第02話「いくら宇宙人が可愛くても結婚はないだろ」
その日、生徒全員がざわめいた。
六月のくもり空、蒸し暑い体育館。
全校集会の壇上に現れたのは——
貴金属のような光沢の銀色の髪。
ライラックの花が咲いたような、透き通る紫の瞳。
すらりと長い手足が伸びるシルエットは“人ならざる”雰囲気があった。
俺らと同じ、学校指定の制服――クラシカルなセーラー服――を身にまとっているはずなのに、まるで月の光をそのまま人の形にしたような少女がそこに存在していた。
ざわ……ざわ……
あれが、本当に『宇宙人』なのだろうか。
タコ型でもリトルグレイでもない。
どよめきが体育館全体に波紋のように伝播する中、彼女は学園長に誘われ、マイクの前に立つ。
「地球の皆様、初めまして。わたくしは、リュシア・セレナ。セレーネより、文化交流のためにまいりました」
完璧な発音。
完璧な日本語。
涼やかなガラスのベルのような声色。
日本人の俺たちが見ても惚れ惚れしてしまうような美しい所作で、彼女はすっとお辞儀をした。
「本日より、よろしくお願いいたします」
その瞬間——
「はい! 結婚します!!」
叫んだのは、前の列のケンゴだった。
体育館は完全にフリーズ。
「おいバカやめろ」
俺がケンゴの肩をつかむのと、生活指導の筋肉バカが走り出したのはほぼ同時。
いつもの悪乗りかと思ったが、ケンゴの目は意外にも結構マジな感じだった。
筋肉バカがケンゴを羽交い締めにし、引きずっていく。
「ちがうんすよ先生! 一目惚れってあるじゃないすか! あと、なんか……こう、使命を感じたっていうか!」
「黙れ! 失礼だぞ! どうしていつもそうやって問題ばかり起こすんだ!」
女子たちは引き気味に笑い、男子はケンゴを指さして爆笑している。
でも、俺は笑えなかった。
どうしても、壇上の少女に視線を奪われていく。
ざわめきの中、少女の瞳はケンゴの上を素通りし、視線が絡まる。
静かな微笑みに、俺の体の中で、心臓が「どくん」と音を立て、跳ねた。
——そして、彼女は歩き出す。
ふわりと、まるで無重力の中を漂うように。
ステージから降り、持ち上がりそうになったスカートの裾を押さえ、まっすぐ、こっちに。
……こっちに!?
「あなたが……ユウリさん、ですね?」
「えっ、あ、うん」
いきなりファーストネームを呼ばれて、喉がカラカラに渇いた。
銀の髪がふわりと揺れる。
近づいてみて初めて、髪は完全な銀色ではなく、毛先に行くにしたがって、瞳と同じライラックの花の色に染まっていることに気づいた。
いや、そんなことはどうでもいい。
肌のきめが細かい。
化粧をしている訳ではなさそうだが、なめらかで、つやつやしていて、皮をむいたゆで卵みたいだ。
いやだから、そんなことはどうでもいいんだ。
一人混乱している俺をよそに、落ち着いた表情の転校生が、俺の目の前で歩みを止める。
顔の半分くらいあるんじゃないかと思うほど大きな薄紫の瞳が、真っすぐ俺を映していた。
「お顔は、事前資料と一致しています。お話ししたいと思っていました」
「え……?」
「これは、地球的な挨拶方法で合っていますか?」
そう言って、すっと俺の手をとった。
冷たくて、乾いていて、柔らかい。
体育館にまた、波のようなざわめきが広がった。
「ちょまっ、おいユウリ! 近くない!? これ近すぎない!?」
引きずられながらも、ケンゴがうめく。
俺は、緊張の手汗と、16ビートを刻む心臓の音がバレやしないかと、ただずっと硬直していた。
「間違っていますか?」
「いや、あ、だい……じょうぶ」
「よかった。よろしくおねがいしますね。ユウリさん」
「だいじょばないよ! リュシアちゃん! くっそおおおおお、地球代表の座をおおお……!」
ケンゴの叫びで、俺はやっと正気を取り戻す。
ごくりとつばを飲み込み、離してもらえない手を引いた。
本当だ。
信じてほしい。
ただ手を引いただけなんだ。
その小さな力で、彼女の軽い身体は、俺の胸の中に倒れ込んだ。
ふわりと、ラズベリーのような甘酸っぱい香りがあふれる。
「あ、すみません」
「あ、あ、えっと、ご、ごめん」
はずかしそうに「地球の重力になれていないものですから」と言った彼女の言葉は、全生徒からの大きなどよめきとはやし立てる声、そしてケンゴの悲鳴に隠れて体育館の天井に消えた。
本当にこの美少女が宇宙人だとして。
その目的が地球征服だとしたら。
俺は真っ先に地球を裏切ってしまう自信がある。
初めて湧き出した知らない感情に、熱い血流が体中を駆け巡って……。
熱に浮かされたまま、俺は17年の短い人生の中で初めて――恋に落ちた。