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願わくは幸せな結末を  作者: 五十鈴 りく


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37◇ふたりの母とふたりの子

 エミーリエは王都に戻ってひと息ついてから、また書庫に通っていた。

 パヴェルからなるべく一人になるなと言われているけれど、ここならば司書がいるからいいだろう。


 ただし、落ち着いて本に没頭できるような心境ではない。それでも、本の匂いを嗅いでいるだけで心が安らぐ気がした。

 竜がしたためたあの本はここへ戻すべきだろうかと考える。読める者のいない本ではあるけれど、またいつかの時に備えてここに眠らせておいた方がいいのかもしれない。


 エミーリエがぼうっと本の背表紙を眺めていると、背中に声がかかった。


「ここにいたのか、エミーリエ」


 振り返ると、ルドヴィークがいた。

 いつもよりも表情が硬いように思える。顔が引き攣りそうになるのを必死で抑えているような。


「こんにちは、王太子殿下。お邪魔しております」


 膝を曲げて挨拶すると、ルドヴィークの顔がさらにぎこちなく痙攣する。エミーリエは、何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げたくなった。

 ルドヴィークは、顔の半分を手で覆い、ククッと小さく笑い声を立てる。


「ごめん、もう僕は王太子じゃないんだよ」

「えっ?」

「王太子はパヴェルだ。父上はパヴェルを王太子にするって。本当はずっと、そうしたかったんだよ。パヴェルは優秀だからね」

「パヴェル様が……」


 うつむいたルドヴィークは悲しんでいるのだろうか。

 パヴェルは、喜んでいないと思えた。むしろ、ルドヴィーク以上に悩んでいるのではないだろうか。


 そして、王太子となったパヴェルの妃になど、エミーリエは余計になれない。

 しかし、そんなエミーリエの心境をルドヴィークが知るはずもない。


「嬉しい?」


 ポツリ、と短く問いかけてくる。

 よく見ると、いつの間にか司書がいなくなっていた。この書庫にいるのは二人だけだ。

 ルドヴィークが一歩、エミーリエに近づく。


「パヴェルは文武両道なばかりか、厳しいようでいて心優しい。僕にないものをすべて持っている」


 それはパヴェルが努力をしたからだ。

 母親のことがあって周囲が皆敵に回ったから、強くなる必要があった。

 何もかも生まれ持っていたわけではない。


「パヴェル様は、お兄様を大切に想っておられます」


 これは本当だ。パヴェルは王になるルドヴィークを支えていきたかったのだ。

 けれど、ルドヴィークはそれを鼻で笑った。


「パヴェルは真相を知らないからね」

「それは、一体……」

「僕たちの母親は――僕の母上の方がパヴェルの母親を嫌っていたんだよ。彼女はとても綺麗だったから。そんな彼女が嫌で殺したくなったのに、指示した侍女に裏切られて死んだのは自分の方なんだから、どうしようもないよね」


 目の前にいるルドヴィークは、気弱で優しい王子とは言えなかった。心に深い闇を抱えた人だ。

 その暗闇を隠すため、柔和に、無害そうに笑って見せていた。


「それが真実なら、どうしてずっと黙っていたのですか?」


 エミーリエは、騒がしい心臓を押さえながらも言わずにはいられなかった。

 その言葉を投げかけられた途端、ルドヴィークは驚いたように目を見開く。


「言えるわけがないじゃないか。母が殺人を企てていたなんて。僕は王太子どころか廃嫡されたよ。あれはパヴェルだから無事に残れたんだ。僕では無理だった」

「でも、それではパヴェル様のお母上は無実なのに断罪されたのでしょう? パヴェル様もずっと苦しんでこられて……」

「そんなことはわかっている。でも、パヴェルはなんだって持ってるから、少しくらいの(きず)には耐えられる」


 なんて勝手なことを言うのだろう。

 自分ならば耐えられなかった険しい道を、パヴェルが楽に歩けたわけもないのに。


 ルドヴィークはまた一歩、エミーリエに近づいた。

 とても近い。けれど、恐れるつもりはなかった。


 この人がしたことは許せない。

 パヴェルが捧げていた心を、この人は踏みにじっていたのだ。


 自分を見据えるエミーリエに、ルドヴィークは歪んだ笑みを見せた。


「パヴェルはすべて手に入れる。だが、一番大事な愛しい君のことだけは手に入らない」


 ルドヴィークの手がエミーリエに伸びた。二の腕を強くつかまれる。

 そして、ルドヴィークはエミーリエの耳元でささやいた。


「パヴェルに別れを告げて僕と来るんだ。拒むのならこの場で殺す」


 本当に、人が変わったかのように冷淡な言葉を吐く。

 これがルドヴィークの本性だったのだろうか。


 それとも、母親のことが枷となったのは、むしろルドヴィークの方だったのか。

 パヴェルの献身がルドヴィークを追い詰めたとも言えるのだとしたら、あまりにも悲しい。


 だからといって、エミーリエの返事が変わるわけではない。


「お断りします」


 きっぱりと、ルドヴィークの目を見て言った。


「死ぬよ?」

「それでも、お断りします」

「そんなにパヴェルがいいの? それとも、王妃になりたいの?」


 地位なんてどうでもいい。

 ただ、初めて出会った時、得体の知れないエミーリエを身を乗り出して助けてくれたパヴェルのことを思い出していた。


 パヴェルは、エミーリエでなくとも、誰が相手でも同じように手を差し伸べられる人だ。

 そんな人と誰を比べられると。


「わたしはパヴェル様以外を選びません。もしパヴェル様が廃嫡された側だったとしても、それは同じです」


 パヴェルは、エミーリエにとって初めての喜びをたくさんくれた人だ。

 どんなふうに脅されても、この気持ちは変わらない。

 すると、ルドヴィークは目を細めた。


「――残念だ」


 ルドヴィークの手エミーリエの首に伸びた時、静かだった書庫に足音が飛び込んできた。


 パヴェルとシャールカ――ではない。

 よく似た顔をした双子の兄、カレルだ。

 カレルはパヴェルに寄りつこうともしなかったはずなのに、連れ立ってやってきたのは、もしかするとルドヴィークの様子がおかしいと気づいてパヴェルを呼んできてくれたのだろうか。心なし青ざめて見える。


「兄上……」


 悲愴な面持ちのパヴェルに目を向けると、ルドヴィークはエミーリエを突き飛ばし、そしてひと言もなく書庫を出ていった。


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