呪装者との戦い④
泥の海を切り裂き、風の軌跡が一直線に走った。
エリオの第二魔装──『フリューゲルス』が生み出す翼は、泥の抵抗をも無理やり突破し、その身を緑の光と化して走らせる。
(時間をかけられない──!)
エリオ自身がいちばん理解していた。
この泥は、大地そのものが呪われているようなもの。風の鎧を纏っていても、泥に触れるほど魔力を吸われ、熱を奪われ、生命力すら削られていく。
第二魔装の出力に耐えられる時間は、長くて一分。
いや、泥の中では三十秒が限界だろう。
泥をかき分け、のたうつ巨大ミミズ──ジュミドロの本体に向かって真っ直ぐ走りながら、エリオは槍を構える。
「一点突破──ッ!」
風を凝縮した槍が、泥の海を貫き、ジュミドロの分厚い皮膚に迫る。
『んひっ!? く、くるな、くるなあああッ!!』
ジュミドロの悲鳴に合わせ、泥が一斉に沸き立った。
泥のうねりが壁のように迫り、エリオの進路を遮る。
エリオは眉をしかめた。
(泥の壁なんて……やるじゃないか)
槍を振り抜くと、風が刃となって泥を切り裂いた。
しかし、その反動で鎧表面がジュウッと音を立てて焼ける。
「ちっ……これ以上はマズいね……!」
泥に触れているだけで、魔力の消費も痛みも桁違いだった。
鎧の胸部計器が警告のように赤く輝く。
(あと……二十秒ってところか)
それでも、エリオは笑った。
(まあ、十分だろ。レイアースちゃんにトドメを任せる準備くらいは……ね)
槍先が、ついにジュミドロの本体へ届いた。
ミミズの皮膚が避け、赤黒い体液が飛び散る。
『ぎゃああああっ!? いやあああああ!!』
ジュミドロが暴れると、泥の海が荒れ狂った。
エリオの体が激流のような泥に巻き込まれ、鎧が悲鳴を上げるように軋む。
「こ、の……っ!」
泥の波に押しのけられながら、エリオは槍をジュミドロの体にねじ込む。
だが、その瞬間──。
『死ねえええええええええ!』
泥が、巨大な渦となってエリオを包み込もうとした。
(ダメだ、これは避けられない──!)
「エリオ!!」
レイアースの声がした。
次の瞬間、泥の壁が眩い光に貫かれた。
白騎士たちが泥を押しのけ、レイアースが突き進んでくる。
「『女神軍勢』!!」
白騎士四体が、レイアースを護るように周囲を固め、光の盾で泥の渦を押し返す。
エリオはわずかに笑みを浮かべた。
「助かったよ……ほんとに」
「エリオ、傷が……」
「これくらい大したこと──」
言いかけて、膝をついた。
風鎧の脚部が半分溶けていた。限界は目に見えていた。
「……レイアースちゃん。あいつを……引きずり出したのはボクだからさ。トドメは頼んだよ」
レイアースは頷く。
「ああ……任せてくれ」
彼女は剣を握る手に力を込める。
ルーチェ・デルソーレが光を増し、レイアースの瞳がアイスブルーに輝いた。
「白騎士たち、道を開け!」
白騎士たちが泥を押しのけ、ジュミドロの本体へ向かう道を作る。
レイアースは泥の抵抗を受けながらも、光の奔流を纏って進む。
『く、くるなァ……くるなあああああ!』
ジュミドロの悲鳴が響く。
「これ以上……村を弄ぶことは、許さない!!」
レイアースが飛び込む。
泥の中で、光の軌跡が弧を描く。
「決戦技──」
周囲の光がルーチェ・デルソーレに集束し、剣身が太陽のように輝いた。
「決戦技──『聖光黎明剣』!!」
刹那、泥を押しのけ、光の奔流がジュミドロの体を貫いた。
『ぎ……あ……ッ!? いや……いやだ……おれは……まだ……っ!!』
光が炸裂し、泥の中が白く染まる。
ジュミドロの体が光に飲み込まれ、崩壊していく。
首に巻かれた鎖──呪装備だけが、泥の底に残った。
勝利を確信したその瞬間。
「レイアースちゃん、急いで撤退だ!! 泥が元に戻る!!」
エリオの声が響いた。
ジュミドロが死ぬことで、泥化能力が解除される。
しかし、解除の瞬間、泥は濁流となって一気に収縮する。
レイアースは剣を納める暇もなく、白騎士たちを呼ぶ。
「全員──私たちを包んで、上へ!!」
白騎士たちはレイアースとエリオを抱え込み、泥渦に逆らって浮上する。
だが、泥の圧力が凄まじく、白騎士の一体が光の粒子となって消えた。
「……っ、まだいける!!」
レイアースの叫びに応えるように残り三体が全力を出し、泥を切り裂いた。
泥の層を抜けると、眩い光が差し込む。
村の地面が、元の土色へと戻りつつあった。
「もう少し……っ!」
最後の一押しで泥を突破し、レイアースたちは地表へと飛び出した。
泥が完全に消失すると、巨大なクレーターだけが村の跡に残った。
レイアースは地面に膝をつき、荒い呼吸を繰り返した。
「……はぁ……はぁ……」
隣では、鎧を解除したエリオが大の字に倒れていた。
「いやあ……生きてるって……素晴らしいねえ……」
レイアースは少し笑った。
その笑顔に、エリオはふっと真顔になる。
「レイアースちゃん。キミ……おかしいよ」
「……は?」
「第三解放の軍勢を、あれだけの精度で操れる新人なんて……いない。しかも……トドメの一撃の威力も、出力も……明らかに騎士の枠を超えてる」
レイアースは言葉を失った。
彼女自身、うすうす感じていた疑問──「自分の力は、なぜここまで強いのか」。
だが、それを胸の奥で押し殺すように言った。
「私は……ただ、努力しているだけだ」
「ふうん。まあ、それでいいけどさ」
エリオは起き上がり、泥の中から拾い上げた鎖を見つめる。
「こいつが呪装備……か」
ボロボロになった鎖は、微かに黒い光を放っていた。
まるで──まだ終わっていないと告げるように。
エリオは鎖を持ち上げて言う。
「レイアースちゃん。これからもっと……大変になるね」
レイアースは静かに頷いた。
「……ああ」
残された鎖が、不気味に軋んだ音を立てた。




