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5◇三人旅の途中で

 ラングル大陸の四割を占める大国、カーライル王国。

 パヴェルにとって、この王国はいつでも煌びやかで美しかった。

 その中で最も美しく、最も好きな――。


「は、母上?」


 自分の人生を左右する出来事が起こった時、パヴェルはたったの六歳だった。

 それでも、たくさんの人間が自らの敵に回ったのだということだけは理解できた。


「あなただけは私を信じて、パヴェル……」


 そう言って涙を流した母はとても清らかだった。

 傾国と呼ばれるほどの美女だった母だ。誰もが母の涙には心打たれた。


 ――いや、男ならば、誰もがだ。

 女は違う。女共は母の失脚に陰で薄ら笑いを浮かべていたことだろう。


 押さえつけられ、連れていかれる母をパヴェルは信じたいと思った。

 けれど、時が経つほどに無邪気に信じるということが難しくなっていった。


 それは、自分自身が置かれた状況のせいだ。

 後ろ盾のなくなった王子は、自らの身を護ることに忙しかったのだ。


 母との数少ない思い出は次第に色褪せ、それは今のパヴェル・レサーク・カーライルという人間を形成するほんの少しの要素でしかなくなった。



     ◆



 カーライル王国の東に位置するベルディフ領は山と川と森と、自然豊かな土地であった。冬は山風が吹き、雪深くなるけれど、今は雪解けをとうに終えた春真っただ中である。


 ここは王族の管理する国領であり、現在この地を任されているのは、二十一歳の第二王子パヴェルだ。

 武芸百般、扱えぬ武具はないと噂されるほどの武人肌ではあるが、見た目は至って優美で、濃い色合いの金髪は美貌の母親譲りだと言われている。


 ただし、パヴェルが母親から受け取ったのは見目だけではない。この母によってパヴェルは王子でありながらも茨の道を歩まされた。

 平坦な道を歩いてこなかった彼は、自らにも他人にも厳しい。


 そんな彼に信頼される腹心は二人。ただそれだけである。



「パヴェル様、雨が上がってよかったですね。これなら今日中に屋敷へ着きますよ」


 鹿毛(かげ)の馬に乗り、子犬のように人懐っこい微笑みを浮かべている青年――腹心であり友人でもあるマクシム・エイヴァリーに向かって、パヴェルは口を歪めて見せる。


「急ぐこともないがな」


 パヴェルは副官の二人を連れ、王都からベルディフ領へと向かう最中だった。

 王子の供がたった二人であっても、二人は優秀な騎士であるし、パヴェル自身も暴徒に討ち取られるほどに弱いつもりはなかった。


 王都から三日かけて、いつも気ままな三人旅だ。この少人数だから、途中で立ち寄った土地の領主たちは持て成すにも安上がりで助かるだろう。


「そんなことを仰いますが、パヴェル様はベルディフ領にいる時の方が生き生きとされていますよ」


 マクシムは空を眺め、それからまた振り返る。たっぷりとした茶色の髪と暗色の丸い目がパヴェルと同い年にしては幼く見える。

 幼い頃からのつき合いで、互いに気心が知れていた。無駄に畏まっていないのが心地よい、貴重な人材だ。


「それはお前だろう?」

「まあ、僕もここが大好きですけどね」


 穏やかな外見をしているがマクシムは弓の名手で、狩りに出れば猟師顔負けの獲物を仕留める。ベルディフ領は狩り場が多い上に馬を走らせるのにも丁度良いところなのだ。

 マクシムはニコニコと上機嫌で言う。


「本来でしたら社交シーズンの今、適齢期の王子がご不在だなんて、ご令嬢たちはガッカリですけど。まあパヴェル様が律儀に大嫌いな夜会に出られるなんて、誰も思っていないかもしれませんが」

「そういうのは兄上に任せた」


 腹違いの兄であるルドヴィークは、パヴェルとは正反対の性格と言える。

 荒事を嫌い、本を好み、誰と揉めることもなく柔軟に対応する。それらはパヴェルにはない資質だった。


「王太子殿下はすでに婚約者がお決まりですから、また話は違いますよ」

「俺は当分……いや、これからも妻帯するつもりはない。貴族連中の道具になって堪るか」


 いつでも笑顔でいるマクシムに比べ、パヴェルはほとんど笑わない。だからマクシムが代わりに笑うのだろうか。

 愛想など持ち合わせていないから扱いにくく、近づいてくる者も少ないのだが。


「シャールカは夜会に出たかった?」


 マクシムはそう言って後ろを振り返る。


 シャールカ・オルサークはパヴェルたちよりもひとつ年下だ。青みがかったショートボブの黒髪と均整の取れた体つきが黒猫のような印象を受ける。


 オルサーク家は代々武門で、長女であるシャールカが女騎士であることは誇りではあるのだが、同時に貴族令嬢であるのも事実だ。


「まさか。むしろ出なくて済んでほっとしています」


 その言葉に嘘偽りはないらしい。

 シャールカの剣才に敵う男は少ないのだ。下手に誘っても引け目を感じるだけだろう。


「あはは、僕も。三男坊なんて令嬢たちから相手にされないし」


 マクシムはエイヴァリー侯爵家の三男。

 三男ともなれば財産はほとんど期待できず、よって計算高い女からは除外される。当の本人は爵位なんて重たいだけだから、気ままな自由の方がありがたいと言う。


 パヴェルもそうだ。王位なんて兄が引き受けてくれるに越したことはない。

 王族として生を受けた以上、なんの責任もないとは言えないけれど、この両手に数えきれない民の命運が託されているなどとは思いたくない。精々が限られた領地を治める程度だ。


「まあ、まったく出席しないとなると父上に注意される。シーズンを終える直前に少しだけ出ておけばいいだろう」


 シャールカは微笑んでうなずいた。


「私もそれがいいと思います」

「さあ、また雨が降ってこないうちに急ぎましょうか」


 マクシムが手綱を引き、馬がそれに答えるように小さく嘶いた。



 この辺りは隣接する他国もなく穏やかなものだが、それでも民が貧窮していないか、不正はないかとパヴェルは目を光らせているつもりである。

 王都から戻る道中もそうだ。人と行きかうごとに変わったことはないか訊ねる。


「――ええ、ありがとうございます」


 馬から下りたマクシムが牛を連れた農夫に丁寧に礼を言った。


「これといって変わりはないようですね。まあ、害獣の被害は少しあったそうですが」

「狙われたのは家畜か?」

「果樹園ですね」

「そうか。対策を練らねばな」


 野生動物も生きるために必死なのだ。

 かといって、搾取されるばかりでは人が立ち行かなくなる。上手く折り合いをつけていかねばならない。


 パヴェルが少し考え込むと、農夫が連れていた小さな子供がこちらを見ていた。

 そして、ふと目が合った途端に子供は固まり、見る見るうちに目を潤ませて泣き出した。


「あっ、こら、泣くんじゃないっ」


 慌てた農夫が宥めにかかるが、子供は余計に引きつけを起こしたようにわんわんと泣いた。いつものことだが、気が重くなる。

 パヴェルは子供を威圧したつもりなどないのだが、そこにいるだけで泣いてしまうほど怖いらしい。


「パヴェル様、笑顔」


 マクシムがニッと笑ってそんなことを言うが、こんなに泣かれて急に笑顔など作れない。

 結局、ひとつため息をついて子供から逃れるように通り過ぎるしかないのだった。


「……あの、ええと」


 シャールカはいつも慰めを口にしようとして上手くいかない。パヴェルはもう、自分は子供には好かれないのだと諦めることにしたつもりである。

 なんとも言えない雰囲気で先を急ぐ。



 この時、ベルディフ領を分断するように流れるメドゥナ川のそばを進んでいた。

 昨日は足止めを食ったほどの雨だったのだ。水嵩も増えている。濁った流れはいつも以上に川幅を広く見せていた。


 それを高みから見下ろしている。

 すると、川のそばで何かがぼんやりと光ったように見えた。


 しかし、夜でもないのに何故そこが光っていると感じたのか、よく考えると不思議だった。それなのに、マクシムもシャールカも同じことを言った。


「今、あの辺りで何か光りましたよね?」

「私も見ました。あっ、あれはなんでしょう?」


 シャールカが指さした先にあったのは、木片の塊だった。


「壊れた舟かもしれない。誰かが川で事故に遭ったのか」


 考えられるのはそれくらいだ。パヴェルは躊躇いなく馬の(くつわ)を返した。


「様子を見てくる」


 この辺りの地形はよくわかっている。回り込めば川岸まで下りられるはずだ。

 二人ともパヴェルだけを行かせるつもりもなく、馬でぴったりとついてきた。馬が歩きにくい足場の悪いところで降り、手綱を引いて進む。すると、そこには黒っぽい服を着た小柄な人間が横たわっていた。


「大変!」


 シャールカはマクシムに自分の馬の手綱を押しつけて走った。パヴェルは近くの木に手綱を括りつけてからシャールカのそばへ近づいた。


 シャールカが抱き起した人物を――その仕打ちを見て愕然としてしまった。

 メイドのような恰好の少女が両手足を縛られていたのだ。パヴェルは腰に挿していた短剣を使い、少女の縄を切ってやったが、少女は目覚めない。


「息はしていますが、体が冷えきっています」

「すぐに屋敷へ連れていく」


 相手は少女だから、シャールカに託そうかと考えたが、パヴェルの馬の方が強靭である。急ぐのならば細かいことを気にしても仕方がない。


 パヴェルは少女の体を抱き上げた。薄紫色の珍しい髪の色をした少女は、水を含んだ服を着ているわりには軽かった。


「パヴェル様、これは一体……」


 馬を二頭抱えていて身動きの取れないマクシムが戸惑っている。


「そこで倒れていた。屋敷へ連れていくから、お前は医者を呼んできてくれ」

「は、はい!」


 シャールカの手を借りてパヴェルは自分に寄りかからせるように少女を馬に乗せた。

 ひんやりと濡れた冷たさが身に染みる。本当に息をしているのだろうかと不安になるほど肌の色が白かった。


 パヴェルはただ、見ず知らずの少女に、生きろと願った。


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