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3◇令嬢と侍女

 翌日の昼過ぎ――。

 本当にラドミラは侍女のお仕着せを持って部屋に来た。


「旦那様もヴィレーム様も丁度お出かけです。今はまたとない好機ですよ!」


 いつになくラドミラも興奮していた。

 昨晩は寝つけなくて眠たかったが、エミーリエは眠気を堪えてうなずく。


「う、うん」


 お仕着せを手に取り、その場で着替えた。

 白い襟のついた黒いワンピースにフリルのエプロン。それからすっぽりと被るキャップ。

 鏡で自分の姿を見て見たら、確かに侍女にしか見えなかった。


「では、参りましょう!」


 ラドミラは、新人の教育をするふうを装ってエミーリエを連れ出す。背筋を伸ばし、堂々としていた。その方が怪しまれない。

 エミーリエの方がおどおどしてうつむいてしまうけれど、その方が新人らしくていいのかもしれない。


 青い絨毯の敷かれた廊下を行き、ラドミラは使用人たちが通る厨房近くの道を通った。裏口から屋敷の外へ出ると、日差しが眩しくて慣れない目には痛い。けれど、そんな感覚すらも嬉しくて、自然と涙が浮いた。


「さあ、こちらですよ」


 裏手の木戸を通り抜け、ついにエミーリエは十数年ぶりに屋敷から出たのだった。

 いけないことだと罪悪感を覚えつつも、どうしようもなく心が躍っていた。花の香りを嗅ぎ、その風光を目に焼きつけたら、その思い出を一生大切に抱えていこう。



 ラドミラが連れてきてくれた丘には、色とりどりの花が咲いていた。

 中でも白い小さな花が群生しており、一面に広がっている。その場所は川が近く、水の流れるせせらぎも聞こえてくる。


 普段あまり歩くことのないエミーリエだから、少し歩いただけでも疲れを感じたけれど、それすらも吹き飛ぶほどに感動した。


「なんて綺麗なの……」


 ため息が零れる。そして、涙も。

 はらはらと静かに泣くエミーリエに、ラドミラは優しかった。


「お嬢様、せっかくですからお花畑に座りましょう」

「え、ええ」


 二人で花に埋もれて座った。すると、ラドミラはまるで童女のように今度は仰向けに寝転んでみせる。


「ああ、とっても気持ちがいいです。お嬢様もいかがですか」


 ここまで来たらなんだってやってみたい。エミーリエも花畑に寝転んだ。

 花の香り、草や土の匂い、川の音。

 すべてが素晴らしくて、エミーリエは初めて自分が生きているということを実感できた気がした。


「ラドミラ、ありがとう。わたし、今とても幸せよ」


 夢見心地でつぶやいた。

 ぽかぽかとあたたかい日差しが降り注ぎ、エミーリエはあまりの心地よさから意識が遠のいていた。

 早く帰らないといけないのはわかっているけれど、もう少しだけここにいたい。



 ――幸せから一転。

 エミーリエは頬を叩かれたような痛みを感じて目を覚ました。


 ハッとして起き上がろうとしたが、腕が動かなかった。ミノムシのように転がっていることしかできない。

 そして、そこはあの美しい花畑ではなかった。


「やっとお目覚め? のん気なものね。まあ、お茶に睡眠薬を入れておいたんだけど」


 嘲笑を含んだ声はラドミラに似ていた。それでも、口調がいつもとまるで違ったので別人だと思いたかった。


 けれど、堅い板の上に転がっているエミーリエを見下ろしているのは、暗がりではあっても間違いなくラドミラだった。そして、他にも二人の男がいた。


 エミーリエは、家族以外の男性とはほとんど会ったことがない。それが、手を触れられるほど近くに二人もいる。服装は粗野で、明らかに労働者だった。

 この状況から考えて、自分は誘拐されるのだろうか。


「わ、わたしがどうなってもお父様は嘆かないし、わたしと引き換えにお金を払うようなこともしないわ」


 自分で言って悲しくなるが、事実である。父はエミーリエが消えても、厄介払いができたと考えるだろう。

 危険人物を野放しにしてしまったという点でのみ責任を感じるかもしれないが、それだけだ。


 怯えたエミーリエにラドミラは吐き捨てる。


「そんなの当然よ。あなたにそんな価値があるはずないでしょう?」


 優しかったラドミラは偽りだったのだろうか。今の彼女からは嫌悪や憎しみしか伝わってこないのだ。


 ここまで嫌われていたのか。

 本当は嫌いなエミーリエの世話を焼かされて、相当に恨んでいたのか。


 ラドミラは味方だと信じていたこの想いはとても迷惑なものだったらしい。

 今更もう涙は出なかった。それもよくなかったのかもしれない。ラドミラは顔をしかめた。


「私はクラール家の血筋なのよ。これを言っても世間知らずのあなたにはわからないでしょうけど、あなたの一族が追い落とした貴族の末裔ってこと。本来なら、あなたが私にかしずくべきなのよ」


 クラール家と聞いても心当たりすらない。相当昔の話なのか、ラドミラの思い込みなのかはわからない。


 ラドミラは侍女として働きながらも、本来の自分は気高い貴族なのだという矜持を持って生きていたのだ。

 そんなラドミラが厄介者のエミーリエの世話をするのは、さぞ面白くなかったことだろう。


 黙りこくったエミーリエに蔑みの目を向け、ラドミラはさらに言った。


「厄介者のお荷物なのに、それでもあなたはお嬢様で私は侍女なの。あなたが非の打ちどころのない完璧な令嬢なら私も我慢できたのに、あなたは役立たずじゃない。それでも、働きもしないで生きていけるのよ。こんなの許せないわ」


 何を言えばいいのだろう。

 では、代わってあげたらいいのか。禍と呼ばれる存在になってくれるのか。


 エミーリエは言い返すでもなく、ただ暗い目をした。それをラドミラは鼻で笑った。


「ねえ、ここがどこだかわかる?」


 ここは洞窟のように思えた。そして、エミーリエが転がっているのは舟底だ。水の音が絶え間なく聞こえてくる。

 答えないエミーリエに、ラドミラは心を踏み荒らすような笑い声を立ててみせた。


「この川は外界に繋がっているのよ。洞窟を抜けると、そこはカーライル王国なのですって。この二人はそこから来て、この国を発見してしまったの」


 そこでずっと、ラドミラを遮らずに黙って聞いていた男の一人が口を開く。


「あんたを()()()に捨ててくる。そうしたら、このお嬢さんはこれからも俺たちに協力してくれるってよ。領主のところの侍女だから、いろんな情報が手に入るだろうしな」


 ラドミラはエミーリエだけでなく、一族そのものを恨んでいる。それならば無法者に手を貸してでも、エミーリエの家族を追い落とすことに躊躇いはないのだ。


「捨てて? 違うわよ。()()()()()と頼んだの。頭が空っぽのただの小娘だって売れるでしょう?」


 愕然としてしまうようなことを言われた。

 ただの垂れ死ぬだけでは飽き足らないと。奴隷になって鞭打たれればいいと。

 そこまでエミーリエを貶めたいらしい。


「女の恨みは怖ぇな。ま、売った金は俺たちにくれるってんだから、文句は言わねぇけど」


 無精ひげの口元が歪んだ。卒倒しそうなことばかり続くけれど、決して意識を手放してはならない。けれど、どこまで気力が持つだろうか。

 絶望に打ちひしがれるエミーリエを見て、ラドミラは少しくらいは満足だったのかもしれない。


「なぁに? あなた、まだ生きていたかったの?」


 ――夢も希望もなく、生に執着を持たずに諦めたつもりでいた。

 けれど、そんなものは振りだけだ。本心では幸せを願っていた。幸せになりたいと夢見ていた。

 それをラドミラは嘲笑う。美しかった顔は醜悪にしか見えなくなった。


「厄介者のくせに、それでも生きたいなんて浅ましいのよ」


 そうかもしれない。

 生きたいと願うことすら、エミーリエにはおこがましいのだ。

 その事実がひどく悲しく、エミーリエの心を絞めつける。


「じゃあね。二度と会うこともないでしょうけど。精々苦しんで死ぬといいわ」


 そんな呪いとも呼べる言葉を最後に、(もや)いが解かれ、舟は川の流れに乗って進む。

 故郷は、エミーリエとの別れを惜しんではくれなかった。それこそ厄介払いをするかのように舟を流し、消し去ろうとする。


 幸せを願うのならば、それは来世に望みを繋ぐしかないのだろうか。

 エミーリエが願うにはあまりにも難しいことだから。


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