第21話「リュシアの笑顔」
初めて聞いた「遺伝子適合度」という言葉。
今まで信じていた関係が、すべてAIの決定にすぎない――そんな疑念が、心を真っ黒に塗りつぶしていく。
それからの俺は、二人とあまり口をきかなくなった。
放課後はひとりで帰り、コンビニ弁当で夕食を済ませた。
家にいても、なるべく自室にこもって顔を合わせないようにした。
リュシアは何も言わなかった。
ただ、少し困ったように、でも責めるでもなく、いつも通りに振る舞おうとしてくれていた。
それが、逆に苦しかった。
「……ユウリさん」
ある晩、俺が冷蔵庫の中をあさっていると、背後からリュシアが声をかけてきた。
振り返らず、返事もせず、冷蔵庫の前でじっとしている。
リュシアもそれ以上何を言っていいのかわからなかったのだろう。
重い空気の中、場違いにも聞こえるテンションで、ティアナが「はいはい☆」と割って入った。
「ユウリ、今日はティアナがごはん作ってあげるねっ♪」
「いや、いいよ……」
「よくないっ! たまにはちゃんとしたもの食べなきゃ、おっきくなれないよ?」
ティアナは制服の上からエプロンをつけてキッチンに立ち、手際よく料理を始めた。
あっという間に、オムライスと生野菜のサラダ、わかめスープが食卓に並ぶ。
サラダはカット野菜を盛り付けただけ、スープはインスタントだったが彩りはよく、食欲をそそる匂いが部屋に広がった。
「ほらほら、おいしそうでしょ? あーん♪」
オムライスを一口。
わざとらしく目の前にスプーンを持ち上げる。
リュシアを見ると、彼女は何とも言えない顔をして目をそらした。
俺の苦しみの何百分の一でも、リュシアにも感じてほしくて、スプーンを口に入れる。
味は、ちゃんとうまい。
でも、二人のいるこの空間に耐えられず、俺は立ち上がった。
「……ごめん。やっぱ食欲ない」
「大丈夫ですか? もしかして熱があるのでは……?」
リュシアもそっと立ち上がって、俺の額に手を伸ばす。
その動きに、俺は思わず椅子を蹴飛ばすようにして、身体を引いた。
「……大丈夫だ! かまわないでくれ!」
自分でも驚くような声が出た。
リュシアは驚いたように手を胸元に戻す。
傷ついたリュシアの顔が写真のように網膜にこびりつく。
胸の奥からドス黒い何かが湧き上がる。
怒鳴りたかったわけじゃない。
ただ、今はどうしても触れられたくなかった。
「……ごめん。疲れたから寝るわ」
それだけの言葉をなんとか絞り出す。
リュシアは両手を胸の前で握って「いえ、すみません……」と小さく答えた。
「ユウリはがんばりすぎてたもん。またティアナがごはん作ってあげるね☆」
「そうですね、今度は私も一緒に――」
「――おねぇちゃんは、エリオと一緒に生徒会のお仕事で忙しいでしょ! ユウリのことは、ティアナにまっかせて☆」
ティアナが、にんまりと笑ってリュシアの言葉をさえぎる。
その言葉は、俺の気持ちの代弁だった。
リュシアは何も言わずに目を伏せる。
俺は「エリオ」という名前が出ただけで、また心が鈍く沈むのを感じていた。
――数日が過ぎた。
俺は相変わらず、部屋にこもる日々を過ごしている。
学校でもほとんど誰とも話していない。
「……何やってんだ、俺は」
ベッドの上で、思わず独り言が口をついて出た。
すねたガキみたいに逃げ回って、それが何になるってんだ。
本当に俺が知りたいのは、リュシアの“心”のはずなのに。
ベッドに身を起こす。
夕方の空から、ぽつぽつと水滴が落ちる音が鳴り始めた。
リュシアは今日も生徒会の仕事で帰りが遅い。
胸のざわつきが俺を動かす。
傘を手に取り玄関に向かうと、待ち構えていたように、ティアナが顔を出した。
「おねぇちゃんのとこ?」
「ああ」
「そっか。……じゃ、いっしょに行こ☆」
空はもう真っ黒い雨雲に覆われている。
リュシアの分の傘を持って、ティアナと二人、学校へと向かう。
角を曲がって見た校門の前に、黒塗りの車が止まっていた。
雨の中、傘も差さずに、エリオがドアを開けて誰かを誘う。
頭を下げて乗り込んだのは、リュシアだった。
ドアを閉め、車のエンジンがかかる。
リュシアは笑っていた。
ここ数日見ていなかった、あの柔らかな微笑みを、隣のエリオに向けて。
一瞬、運転席のミラー越しに、エリオがこちらを見たような気がした。
車は何もなかったように走り去っていく。
俺たちとは反対方向――まるで、別の世界に向かうように。
「……あーらら」
ティアナが横で軽く肩をすくめる。
まるで面白いものでも見たかのように、その口はにんまりと笑っていた。
「傘、無駄だったね☆」
頭がクラクラする。
心の奥から雨雲が湧き出てくるようだ。
「ねぇねぇ、どこかよって帰ろっか☆」
ティアナは自分の傘をたたみ、リュシアの分の傘と合わせてぶら下げる。
そのまま俺の腕に絡みついて傘に入り込み、ネコのように頬をすり寄せ、……笑顔をくれた。
リュシアの笑顔はもう、俺には向けてもらえないのかもしれない。
今は、俺に笑顔をくれるのなら誰でもいい。
そう思った。




