球へ向けて走り出した。




