◇エピローグ
ある日を境に、エミーリエは消えた。
あまりに唐突で、どれほど捜しても痕跡ひとつ辿れなかった。まるでそんな娘は端からいなかったかのようにして消えた。
スラヴェナが腹いせに何かしたのだとしか思えず、パヴェルは彼女に問い質した。
「エミーリエをどこへやった?」
この時のパヴェルはさぞ恐ろしい顔つきをしていたことだろう。あのスラヴェナが取り乱し、膝を突いて許しを乞うほどだった。
「ハルディナ領へ向かった際、ジョフィエという女にエミーリエを害させようとしたのはわかっている。それで、帰還した後もまた何かを企てたんだろう?」
パヴェルが腰に佩いた剣の鍔を鳴らした時、彼女は怯え、泣きながら懇願した。
「お、お許しください! 少し脅しておこうとしただけで、あんな真似は二度と致しませんっ。でも、誓ってその後のことは存じ上げません!」
「それを信じろと?」
「ほ、本当です! わたくしはあの子がルドヴィーク様に色目を使ったのが気に入らなかっただけなのですっ。でも、ルドヴィーク様が失脚された以上、もうなんの意味も……っ」
それだけ言って卒倒してしまった。スラヴェナは野心家だが、ここまで綺麗に痕跡を残さずにエミーリエを連れ去れたとは思えない。もっと別の、頭の回る者が絡んでいるとした方が納得できる。
これだけ脅しておけば、もうスラヴェナは手を出してこないだろう。
しかし、スラヴェナでないとすると、誰の仕業なのか。それがパヴェルにはまったくわからない。
王太子妃の座を狙う令嬢やその親。それとも、パヴェルをよく思わない家臣――。
誰でもいい。エミーリエが無事に戻らなければ、誰の仕業だろうと同じだ。こんな世界は無価値だ。
本当に、ささやかな幸せでよかったのに、それすら手に入らない。
王太子になったのも皮肉なものだ。なんのために国を治めていけというのだろう。
ここ数日、荒れたパヴェルにはマクシムもシャールカも声をかけづらそうにしていた。そっとしておいてくれる心遣いはありがたかったけれど、憐れむような目が耐えられない。
エミーリエの情報が何も得られないまま八日間が過ぎた。
もしかすると、エミーリエは自発的にパヴェルのもとから去ったのだろうか。
王太子となったパヴェルにはしがらみが多く、自尊心の低いエミーリエは隣にいることに引け目を感じたのかもしれない。
けれど、それを言われてもパヴェルにはどうすることもできない。
エミーリエのために国を捨てればよいのか。
それをした時、エミーリエが罪悪感で押し潰されるのがわかるのに。
なんとなく、空が見たくなった。
ベルディフ領にいた時、エミーリエが立つ菜園の上空に白い小鳥が群を成して飛んでいたことを思い出した。
鳥たちがエミーリエを見つけ、ここへ導いてくれるといい。そんな願いを込めて空を眺めた。
その時、ポツリとひと粒の雫が頬に落ちる。
空は晴れていた。
そして――。
「パヴェル様!」
青い空にぼんやりと浮かび上がったシルエット。
空と同じ水色のドレスの襞が見えた。
目を疑うような光景ではあるけれど、エミーリエは空から現れた。涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らして、パヴェルの胸に飛び込んできた。パヴェルはとっさにエミーリエを抱き留める。
重みもあたたかさも匂いも、確かにパヴェルが知っているままのエミーリエだ。
「エミーリエ……」
呆然とただ名を呼ぶパヴェルに、エミーリエは泣きながら答える。
「ごめんなさい、パヴェル様。わたし、普通の人とは違うから、やっぱりパヴェル様とはお別れした方がいいと思って、それで出ていきました。勝手に決めてごめんなさい……」
空から降ってきたことを思えば、普通とは言えない。
思えば、エミーリエはいつでも不思議だった。
一体、どんな秘密があるのか。それがまったく気にならないわけではない。
けれど、今、腕の中で泣いているエミーリエのことが愛しいのは覆せない事実だった。
「俺のそばにいてくれと言っただろう?」
自分の声とも思えないほど、みっともなく震えていた。
息が詰まるほど強く掻き抱くと、エミーリエは小さく呻きながら返事をした。
「はい。ごめんなさい」
「ここにいてくれ。頼むから」
「パヴェル様がそれを望んでくださるなら」
悲しい思いばかりしてきたエミーリエを幸せにしたい。
それを願うのはいけないことだろうか。
エミーリエのためなら、世界が敵に回っても些細なことだ。
今、腕の中にあるぬくもりがすべてだから。
「お前がいないと、顔が強張ってひどいことになる」
それを言うと、エミーリエは涙を拭いて笑った。
大人しい少女から、ほんの少し成長した女の顔だった。
「また小さい子に泣かれてしまいますね」
「ああ、間違いなく大泣きされる」
「笑ってください、パヴェル様。わたし、パヴェル様の笑顔が大好きです」
この結末に行き着くまでの紆余曲折も、結果を思えばなんでもない。
手に入れた幸せは、ずっと、続いていくのだから。
【 The end 】
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
ふわふわふんわり甘い、綿あめのような作品を目指したはずが、う~ん、気づけば死人出てる(^^;)
通常運転ですね、はい。




