昔、何かの講義の課題で提出した「クリスマス・キャロル」の感想文
初めまして。宍戸詩紫です!
ふと、データの中で懐かしいレポートを見つけました。読んでみると、我ながら、改めて面白そうな作品だと思えて(もう内容は忘れています……)、皆様と共有したい気持ちになりました。
ぜひ、これを機にディケンズ氏の「クリスマス・キャロル」、読んで頂ければ幸いです(クリスマス終わったけどね!)。
はじめに、今回、この課題に取り組むにあたって選んだイギリス文学は、ディケンズ作の『クリスマス・キャロル』である。以前はイギリス文学というものを意識して読んだことはなかったために、この課題を選んだときに、何を読むかというのはとても重要な問題であった。イギリス文学には、有名な作品がたくさんある。ウィリアム・ゴールディング作の『蝿の王』、ジョージ・オーウェル作の『動物農場』などもとても興味が引かれた。しかし、それらの中で『クリスマス・キャロル』を選んだのは、この作品が子供に親しみ深いものであるからである。ディズニーでも映画化されており、幼いころに何かしらの形でこの作品に触れたことがある人は多いだろう。このような小さな子でも楽しめる作品をあえて選ぶことで、改めて『クリスマス・キャロル』から得られるもの、今と昔で感じることの相違を考えてみようと思った次第である。
『クリスマス・キャロル』は大きく三つの構成になっている。一つ目はこの作品の主人公、スクルージ老の元来の生き様を記したもの、二つ目はスクルージと三人の幽霊たちの旅、三つ目は改心したスクルージのその後を描いている。第一章で描かれているスクルージ老の人となりは衝撃的なものであった。優しい甥の、クリスマスの晩餐会の招待は頑として断り、ある紳士の寄付のお願いに対してもけんもほろろな扱いではねのけ、どのような生き方をすればこうなってしまうのかというような有様であった。しかしこれには重要な理由があったのだと、最初の幽霊との旅で判明する。最初の幽霊は、「過去」の幽霊であり、スクルージは自分の過去をたどって行くにつれ、様々なことを思い出していく。それも、涙を流しながらである。しかし、それほど懐かしい、大事な思い出であれば、どうしてそれらを全て忘れてしまっていたのか。この点については詳しく書かれていない。はじめに出てきたこの疑問を推測すると、やはりお金のためだったのではないか、という結論にたどり着いた。過去のスクルージは、大変貧しい生活を送っていた。しかし、その中にも幸せは確かに存在していたのだ。楽しい本との出会いもあれば、かわいい妹との再会もあった。美しい恋人もいた。しかし、この恋人に告げられた別れの言葉、これがスクルージが過去を全て捨てたことの理由を示しているように思われた。その言葉とは、「…私たちの今までのことを思い返せば、あなただって苦しいはずだと、…でも、それもほんのちょっとの間で、私のことは、あなたのおもいでの中から消えていくことでしょう。役にも立たない夢として、そんな夢からは醒めて幸いだったとお思いになるでしょう。…」というものである。スクルージは世間から侮られないよう、お金をもうけることばかり考えるようになってしまい、貧しくても幸せで、愛があった彼とは変わってしまったと、そう彼女は述べていた。つまり、スクルージはお金こそがこの世の全てであるとおもいこみ、それを稼ぐために必要なもの以外を全て捨てるようになってしまったのだ。お金に支配されてしまったために、思い出や愛などを捨て、信じなくなってしまった。だから第一章のような性格になってしまったのだと、私はそう推測した。
さらに、スクルージは二人目の幽霊とは「現在」を、三人目の幽霊とは「未来」を旅し、三人目の幽霊との旅がスクルージの改心への気持ちを確かなものにした。自分が今のままであれば起こりうる恐ろしい未来を見せられ、夢から醒めたとき、自分がまだ変われることができる喜びからすっかり人が変わってしまった。その後のスクルージは人々に慈愛を送り続け、幽霊に見せられた未来を回避したというこの場面は、人は変わろうと思った瞬間から変わることができ、人々への慈愛は、自分に返ってくるということがこの部分から学び取れる。しかし私は、ディケンズは二人目の幽霊との旅に彼の思いを一番こめたのではないかと思うのだ。すっかり愛というものを忘れたスクルージに、二人目の幽霊、おそらくキリストは、書記のボブの家のクリスマスの様子を見せる。そこには貧しくても、幸せそのものを描いたような家族の姿があった。また、どんな劣悪な環境にいても、人々はクリスマスを楽しんでいた。お金こそがこの世の全てであったスクルージにこれらの様子を見せることで、彼だけでなく私達にも、お金では得られない幸せがあるということ、お金がなくても幸せになれるということを教えてくれるのだ。また、二番目の幽霊は、スクルージに対し、幾度となく説教をする。それは、かつてのスクルージが貧しい人に対して放った言葉を引用しており、読者の心にも響くものである。特に、「無知」であることは「破滅」につながる、つまり、人の話を真摯に受け止めろ、という部分や、この世に余計な命などない、というところは、スクルージだけでなく、『クリスマス・キャロル』を読んでいる人全員に向けたメッセージであるように思える。
ディケンズ自身がかつて貧しい暮らしをしており、十歳のときから働きに出されていたという。この本では、裕福でなくても幸せである家庭が多く描写されているが、このことはまさにディケンズ自身の経験から来ているのではないだろうか。彼の生涯は、気苦労が絶えず、幸せであったかどうかは私には判別がつかない。しかし、お金があるからといって幸せになるわけではなく、お金がないから幸せが全くないわけではないというのは、ディケンズにとって確かなことで、お金のあるなし関係なく、幸せは誰の身にも平等に訪れるのだと、この本を通して教えてくれているのだと思う。また、彼にとって、幸せというものは愛が生み出してくれるものだという認識があるように感じられる。この作品の中の幸せな家庭には愛があふれており、愛というものは、お金などでは買えない、尊いものなのだということも示してくれている。ディケンズは幸せというテーマを通して、愛の重要さをこの本から私達に伝えてくれている。『クリスマス・キャロル』は、ディケンズの愛の形なのである。(2476文字)
ここまで、つたない文章を読んで下さってありがとうございます。そんなあなたの事が大好きです。
これを書いた自分自身が、過去の自分に心を打たれてしまい、勢いで投稿してしまった次第です。
よければ、本作も読んで頂ければ嬉しいです。素敵な作品な事、間違いなしなので!