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4◇外界へ

 洞窟にラドミラを残し、舟は遠ざかる。

 エミーリエは懸命に涙を堪えた。泣けば、この男たちに軽く見られるのがわかっている。


「しっかし、タロン公国なんて幻だとばかり思っていたが、ちゃんと国として機能していたんだから驚きだ」


 男の一人が舟を漕ぎながらそんなことを言った。

 タロン公国が幻と。長年閉じこもってきた公国は、他所から見ると存在しないも同然の国だったということらしい。

 エミーリエにとっては生まれ故郷で、あそこがすべてだったというのに。


「ああ。川の流れが極端に弱まってきたから、興味本位で逆に進んでみたら秘境に出たなんて大発見だ」


 この川を使えばいつでもタロン公国に行けるわけではないのかもしれない。もしそうなら幻などとは言われなかっただろう。

 ふと、一人の男の目がエミーリエに向いているのがわかった。


「タロン公国の公女(ひめ)かぁ」


 ギクリとしたけれど、舟底に転がされているエミーリエを見る男の目つきは人間を見るものとは違った。彼らにとってエミーリエは珍獣でしかないような。

 思わず顔を背ける。


「傷つけるなよ」

「わかってるって」


 不思議とこの洞窟はまったくの暗闇ではなかった。うっすらと岩場が光って星空のようだ。

 本当の闇一色ではなくてよかったと舟底でぼんやり思った。


 水音と男たちの話声だけを聞きながら、エミーリエは懸命に頭の中からラドミラを追い出す。

 彼女のことはもう思い出したくない。言い返すこともできないし、仕返しもできない。


 だからせめて忘れてしまいたかった。これから何が起こるとしても、ラドミラを恨んで自分の中に彼女の居場所を作っておきたくなかった。



 どれくらい川を流れていたのか、この洞窟の中では時間の感覚がわかりづらかった。

 とてつもなく長い時間を漂っていたような気もするし、実はそれほどでもなかったのかもしれない。精神的に疲れ果てていたせいか、空腹も感じなかった。

 そして――。


 明るい光が舟を迎えた。

 けれど、実際のところはそれほど明るいわけではなかった。洞窟の外は曇天だった。それでも洞窟の内部よりはいくらか明るかったというだけだ。


「あー、これはひと雨来るな」


 男が空を見上げて言った。


「川の水が増えると危ねぇし、もう少し持ち堪えてくれるといいんだがな」


 しかし、天が人間の都合に合わせてくれるはずもない。

 雨雲は驚異的な速度で空を覆い尽くし、パラパラと小さな雨粒を降らせ始めた。その頃には舟は木の多く生えた場所に差しかかっていた。


「この辺りはまだベルディフ領だろ? ここで舟を停めて休むのもな……」

「ああ、領主が()()じゃ言い逃れも楽じゃねぇし」

「縛った娘が積み荷なんて、言い訳する暇もなく首を落とされるぞ」


 などと二人はぼやいていた。

 エミーリエは誰に見つかろうと構わない。むしろ見つかってしまえばいいと思った。

 どう転んでもエミーリエにとっての救いではないだろうから。


 初めて外の世界に出たけれど、こんな状況ではとても感動していられなかった。ただただすべてのことが虚しい。

 エミーリエの頬を打つ雨粒が次第に大きくなり、服も髪も濡れそぼる。それは男たちも同じだった。


「川の流れが速いな」


 そんな声が聞こえたかと思うと、舟に響くほどの衝撃があった。舟がどこかにぶつかったのだ。

 エミーリエが首を持ち上げると、男たちは船縁にしがみついていた。


「また来るぞ!」

「駄目だ、曲がり切れない!」


 先ほどとは比べ物にならないような強さで舟は硬い、多分岩にぶつかってしまったのだ。

 舟は大破を免れたけれど、男の一人が舟から放り出された。さすがにエミーリエも驚いてあっと声を上げた。


「シェンク!」


 もう一人は、相棒の名を呼び、躊躇うことなく川へ飛び込んだ。

 彼らは悪党だと思うけれど、仲間の危機に自らの命も顧みず飛び込むことができる。エミーリエはその絆を心の底で羨んだ。


 しかし、これでこの舟に残されたのは手足を縛られたエミーリエだけである。どうにかして体を起こし座り込んだけれど、それ以上のことができるわけではなかった。

 声を上げて助けを呼ぼうにも、こんな天候の中では誰もいない。それに、助けてもらえるとも思えなかった。


 本当に自分は独りだなとエミーリエは思った。

 降る雨が額から頬を伝って落ちていく。その中には涙もあったかもしれない。

 どこへ来ても独りだ。エミーリエは死ぬ時まで孤独に逝くらしい。


 舟は速度を増し、岩場に乗り上げた。エミーリエは勢いよく舟から飛ばされた。

 体を打ちつけられる衝撃に覚悟を決めたけれど、その前にあまりの恐怖から気を失っていたのかもしれない。痛みは感じなかった。


 曖昧な意識の中、少年のような声が聞こえた気がした。


「もう大丈夫だよ。よく頑張ったね――」


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