兄が変人を理由の婚約破棄……思わぬ薔薇色の幸せに繋がっていました
「コンスタンス、君との婚約は破棄させてもらう」
卒業パーティーの華やかな音楽や笑い声を背に、男爵令息ショーン・グライドンは冷たく言い放った。
子爵令嬢コンスタンス・メルヴィルは、壁際で孤独に立っていた。婚約者ショーンの姿を見つけた瞬間、自然とほころんだ笑顔が、その言葉で凍りついた。
「……どうして? 私たち、7歳のときから婚約してきて、10年間ずっと上手くいっていたじゃない」
声が震え、血の気が引いていくのがわかった。未来を共に歩むと信じていた相手が、まるで別人のように見える。
ショーンはわずかに目を伏せ、ため息をついて言葉を続けた。
「確かに君には助けられたよ。近衛の試験のとき、戦略図を書くのが苦手だった僕に付き合ってくれたし、君のお菓子の差し入れには和まされた」
彼の青い瞳がふっと遠くを見るように細められた。
「それに、ダンスが苦手だった君に何か月も付き合って練習したあの時間も、悪くなかった」
その言葉に、コンスタンスの心に一瞬希望が灯った。
彼も覚えている。
ふたりが喜びを共有し、困難を乗り越えてきた日々が確かにあったのだ。
けれど、その希望は次の瞬間、彼の言葉によって粉々に砕かれた。
「でも、それだけだ」
「……それだけ?」
ショーンは目を細め、厳しい声で言った。
「君には何度も話したはずだ。君の兄、ドイルさんのことが問題だ」
その名前を聞いた途端、胸がズキリと痛む。ここしばらく、彼が兄の行動に苛立ちを見せる場面が何度もあった。
「彼は奇妙な機械を作り続けている。それだけじゃない。『信号解析装置』の開発許可を却下されたのに、自宅で勝手に開発を進めているんだ。規則を無視する行為だよ。そんな危うい身内がいる君と結婚するわけにはいかない。僕は相応しい令嬢と結婚する」
「おかしいわ、そんなこと!」
コンスタンスは反射的に声を上げた。
「兄上が何を作っていようと、自宅でやっていることじゃない。それを……そんなふうに言われる筋合いはないわ!」
ショーンは一瞬意外そうな顔を見せたが、すぐに鼻で笑った。
「君はまだわかっていないんだな。近衛に入団する僕が誰と結婚するか。それがどれだけ重要かを。家の評判は、僕の未来に直結するんだよ」
彼の口元に浮かんだ笑みは冷たく歪み、かつての優しさは微塵も残っていなかった。
「僕は君のことを嫌いになったわけじゃない。でも、君の家は僕にとって足枷でしかない」
その一言に、コンスタンスの胸は締め付けられた。果実水のグラスを持つ手が震え、わずかに液体がこぼれそうになる。
立ち去るショーンを目で追ったコンスタンスは気づいた。
ショーンが向かった先には、後輩のシャーロットが微笑みながら待っている。
彼女は成績優秀で賢いと評判の令嬢で、両親は近衛の中間管理職と聞いている。しかし、女子生徒の間では「婚約者がいる男性を狙う癖がある」と噂されていた。
シャーロットは満面の笑みを浮かべ、ショーンに軽く手を振った。彼が迷いなく彼女の隣に立ち、自然な様子で言葉を交わす姿が目に入る。
シャーロットの微笑みは一見完璧だった。まるでそれが純粋な善意と愛のみに溢れているかのように見せている。
しかし、コンスタンスにはその裏にある計算が透けて見えた。
シャーロットはショーンの袖に軽く触れ、体をほんのわずかに近づけた。その仕草は、一見無邪気な後輩が先輩を慕う純粋な行為に見える。
だが、その目の奥には、冷たく計算された光が宿っていた。まるで必要なら誰かを踏みにじることさえ厭わないというような、生き方そのものを感じさせる表情だった。
ふと、シャーロットがコンスタンスの方を向いた。その瞬間、ふたりの視線が交差する。
シャーロットの唇がかすかに動き、薄く笑う。
その笑みは、まるで「あなたの負けね」と告げるかのように楽しげだった。獲物を確保した肉食獣を思わせる、その笑み……。
コンスタンスは言葉を失った。
胸の奥に怒りが込み上げる。それは、大声で叫び散らすような激しいものではない。むしろ、静かに燃え上がる冷たい炎のような怒りだった。
しかし、彼女は貴婦人らしく微笑み、その怒りを内に秘めた。
――もしここで感情を爆発させたら、彼らの思うつぼ。
そう自分に言い聞かせる。けれど、その理性は、彼女の心を守るどころか、かえって胸を締め付ける苦しさを駆り立てていた。
そんな彼女の視線の先で、ショーンは楽しげに笑いながらシャーロットと会話を続けている。
彼の少年らしい笑みには、何の疑念もない。
シャーロットの仕草や笑顔の裏に潜む意図など、彼には考えも及ばないのだろう。
彼にとって、シャーロットの「毒」など存在しないのだ。たとえ彼女が心の奥底で冷笑していようと、鈍いショーンにはただの「愛らしい後輩」にしか映らないのだろう。
「ショーンの馬鹿……」
彼女の唇からつぶやきが漏れる。壁際でひとりぼっちの彼女のその声を聞く者は誰もいない。
耐えきれず視線を逸らした。胸の奥にぽっかりと空洞ができたような感覚に襲われる。
――たとえ愚かでも、ショーンと共に成長していきたかった……。兄上が変人なせいで、それがダメになった。
その想いがじわじわと彼女の心を締め付ける。
***
メルヴィル子爵家の広大な庭園。その片隅に、ここ数か月ずっと異様な装置が鎮座していた。
鋼鉄のフレームは、まるで木の枝のように不規則に伸び、透明な球体がいくつもぶら下がっている。
その間を縫うように配線が絡まる。
近づくと、どこからともなく低い唸り音が聞こえた。スピアは青白い光を不規則に瞬かせ、まるで命を持つかのように脈動している。
卒業パーティーから帰宅したコンスタンスは、その異様な光景を目にして思わずため息をついた。
――これを片付けて……そう何度頼んだと思っているの?
兄ドイルが作っている「信号解析装置」とやらの新型。彼女が涙ながらに懇願したのもどこ吹く風。装置は以前よりもさらに大きく、目立つものになっていた。
これが貴族の庭にふさわしいものとは思えない。おそらく庭師たちは困惑しきっているだろうし、彼女自身もこの異様な物体に囲まれるたび、胸の中に落ち着かない感覚が湧き上がるのを抑えきれなかった。
「兄上」
ため息混じりに声を上げると、装置の向こう側から煤けた作業着を着た人影がゆっくりと現れた。煤と油汚れが染みついたその男の姿は、まるで労働者のようだ。動きにはどこか自信に満ちた独特の雰囲気があった。
男は装置の隅々を眺めながら、ぶつぶつと独り言を繰り返している。その声が徐々に近づくにつれ、ぼんやりと聞こえていた言葉の内容がはっきりしてきた。
「デライトリートは完璧だが、ウェーズソンパリンガの調整がまだ不十分だな……スピアの配置をあと6ミリ外側に広げれば、全体のバランスが向上する……」
ドイル・メルヴィル。メルヴィル子爵家の嫡男にして、世間から「変人」と呼ばれる男である。
「兄上!」
コンスタンスは苛立ちを抑えながら、もう一度声をかけた。
「ん?」
ようやく顔を上げたドイルの眼鏡は煤で曇り、レンズには指紋の跡がいくつも残っている。髪は乱れ、顔には薄く黒っぽい汚れがついていたが、本人はまったく気にしていない様子だった。
彼の表情は疲労の中に満足感を滲ませ、どこか子どものような無邪気ささえ漂わせている。
「また何をしているの?」
「見ればわかるだろう」
ドイルは装置を指差し、さも当然と言わんばかりの口調で答えた。
「これは『デライトリートを用いた信号解析装置』だ」
コンスタンスは眉をひそめた。
「信号解析? そんなものを庭に設置する必要がどこにあるの?」
「必要性の問題じゃない。実験環境に適しているかが問題だ」
「兄上、ここは子爵家の庭よ? 実験環境じゃないわ!」
ドイルは一瞬だけ彼女の方を見たが、それ以上何の反応も示さなかった。その代わり、再び装置に向き直り、スピアのひとつを軽く叩いた。
青白い光が一瞬強く輝き、低い唸り音が耳に響く。
「うむ、良い環境だ。風雨は結界機能で覆っているから大丈夫」
彼の声には純粋な満足感がにじんでいた。まるで他人の言葉などまったく耳に入っていないかのようだ。それがコンスタンスの苛立ちをさらに煽った。
「兄上、聞いてるの? 庭師たちがこれにどれだけ困っていると思っているの!」
「庭師が困っているなら、邪魔にならない場所に移せばいい」
ドイルは肩をすくめながら平然と言い放った。その言葉の軽さに、コンスタンスは怒りを通り越して呆れるしかなかった。
「移せばいい、ですって……」
絞り出すような声でそう言ったとき、ドイルは顔を上げた。しかし、その表情は妹を心配するものではなかった。
観察対象を見つけた科学者らしい好奇心に満ちていた。
「コンスタンス、君の目、少し赤いけど……泣いてたのか?」
彼の声は真剣そのものだが、妹の感情を気遣うようには見えない。単に興味本位で観察しようとしているようだった。
コンスタンスはドイルの言葉に呆気に取られた。
「婚約破棄されたの! 兄上のその変な機械のせいで!」
涙が盛り上がり、パーティードレスから着替えたばかりのギンガムチェックのワンピースに涙のしずくが次々と落ちる。
だが、ドイルはその様子を見て困惑するどころか、心底驚いたように目を丸くした。
「ショーンが婚約破棄……? それは良かった!」
にっこりと笑みを浮かべたその顔には、妹への同情の色は一切なかった。
「良かった……ですって?」
コンスタンスは声を震わせながら睨みつけた。
「だってあいつ、いつも僕の装置のことを馬鹿にしていただろう? あんな無知で時代遅れの男と結婚しても、君が苦労するだけだ」
まったく悪びれる様子もなく、さも当然というように言い放つドイルに、コンスタンスの胸に怒りが沸き上がった。
――この人は、私の気持ちなんて全然考えていない!
「もういい! 兄上なんか……!」
振り返りざまに声を張り上げると、コンスタンスはその場を足早に去った。
背後では、まだドイルが何やら装置に向かって呟いている声が聞こえた。
「妹が婚約破棄されたか……興味深い状況だな。ストレスが人間の行動にどう影響するか調べてみるべきか。いや、時間がない! なぜ人間の体は連続稼働できないんだ……」
***
婚約破棄から数日が経った。
コンスタンスは部屋に引きこもっていた。あの日以来、兄ドイルから何度も呼び出しを受けたが、一度も応じることはなかった。
彼への苛立ちは日ごとに募り、ふとした瞬間に「婚約破棄の原因を作った兄上なんか、絶交よ!」と声に出してしまうこともあった。しかし、言葉にした瞬間、自分でも後悔する。
――本当は兄上のせいではない。でも……どうしてこんなことに?
学園を卒業したばかりの彼女には、行く場所もなかった。将来への期待に満ちていた日々が一転し、空虚な時間を持て余しそうになる。
どうにかして何かを埋めたくて、裁縫仕事を始めた。子爵家が領地の子どもたちに贈る、お祭りのとき着る衣類に刺繍を施そう。そう考えたのだ。
針を持ち、布に一針一針刺し進めるたびに、彼女の中の苛立ちが少しずつ形を変えて布に刻まれていくようだった。
「どうして私ばかりがこんな目に遭うの……」
怒りに任せて細かく刺繍を入れすぎた。侍女が「まあ……素敵ですね。でもこんなになさらなくても」と苦笑した。
しかし、完成した刺繍はどれも精緻で美しく、「お嬢様の刺繍」として後に子どもたちから大いに喜ばれることになる。
それは、まだ少し先の話だ。
そんな中、両親は心配して釣書を集めてきてくれた。
卒業後、近衛に勤務するショーンと結婚するはずだった。その計画が崩れた。
その結果、彼女が失意の中に追いやられていることを、両親はよく理解していた。
「まだ探しはじめたばかりだ。もう少し待ってくれ」と父が寂しそうに言ったとき、コンスタンスはうなずくことしかできなかった。
机の上で釣書をめくる。
田舎の男爵の後妻、女遊びで評判の伯爵三男、商家の第三夫人。どれも彼女の心を動かすような相手ではなかった。
――こんなことなら、独身でいたほうがマシだわ
コンスタンスはそっと釣書を閉じた。
裁縫をして過ごすのも悪くはない。ただ、それが「仕事」となると途端に魅力を失う気がした。
――戦略図面を書くのは得意だし、そういう仕事があれば……。
そう考えたとき、ふと、久々に外へ出たくなった。家にこもっていては何も変わらない。
――気分転換も兼ねて、就職のための資料を探しに行こう。
そう心に決めると、彼女は久しぶりに外出の準備を始めた。
薔薇色のスカーフを巻き、お気に入りの栗色のワンピースを身にまとった。
淡いが深い薔薇色の繊細な布が、栗色の髪にしっとりと映えて、髪と同色の瞳を静かに引き立てている。
鏡越しにその姿を見つめ、コンスタンスは思わず微笑んだ。「女性としての美しさ」を自分がまだ失っていないことに気づいたからだ。
準備が整うと、玄関の扉が使用人によって開かれた。柔らかな日差しの中、一歩外に踏み出し、久しぶりの外の空気に胸を満たした。
門を出た瞬間、コンスタンスは誰かとぶつかった。大きな鞄を持った青年がよろけ、鞄から本が次々とこぼれ落ちる。
「申し訳ございません!」
彼女は慌てて謝った。青年は本を素早く拾い集めながら、静かに微笑む。
「ああ、こちらこそ。考えごとをしておりまして……」
その声は穏やかで落ち着いており、自然と気品を漂わせていた。
控えめながら洗練された服装に映える紫の瞳が、高貴な印象を際立たせている。
平凡な焦げ茶の髪さえ、彼のただ者ではない存在感を引き立てていた。
しかし、青年の佇まいと考えごとに没頭する様子に、コンスタンスは思わず既視感を覚えた。
――兄上に似ている。
ドイルが研究に没頭する姿を思い出す。周囲の雑事を忘れるほど集中するその姿。
ただし、この青年には兄にはない優雅さがあった。見習ってほしい。
一方で、かつて婚約者だったショーンの姿が頭をよぎる。
金髪、青い目……。誰もが振り返る美貌を持つ彼は、誰かに頼り、自分を引き立ててもらうことを当然と思っていた。
――私はあの頃、それを当たり前のように受け入れていた。
依存心の強いショーンを支えることが喜びだと思っていた過去。
けれど、この青年は違う。
何冊もの本を自分で持ち歩いている。
自ら考え、行動し、何かを成そうとしている「本物の考える人」……その気配を彼から感じた。
「ドイル・メルヴィル卿のお宅はこちらで間違いないですね?」
青年の問いに、コンスタンスは一瞬驚きながらも答えた。
「兄を訪ねていらしたのですか?」
青年……近衛所属の大佐マクシミリアン・コーデットと名乗った彼は軽くうなずいた。
――兄と同じくらいの年齢なのに大佐……かなり爵位が高いのかしら。謎のひとだわ。
「はい、信号解析装置の件で伺いました」
コンスタンスは驚いた。
「信号解析装置って……兄の作ったあの妙な機械のことですか?」
青年は軽くうなずき、穏やかに続けた。
「王立研究所では却下されたと聞きました。しかし、近衛の上層部ではその有用性が認められ、採用が決まっています」
その言葉にさらに驚きが広がる。
ショーンの周囲と、近衛の上層部はまるで別の世界のようだ。
そんな考えが頭をよぎる。
青年を凝視していると、彼は少し気まずそうに微笑みながら言った。
「あなたが……近衛候補生のショーン・グライドン氏に婚約破棄をされた令嬢ですね」
コンスタンスは目を見開き、息をのんだ。
「なぜそれを?」
「詳しい話はドイルさんと一緒に説明いたします。同席していただけますか?」
ふと、自分の首元に巻いた薔薇色のスカーフに目が行った。その上質な布地と美しい色合いが、彼女に静かな自信を思い出させる。
――これが私。この色を選んだ私がいる。
彼女は自然と背筋を伸ばし、目の前の青年を真っ直ぐ見つめた。
「はい、ご一緒させてください」
***
応接間で久しぶりに会った兄は、開口一番「コンスタンス、無神経な言い方をしてすまなかった」と言い、マクシミリアンへの挨拶も忘れて深々と頭を下げた。
コンスタンスは驚きつつも、顔をしかめる。
「兄上、謝罪は受け入れます。でも、他にも聞きたいことがあります。コーデット様が私の婚約破棄をご存じなのも、兄上の仕業ですか?」
ドイルはぎくりと肩を震わせたが、すぐに目をそらして黙り込んだ。代わりに、マクシミリアンが静かに口を開いた。
「信号解析装置が、近衛内での不正通信を暴く力を持つと気づいた者たちがいました。その中には、グライドン兄弟も含まれています」
あっけにとられたコンスタンに柔らかく微笑みかけたマクシミリアンは冷静に続けた。
「彼らは装置が完成すれば、自分たちの不正が明らかになることを恐れていました。その妨害の一環としてグライドン候補生はあなたに婚約破棄を突きつけました……ドイルさんを動揺させようとしたのです」
その言葉に、コンスタンスの顔から血の気が引いた。
「婚約破棄が……そんな理由だったんですか?」
マクシミリアンはうなずき、冷静に続けた。
「ええ。彼らにとって、ドイルさんの装置は、自分たちの不正を暴かれる恐怖そのものだったのです」
彼は机の上に図面を広げながら続けた。
「『信号解析装置』は、通常の通信信号に紛れ込んだ異常な信号を検出し、それを増幅して解析します。これによって、隠された機密情報のやり取りを明らかにすることが可能です」
コンスタンスは眉をひそめた。
「そんなこと……本当にできるんですか?」
横からドイルが自信ありげに口を挟んだ。
「もちろんだ。通常の通信には手を触れず、異常な信号だけを拾い上げる仕組みも設定できる」
マクシミリアンはうなずき、さらに説明を続けた。
「彼らは、この装置を恐れていました。そのため、ドイルさんの研究を妨害しようとし、その一環として、あなたに婚約破棄を突きつけたのです」
コンスタンスの胸に、ショーンの言葉が突き刺さるようによみがえった。
――「コンスタンス、君の力が必要なんだ」とか……。「ドイルさんを説得してくれ。装置の開発をやめさせなきゃいけない」とか……。
彼を疑うという発想さえなかった。兄に装置のことを何度も進言した。それが兄のためになると、信じていた。
でも、それが兄の研究を妨げ、近衛で不正を働く者たちを助ける結果になっていたなんて――。
――私は……なんて愚かだったの?
胸がぎゅっと締め付けられる。過去の行動が悔しさと恥ずかしさとなって押し寄せ、心の奥に鋭く突き刺さるようだった。頬が熱くなり、涙がにじみそうになる。コンスタンスはそれを必死にこらえた。
そのとき、マクシミリアンが低い声で言った。
「それと、ショーン・グライドン候補生の課題を調査しました。座学で提出した図面と、最近の課題の図面を比較してみました。あまりにも差がありすぎます」
コンスタンスは息をのむ。マクシミリアンの視線が彼女を捉えた。
「おそらく、彼自身が描いたお粗末な図面と、あなたが描いた図面の差でしょう」
その一言が胸を突き刺した。彼のために何日もかけて仕上げた図面。それが、彼の手柄として提出されていた。分かっていたが、こうやってバレると後ろめたい。
コンスタンスは思わず手を握りしめた。
マクシミリアンは少し表情を和らげて続けた。
「彼はおそらく、再びあなたに接触してくるでしょう。そのとき、私たちにとって重要な情報を引き出していただきたいのです」
コンスタンスは動揺を隠せなかった。
「そんな……どうすればいいのですか?」
彼女は頼るように兄に目を向けたが、ドイルは面倒くさそうに目をそらし、「僕は装置を完成させないと……」と小声で呟くだけだった。
その様子を見て、マクシミリアンは微笑んだ。その微笑みは、慰めとともに力強い信頼が込められているようだった。
「ご安心ください。私があなたをお手伝いします」
***
「コンスタンス。手紙の返事をもらって、本当にうれしかったよ」
「お久しぶりです。候補生としてのお勉強はいかが?」
ショーンは少し頬を赤らめ、「君の助けがどれだけ大切だったか、今になってよくわかった」と小声で呟いた。
コンスタンスはマクシミリアンの指示通り、にこやかに微笑みながら応じた。
「あなたが心配で……それで、兄を説得するために、少し詳しい事情を伺えないかと思いまして」
その言葉に、ショーンの顔が明るく輝いた。
「元婚約者であり、大切な幼馴染みの君だからこそ、話せることがある」と少し誇らしげに言う。
そう言いながら、彼は鞄に手をかけた。中には大量の宿題が詰められているのだろう。
以前のように、コンスタンスの助けを当たり前のように期待しているのが、その仕草から伝わった。
「兄上が今、大きな仕事をしているんだ。それも国際的な案件だよ」
コンスタンスは事前の打ち合わせ通り、礼儀正しく驚いてみせた。
「まあ、それはすごいですね」
――うまく油断させることができているだろうか。
コンスタンスは耳たぶに軽く触れた。そこには、ドイルとマクシミリアンが「お守り代わり」として贈ってくれたイヤリングがつけられている。彼らの心遣いを思い出すと勇気が湧いてくる。
ショーンは満足げにうなずく。
コンスタンスはほっとした。
ショーンは朗らかに話しつづける。
「その仕事を進める上で、信号に関する問題が出てきた。ドイルさんが開発している装置が、その妨げになりかねないんだ」
「つまり、私の兄を止めてほしいということですね」
「そうだ。僕の兄上が仕えている方が、王立研究所でその装置に気づいて、差し止めに成功したんだ」
コンスタンスは子どもっぽい口調のショーンの話を聞きながら、心の奥で冷たい怒りを感じていた。彼は相変わらず、自分の都合だけを語り、まるで当然のように彼女に協力を求めてくる。
だが、コンスタンスは笑顔を崩さなかった。
「そうでしたか。それで、具体的にどのような問題があるのでしょう?」
そのとき、ノックの音が響いた。
ショーンによく似た美しい年上の男が、気取った仕草で扉を開け、部屋に入ってきた。
「やあ、コンスタンス嬢。久しぶりだね」
「グライドン男爵嫡男……」
コンスタンスはなんだか嫌な予感がした。
「おや、ずいぶん他人行儀だね。昔のように『ベンジャミン兄様』と呼んでくれていいんだよ」
ベンジャミン・グライドン。
ショーンの兄であり、男爵家の実権を握る人物。その口調は柔らかだったが、目は鋭く冷たい光を宿していた。
彼は椅子を引いて悠然と座り、ゆっくりと視線をコンスタンスに向けた。
「さて、早速本題に入ろうか。申し訳ないのだが……君にうちまで来てもらいたい」
コンスタンスは眉をひそめた。
「私が、ですか?」
ベンジャミンは微笑を浮かべたまま、平然と続けた。
「そう。石頭のドイルを説得するためにね。彼がいくら頑固だとしても、妹が人質に取られれば、さすがに折れるだろう」
コンスタンスは一瞬息を呑んだ。
「人質……ですって?」
ショーンが横から口を挟んだ。
「心配はいらないよ、コンスタンス。僕たちの未来のためだ。君の家の評判だって良くなる」
――バカなの?
コンスタンスは頭に浮かんだその言葉を、ぎりぎり飲み込んだ。
ベンジャミンはさらに追い打ちをかけるように言葉を重ねた。
「君さえ協力してくれれば、すべて丸く収まる。ドイルも無駄な抵抗をやめて装置を撤回するだろうし、君の家も再び安泰になる。これ以上ない取り引きだと思わないかい?」
――取り引き? 家のため? それが本当に私のためだとでも?
コンスタンスの胸には冷たい怒りが湧き上がった。彼女は冷静さを保つため、深呼吸をした。
「大丈夫。僕がずっと一緒にいるよ」
ショーンが人なつっこく微笑む。その瞬間、彼の視線が鞄に向かい、続けてこう言った。
「一緒に図面を書こうよ。実を言うと、シャーロットは図面が苦手みたいなんだ」
――結局それか。
コンスタンスは心の中で冷笑した。彼らの目的はあからさまだ。コンスタンスを利用し、ドイルを屈服させ、その上で自分を「都合の良い手駒」として扱い続けるつもりなのだ。
コンスタンスは貴婦人らしい抑制した笑みを浮かべた。ショーンとベンジャミンの視線を正面から受け止めながら、彼女はゆっくりと耳に手を伸ばした。
「おふたりとも、いろいろとおっしゃっていますが……」
軽く微笑みながら、彼女はイヤリングのピンを外す。
「私は、この状況に納得がいきません」
そう言うや否や、コンスタンスは手にしたイヤリングを窓に向かって力強く投げつけた。
カチン!
硬質な音が響き、次の瞬間、イヤリングが爆発した。衝撃でガラスが大きく割れ、鋭い破片が辺りに飛び散る。
「な、何をするんだ! 馬鹿な! 防弾ガラスが!」
ベンジャミンが驚愕の声を上げる。
――「お守り」というより、武器ね……攻撃は最大の防御と言うけれど。
割れた窓の向こうから、マクシミリアンとドイルの姿が現れた。マクシミリアンは優雅な身のこなしで窓枠を乗り越え、穏やかな表情を浮かべている。
一方、ドイルは油汚れのついた作業着姿のままだ。手にはなぜか工具を持っている。
「遅れてすまない。どうやら間に合ったようだね」
マクシミリアンが軽く笑みを浮かべて言った。
「コンスタンス、大丈夫か?」
ドイルが乱暴に部屋に足を踏み入れながら声をかける。
ショーンは驚きのあまり一歩後ずさりしたが、すぐにコンスタンスの腕を掴んで引き寄せた。
「コンスタンスを渡すものか! 彼女は僕の」
その言葉を遮るように、ドイルが手に持った工具を振り上げた。
ガツン!
鈍い音が響き、ショーンの手が大きく揺れた。
「ぐっ……痛いっ!」
ショーンは腕を押さえて子どものように呻き、コンスタンスはその隙に彼の手から逃れた。
「ふん、貴族らしい小細工ばかりの手なんて、こんなもんだな」
ドイルがぼそりと言いながら工具を持ち直し、あたりを見回した。
その間に、窓から次々と近衛隊の制服を着た男たちが入ってくる。ベンジャミンが最後の抵抗を試みるも、あっという間に取り押さえられた。
「この部屋は狭いから、少し外に出ましょうか」
マクシミリアンが静かに提案した。
コンスタンスが「音声はきちんと記録できましたか?」と確認する。
「ええ、あなたが引き出した彼らの自白はすべて記録済みです。信号解析装置の初期型ですが、十分役立ちました」
マクシミリアンが手元の小型装置を示しながら答えた。
ドイルはその言葉に満足げに頷きつつ、「でもな、まだ効率が悪いんだ。改良すればもっと……」とぶつぶつ言い始める。
コンスタンスはそんな兄を横目で見ながら、少しだけ微笑んだ。
***
翌日、マクシミリアンが子爵家に現れ、コンスタンスが応接間で迎えた。
「今回の問題は、当局に引き渡しました」
そう静かに告げるマクシミリアンに、コンスタンスはおずおずと尋ねた。
「あの……兄はあれから部屋に籠もりっきりで、何も話してくれないんです」
マクシミリアンは軽く微笑み、「それでは彼を外に引っ張り出しましょう」と意外なことを口にした。
「こんにちは、ドイルさん。入りますよ」
マクシミリアンは迷うことなくドイルの部屋の扉をノックし、返事を待たずに開けた。
「きゃっ……」
コンスタンスは思わず息を飲んだ。部屋の中は、雑然とした紙や奇妙な器具で埋め尽くされている。机には設計図が何枚も重ねられ、棚には不揃いな試験管や工具がぎっしり詰まっていた。
「マクシミリアン様!」
ドイルがインクまみれの手を拭いながら、振り返る。鼻先にもインクが付いている。
「すみません、手が離せなくて……」
「効力が十分に出ない件ですね」
マクシミリアンは部屋の中を見回しながら、淡々と言った。
「そうなんです……まずは初期型の小型の機械から見直しています」
ドイルは自分の机の上を整理しようとしたが、途中で諦めたように肩をすくめる。
「新しい情報を基に打開策を考えましょう」
マクシミリアンの言葉に、ドイルは「えっ!」と目を輝かせた。
「コンスタンス嬢、ご一緒にお願いします」
中に招き入れられたコンスタンスは、改めて部屋を見回した。散らばった紙や工具には埃こそついていないものの、まるで戦場のような荒れようだった。
マクシミリアンは手早く机の上の紙を選り分けると、数枚を取り出してコンスタンスに差し出した。
「コンスタンス嬢、これは戦略図面とは少し違いますが、座標の取り方さえ理解すれば、同じやり方で作成できる図面です」
彼は自分の鞄から白い紙とペンと画板2枚を取り出した。ペンで基本的な座標の取り方を示し、流れるように説明を始めた。
「ここに基準点を設定し……これを補助線に使います」
マクシミリアンの口調は穏やかだったが、その指示は正確で無駄がなかった。
コンスタンスは真剣な眼差しで彼の説明に耳を傾け、渡された画板に置いた紙でそれを忠実に再現していった。
「ああ、なるほど」
「わかりますか?」
「はい」
コンスタンスは短く答え、さらさらとペンを走らせる。マクシミリアンは次々と必要な情報を伝え、ときどきドイルに確認を取りながら、作業を進めていく。
しばらくしてコンスタンスが「できました」と言い、図面をマクシミリアンに差し出した。彼はそれを受け取ると、目を輝かせて感嘆の声を上げた。
「これで間違いない。素晴らしい出来だ」
ドイルが近づき、図面をのぞき込む。しばし無言のまま見つめていたが、突然声を上げた。
「そうか……図面が不正確だったんだ!」
「ドイルさん、ここじゃないですか?」
「そう、ここを直せば効率が劇的に上がる! あと、ここもだ。どうして気づかなかったんだろう」
彼は急いで装置に向かい、図面を見ながら丁寧に部品の配置を調整し始めた。
数分後、装置が静かに動き出し、数日前に見たときよりも明らかに滑らかな音を立てて稼働を始めた。
「コンスタンスは……本当にただの妹じゃなかったんだな」
ドイルが振り返り、呆れたような、しかしどこか感心した表情で言った。
「何よその言い方!」
コンスタンスは口を尖らせるが、その頬はわずかに赤く染まっている。
「いや、馬鹿ショーンの宿題処理係だなんて、もったいない話だと思ってな」
ドイルが肩をすくめながら続ける。
「これは才能だよ! 素晴らしい才能だ」
その手放しの賛辞にコンスタンスは驚きつつも、少しだけ照れくさくなって目を伏せた。
マクシミリアンが微笑みながら口を開いた。
「実は、捜査の過程で偶然コンスタンス嬢の描いた図面を見て、あまりの美しさと正確さに驚いたんです。だから、ドイルさんのこの問題も、もしかしたら彼女なら解決できるのではないかと思っていました」
その言葉に、コンスタンスは驚いて顔を上げる。
「私が……役に立ったんですか?」
「大いに役立ちました」
マクシミリアンが穏やかな笑みで答える。ドイルは装置の動作を確認しながら、独り言のように呟いた。
「まあ、僕だけでもいずれ気づいたはずだが……まさかこんな形で解決するとはな」
その言葉にコンスタンスが軽くため息をつくと、ドイルは振り返り、口元に薄い笑みを浮かべて言った。
「ありがとな、コンスタンス」
その一言に、彼女の胸の中で何かがふっと柔らかくほどけていくような気がした。
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起訴された近衛の関係者たちは、証拠として提出された信号解析装置が通信を傍受して得た音声記録に文句をつけた。
「装置が違法である。従って、そこから得られた記録も証拠として無効だ」と主張する彼らの狡猾な策略に、法廷の空気が一瞬揺らいだ。
しかし、マクシミリアンは冷静にその反論を一蹴した。
「この装置は、王国の法律に基づいて開発されており、その設計および用途に不備はありません」
彼は手元の書類を広げながら続けた。
「さらに、記録された通信内容は一切改ざんされておらず、原本と一致していることを科学的に証明済みです。装置そのものにも、不正な仕掛けや意図的な操作の形跡はありません」
彼の言葉とともに、証拠として提出された文書と解析結果が廷内に提示されると、場内は静まり返った。
「つまり、記録は正真正銘、本物だということです」
マクシミリアンの冷静な主張が、グライドン兄弟とシャーロットの父を含む上役一派の策略を打ち砕いた。
彼らはその場で矛盾を突かれ、言い逃れの余地を失った。
傍聴席でその様子を見守ったコンスタンスはホッと胸をなで下ろした。
やがて彼らの悪事は次々と暴かれ、新聞や街の噂話でも大きく取り上げられた。
その中でも、王立裁判所が下した判決は国中で特に大きな話題となった。
シャーロットの父とベンジャミンは不正行為と権力の乱用の罪で無期懲役刑を言い渡された。特に重罪と認定されたふたりは、最低でも20年は牢から出られないと言われている。
グライドン男爵家とシャーロットの父は、それぞれ爵位を返上することとなり、一族は没落した。
ショーンとシャーロットもまた、それぞれ貴族の身分を失い、平民としての人生を歩むことになった。
ショーンは鉱山で重労働に従事していると噂に聞いた。かつて貴族として何不自由ない生活を送っていた彼が、今では鉱物の粉塵と汗にまみれた毎日を送っているのだという。彼がそれをどのように受け止めているのかは、噂では分からなかった。
一方、シャーロットは別の町で新しい暮らしを始めたらしい。かつて持っていた地位や栄光を取り戻そうと必死になり、安易な手段で金を稼ぎ、最終的に商家に嫁いだという噂が耳に届いた。
コンスタンスはその話を耳にしたとき、ほんの少しだけ胸がすく思いがした。
しかし、同時に何とも言えない複雑な感情も抱いた。
復讐の達成感ではなく、むしろ、過去の一部が遠ざかっていく寂しさのようなものを感じたのだ。
――彼らの罪は罰せられた。それでも、二度と戻らないものがある。
その事実だけが、彼女の胸に静かに残った。
一方、ドイルの発明である信号解析装置は、その有用性を王家の諮問委員会で高く評価された。特に、国家の安全保障に多大な貢献をする可能性があると認められ、近衛以外でも正式に採用が決定した。
この発表により、メルヴィル家の名誉は瞬く間に回復し、かつて馬鹿にされた「変人ドイル」の評価も、「時代を先取る天才発明家」に一変した。
「兄上の発明がこんな形で世に認められるなんて……」
マクシミリアンから報告を受け、コンスタンスは微笑みながら静かに呟いた。
「ドイルさんは最高なんですよ。素晴らしい妹君に相応しい兄君です」
マクシミリアンの言葉に、コンスタンスは思わず顔を上げた。
彼の穏やかな微笑みは、これまで何度も自分を支えてくれた。
そのまなざしには、コンスタンスへの揺るぎない信頼が込められているように感じた。
――もし彼がいなければ、私はここまで来られなかったかもしれない。
そう思うと、胸の奥から自然と感謝の念が湧き上がってきた。
マクシミリアンは、先王の晩年、愛妾との間に誕生した王弟だ。
表向きは平凡な伯爵だが、実際には王命を受け、近衛別働隊の諜報部門を統率する切れ者。
ショーンたちの悪事を暴いたのは、法律にも技術にも精通し、管理能力にも秀でた彼の冷静な采配の賜物だった。
だが、ドイルとの関係はまるで別だ。
そこにあるのは、ただ……「彼の才能に惚れ込んだ」という純粋な理由のみだった。
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「コンスタンス! 図面を描いてくれないか」
コーデット伯爵夫人であり、メルヴィル女子爵であるコンスタンスは、帳簿を閉じて顔を上げた。
挨拶もなく部屋に飛び込んできた兄ドイル(近衛別働隊付属研究所 所長)をじろりと睨む。
「兄上……今、納税の帳簿整理の真っ最中なのよ。領主として最も重要な仕事のひとつなんだから」
「そうなのか。それは大変だな。やっぱり子爵位を君に譲って正解だった。しかし、この図面の方が急を要するんだ」
兄の変わらぬマイペースぶりに、コンスタンスは軽くため息をついた。
「それで、今度は何を作る気なの?」
「……革命的な機械だ。たぶん」
眉間を押さえるコンスタンスの横で、ドイルは懐から何枚もの紙を取り出して机に広げた。
そこにタイミングよく扉をノックする音がした。現れたのは、満面の笑みを浮かべたマクシミリアンだった。
「スー、ドイル兄さんの図面を手伝ってあげて。納税の仕事は僕がやるよ
「ちょっと待って。マクシムだって忙しいでしょ?」
「もちろん。でも、君の美しい図面を久しぶりに見たいんだ」
そう言って彼はウィンクをしてみせる。
その後ろから、小さな足音が響いた。コンスタンスとマクシミリアンの長男ダスティンが興奮した様子で駆け込んでくる。
「おじうえ! このあいだおしえてくれたおもちゃのしくみ、まだよくわからないんだ! もういっかい、つくりかたおしえて!」
ドイルは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐににっこりと笑った。
「そうかそうか、わからないところがあったのか。じゃあ、一緒にもう一度やってみよう!」
「わたしも! おしえて!」
今度は、リズベットがドイルの膝にしがみついた。まだ幼い彼女は、兄であるダスティンの真似をしたがる。
「よし、ダスティン、お前が先にやってみろ。それからリズベットに教えてやるんだぞ」
ドイルは甥たちに囲まれながら、目尻に柔らかな笑みを浮かべている。その姿は、変人と呼ばれた天才の片鱗を持ちながらも、家族の中で自然に溶け込んでいるように見えた。
コンスタンスはその光景を目にしてふっと微笑む。
メルヴィル家の天才学者ドイルの才能は妹と親友マクシミリアンの息子に受け継がれているようだ。
そして彼自身も子どもたちを愛情込めて可愛がっている。
――お兄様は変人で、気難しいところもあるけれど……家族に対する愛情だけは本物ね。
ふと、窓の外に目をやる。庭には美しい薔薇が咲き誇り、その甘い香りが微かに漂ってきた。
「兄上、この子たちにちゃんとお手本を見せてあげてね。あなたの才能が受け継がれるのを、私も楽しみにしているわ」
彼女は机に広げられた図面に向き直り、静かにペンを取った。
この短編は他サイトにも投稿します。
アルファポリスにテンプレ? な完結連載を掲載しています。こちらも読んでくださると嬉しいです。
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【完結】ふしだらな母親の娘は、私なのでしょうか? | 恋愛小説 | 小説投稿サイトのアルファポリス
誤字が多いので、頻繁に改訂する見込みです。