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願わくは幸せな結末を  作者: 五十鈴 りく


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39◇旅立ち

 ルドヴィークが王族の身分を捨てて出家したと聞いて、エミーリエは複雑な心境だった。

 彼自身が可哀想なのか、パヴェルが可哀想なのか、よくわからない。もしくは、どちらも可哀想ではないのかもしれない。

 それぞれがそれぞれにとって良いと思う方へ向かっていくのなら。


 部屋にいたエミーリエを訪ねてきたパヴェルは、エミーリエの手を取って言った。


「父上に結婚のお許しを頂いた。それと、今後はベルディフ領ばかりではなくハルディナ領も俺が管理することになる。ベルディフ領にばかりはいられないから、もしあそこの使用人で誰か気に入った者がいたなら王都に呼び寄せてもいいが、どうする?」


 王太子になるパヴェルは、今後は王都を拠点として行動することになるのだろう。どちらの領地も代理となる領主を立てて総括するという形になるのかもしれない。


 ルジェナの顔が浮かび、彼女を指名しようとしたが、やめた。彼女には地元に幼馴染の恋人がいて、多分近いうちに結婚するのだから。


「ありがとうございます。また考えておきます」


 曖昧に笑って答えたエミーリエに、パヴェルはどこか物足りないような表情を見せた。


「もう少し喜んでくれると思ったんだがな」

「えっ?」

「結婚の許しが出たと言っただろう?」

「あ……」


 嬉しくないわけではない。

 けれど、本当は喜べない。胸が痛い。


「すみません、まだ実感が湧かなくて」


 言いながら泣き出したい気分になった。

 話が進めば進むほどに苦しくなる。このままではいけない。


 それでも、パヴェルは優しかった。微笑んでエミーリエの髪を撫でる。


「そうだな。お前のことを置き去りにして、俺が急いで話を進めているからだな」


 でも、と言って言葉を切る。


「そうしないと、お前がどこかへ行ってしまいそうで不安になるんだ」


 わたしはどこへも行きません、おそばにおります、と言えたらよかった。

 けれど、上手く嘘がつけない。

 それをごまかすためにエミーリエはパヴェルの胸に顔を埋めた。


「幸せにしたいと思っている」


 その言葉を疑うことはない。

 パヴェルに出会えてよかったと思っている。

 この人のそばには夢見た幸せがたくさんあったから。



 パヴェルが帰ってから、エミーリエは窓を開けて呼びかけた。


「ヴァスィル、来て」

「――何か用?」


 すぐ後ろで声がした。

 いつかのように少年の姿のヴァスィルがいる。エミーリエは彼に問いかけた。


「ねえ、あなたたちの棲む天はどんなところ?」


 すると、ヴァスィルは小さくうなずいてから答えてくれた。


「どこまでも青い空が広がっていて、そこに浮かぶ島があって、とても静かで煩わしいものが何もないところだよ。逆に言うとね、とても退屈。人間の雑多な世界が面白く感じるくらいにはね」

「でも、実際に地上に来る竜は少ないんでしょう?」

「まぁね。地上に行ってきたって言ったら嫌な顔をされる。もう竜たちは完全に地上には興味がないんだよね。僕は変わり者なんだ」


 エミーリエは思わずクスリと笑った。

 確かにヴァスィルは少し人間臭いのかもしれない。

 だからこそ地上に、人間に興味を持って、こうして介入してくる。おかげでエミーリエは助かっているけれど。


「わたしもそこに行ってみたいって言ったら?」

「おすすめはしないよ。何もないし」

「でも、行ける?」

「まあね。エミーリエなら行けるかも」


 と、少年の姿のヴァスィルは肩を竦めてみせる。


「じゃあ、連れていって」

「本気で?」

「ええ」

「王子様にはなんて言うの? ちょっと旅に出てきますって?」

「パヴェル様には何も言わない」


 今後、あとどれだけこの名を口にするだろう。そう思ったら、どうしようもなく切なくなる。


「黙って行くの? 戻らないつもり?」


 ヴァスィルが困ったように言った。エミーリエはうなずく。

 その時、涙がポツリと零れた。


「悲しむよ?」


 それでも。

 人と呼べないエミーリエは、パヴェルとはいられない。


 この秘密を打ち明けられる気がしなかった。そして、ずっと抱えていける気もしない。


 ルドヴィークも苦しんだ。秘密は人の心を食い荒らす。エミーリエもまた、パヴェルのそばで自分を責め続けてしまう。


 幸せそうに笑えない、そんなエミーリエを見てパヴェルが悲しむのは嫌だ。

 涙を拭い、精いっぱい笑った。


「天からパヴェル様の幸せをお祈りするの」


 それがエミーリエの幸せ。

 パヴェルにはいつか、もっと素敵な女性が現れる。


 もしかするとそれはシャールカかもしれないし、そうではないかもしれない。

 先のことはわからないけれど、とにかくパヴェルが幸せでありますようにと祈るから。


「いつ?」


 最後にもう一度だけ会って――そう考えて諦めた。顔を見たら離れられなくなるだけだ。


「今すぐ」


 馬鹿なことをしているかもしれない。

 ヴァスィルは、エミーリエが馬鹿なことを言っていると思っているだろう。


 けれど、残念ながらあの占いは正しいのだ。

 エミーリエは禍を呼ぶ。パヴェルのそばにいれば、きっと。


「いいよ、わかった。行こう」


 ヴァスィルがエミーリエに向けて手を伸ばす。エミーリエはその手を、僅かな葛藤の後に取った。

 そうしたら、崖から飛んだ時のような感覚がやってきた。体が溶けて、光になって、窓から飛び出していく。

 そんなエミーリエをヴァスィルが導いてくれた。高く、高く、空へと昇っていく。


 ――これでいい。これで。

 エミーリエは何度も自分に言い聞かせた。


「こんなふうに飛ぶのは初めてだろう? せっかくだからいろんなところを回ってから行こう」


 ヴァスィルの声は明るかった。それはエミーリエをせめて元気づけるためだったかもしれない。

 カーライル王国は、空から見ても美しかった。恐ろしい目に遭ったハルディナ領の山々でさえ懐かしい。


 ベルディフ領まで続く川が見え、人々が大事に受け継いでいる農地が続いている。

 パヴェルの屋敷が見えた。ルジェナが外にいないだろうか。

 あの庭のパヴェルの隠れ処で昼寝することは、さらに忙しくなったパヴェルには難しいかもしれない。


 森林の木が川を隠す。高い山が囲うのは、エミーリエの故郷だ。

 まさかこんな形で見下ろすことになるなんて。


「ちょっと近づいてみる?」

「でも……」

「君がいなくなった後、家族がまったく捜さなかったなんてことはないんだ」


 本当だろうか。急にまた現れて嫌な顔をされないだろうか。

 もう戻るつもりはないから、最後に一度だけ、できればヴィレームに会って別れを告げてもいいだろうか。


「じゃあ、少しだけ」


 エミーリエは兄のことを思い浮かべ、屋敷の方へと飛んでいく。



 兄は窓辺にいた。窓を開け、空を見上げている。

 そして、その背後にいたのは――。


「ラドミラ……」


 二度と会いたくないと思った。それなのに、またこうして。

 けれど、目を背けるわけにはいかなかった。ラドミラはヴィレームの背から腕を回し、そっと寄り添っている。兄はそれを振り払うでもない。


 エミーリエには二人の会話が聞こえた。


「またエミーリエお嬢様のことを考えていらしたのですね」

「ああ。可哀想なエミーがどうか無事でいるようにと祈らずにはいられない」

「あれから手がかりは何もなくて……。すべて私がいけないのです」

「ラドミラ、自分を責めてはいけない。君はあんなに手を尽くして捜してくれたじゃないか。エミーは限界だったんだ」

「でも、私がしっかり鍵を確かめてさえいれば……」

「エミーも優しい君のことが大好きだった。どうか泣かないでくれ」


 どうやらラドミラは、エミーリエが勝手に逃げ出したという話をでっち上げたらしい。そして、嘆き悲しむふりをして兄に取り入ったと。


 どこまでも狡猾な人だ。嘘に苛まれることがない。

 エミーリエは怒りなのか虚しさなのか、区別のつかない感情に後押しされて部屋の中に飛び込んでいた。二人の背に呼びかける。


「ごきげんよう、ヴィレーム兄様。それから、ラドミラも」


 しっかりと足をつけ、ドレスの裾をつまんで礼をしてみせる。二人はギクリとして振り返った。


「エミー!? 本当にっ? 一体いつ戻ったんだっ!」


 ラドミラを押しのけ、エミーリエの手前まで近づいた兄。ラドミラはというと、亡霊を見たかのような面持ちだった。


「先ほどです。ヴィレーム兄様がお元気そうで嬉しいです」


 こんな時に笑えるくらい、エミーリエは自分が強くなったのだと思った。


「ああ、無事でよかった! 一体どこにいたんだ?」

「カーライル王国です」

「えっ?」

「カーライル王国に行って参りました」


 ラドミラは口を押え、窓辺から動かない。エミーリエはヴィレームを通り越し、ラドミラを見据えていた。


「舟で荷物のように運ばれました。その後、親切な方々に助けて頂きましたので無事でしたが」

「舟で運ばれた?」

「はい。ラドミラのお友達ですね。外界と繋がる方法を知っていたんです」


 そこでラドミラは狂ったように首を振った。


「ど、どうしてそんなでたらめを仰るのですかっ? 外界なんて行けるわけが――っ」

「あなたがわたしを外界へ連れていけとお友達に仰ったのでしょう? ねえ、クラール家のラドミラさん?」


 兄はハッとしてラドミラを振り返る。ラドミラが取り繕うには遅すぎた。


「まさか……」

「違います! 私は何もっ」

「バベッジ家が憎いのでしたっけ?」


 陥れられたことを恨んでいないとは言えないけれど、ラドミラがこの屋敷から離れていたら放っておいた。兄を騙している、それを許す気にはなれない。


 それでも、ここを出たばかりのエミーリエだったら何も言えなかっただろう。いろんなことがあって、護りたいと思えるもののために立ち向かえるようになっていた。


 エミーリエがラドミラの目を射竦めると、ラドミラはフッと気を失ってその場にくずおれた。それは竜の力によるところなのか、ラドミラの気力が尽きたのかはわからない。


 ヴィレームは戸惑いながらエミーリエを見た。


「今の話は全部本当なんだな?」

「ええ。舟に乗せられた時は恐ろしさでいっぱいでした。でも、今は外の世界に触れられてよかったと思っています」

「父様も母様も皆、エミーを心配していたよ。皆、エミーを嫌っていたわけじゃない。接し方がわからなかっただけなんだ。母様は、一番つらい思いをしているエミーの前では絶対に涙を見せたくないのに、エミーに何か言葉をかけようとすると泣いてしまいそうになって何も言えなかったって……」


 エミーリエを気にしてくれているのはヴィレームだけだと思っていた。ヴィレームはそんな家族の気持ちも知っていたから、皆の想いを背負ってエミーリエのところに来てくれていたのだろうか。

 それを知ったら、ふと心が軽くなった。そのことが嬉しい。


「僕の知るエミーよりもずっと強くなったみたいだね。それは外の世界を知ったからなのかな」


 そう言って苦笑された。エミーリエも苦笑するしかない。


「大切なものが増えました。今の私はとても幸せです。もうここには戻りませんが、ヴィレーム兄様のご多幸をお祈りしております。たまにでいいので、こんな妹がいたことを覚えていてくださると嬉しいです」

「エミー? もう戻らないだって? それはどういう――」


 最後まで言葉を待たなかった。エミーリエはまた飛び立つ。


「もういいの、エミーリエ?」


 ヴァスィルがエミーリエの意識に呼びかける。


「もう十分。ありがとう」


 気がかりがひとつ減った。

 兄に無事な姿を見せることができ、自分の意志で出ていくと示すことができてよかったと思う。


「そう。じゃあ行こう――」


 去り際にもう一度だけ空から見向いた故郷は、とても美しかった。


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