36◇示される時
捕まえた斥候から情報を引き出すのは至難の業だった。情報を漏らすくらいならば自決するのが訓練された斥候だ。拷問も無意味だろう。
この男たちをヴァラフ王国に突きつけたとしても、白を切るのはわかりきっていた。ヴァラフとの繋がりを窺わせるものは何も身に着けていないのだ。
それでも、斥候の遺骸は使える。パヴェルは天幕の中に繋いである斥候に告げた。
「仲間の遺体を持ち帰ることを許してやる。その代わり、二度目はない。次に我が国に手を出してきた時には容赦なく攻め入る」
あたたかみなど微塵も浮かべず、鬼神と恐れられる姿そのままに、パヴェルは言い放つ。
「このパヴェル・レサーク・カーライルが必ず、地の果てまで追っていき、息の根を止めてやる。お前たちの飼い主にそう伝えろ」
土気色をした顔の斥候たちが唾を呑み込もうとした喉が鳴った。
これだけ脅しつけても駄目ならば、本当に国ごと叩いてやってもいい。そんな気分だった。
パヴェルは自分の大事なものを傷つける相手だけは許さない。
これから兄が治めていくこの国もそうだ。荒らすのならば容赦しない。
斥候を放ち、パヴェルの部隊はしばらく警護のためにハルディナ領を巡った。
思いのほか、民たちの表情は暗かった。それはヴァラフ王国のせいだと思ったが、そればかりではなかったのかもしれない。
「ほら、前に僕たちも騙されて馬を盗まれそうになったでしょう? ここでは取り締まりが甘いらしいです。訴え出ても泣き寝入りだって嘆いていました」
マクシムが得意の笑顔で話を聞き出してきた。パヴェルは気鬱にため息をつく。
「そんなことが繰り返されていたら、民は安心して暮らせない。兄上のお耳に入れなければな」
「そうですねぇ」
どこか悲しそうにマクシムは相槌を打った。
王都に戻る頃、エミーリエはよくぼうっとしていた。
気づくと空を見上げていることが多い。何かをつかみ取ろうとするように手を伸ばす。
エミーリエを消そうとしたのはスラヴェナだろう。
兄に婚約解消を言い渡され、その理由がエミーリエだと邪推した。
エミーリエがおらずとも、彼女自身の心にこそ問題があるのだと気づけない。どこまでも愚かな女だ。
そして、ジョフィエの夫は事情を知らなかった。ジョフィエが勝手に取引をして画策したことらしい。
病身の息子がいて薬代が嵩む。それがジョフィエに道を踏み外させた原因だが、その事実をエミーリエに伝える気はなかった。
エミーリエは、それなら代わりに落ちてやればよかったとでも言って苦しみそうで嫌だから。
ジョフィエの夫は、自発的に退役ということになった。パヴェルは表立ってジョフィエの罪を問わなかったのだ。当人が死んだこと、エミーリエが無事だったことがもちろん大きい。
そして、息子の治療費の足しにと裏で金銭を渡した。何故そんなことをしたのかといえば、ジョフィエの息子がまるで自分自身と同じに思えたからだ。
罪を犯した母の息子。もう一人の自分を作りたくはなかった。
だから、母親の死の真相は絶対に息子には話すなと約束して、彼女の夫に金銭の援助をしたのだ。
ただし、スラヴェナのことは少々脅しつけてやらねばならない。もしそれで引かないようならば父の力を借りてでもどうにかする。
兄にはどこまで伝えようか、それが悩みどころだ。
しかし、パヴェルが帰還すると、それらの悩み事が吹き飛ぶようなことを父から告げられた。
「ご冗談を――」
「何が冗談なものか。此度お前が向かうのならば、それ相応の覚悟を決めよと申したはずだが?」
父は厳しい面持ちで王座から告げた。
「お前は無事、役目を果たした。そして、ルドヴィークは何もしなかった。私はお前が帰還した時こそ、ルドヴィークを廃するつもりで送り出したのだ」
今、パヴェルは誰の目から見ても青ざめていただろう。
兄を援けたいと思ったパヴェルが、兄の立場を危うくした。そして――。
「パヴェル、お前を王太子に立てる。お前にはルドヴィークよりもはるかに王としての資質がある。これ以上目を瞑るわけにはいかん」
「いえ、私にそのようなものはございません。どうか、お戯れはおやめください」
「お前がルドヴィークに引け目を感じているのはわかっている。しかし、それで民はどうなるのだ?」
顧みられていないハルディナ領。
今後、兄が王になれば王国全土がそうなる。パヴェルが補佐をしたとしても、それで民はそんな王を敬うだろうか。
父は王だからこそ、この非情な決断をした。心は誰よりも痛んでいる。
こんな時に結婚の許しどころではない。
「この決定は覆らぬ。よいな」
重臣たちは騒然としていた。
今まで軽んじてきたパヴェルが王太子になる。それは、これまで築いてきた人脈が無駄になるということだ。
パヴェルはすぐに兄に会いに行けなかった。
また、兄から奪ってしまった。
どんな顔をして会いに行けというのだろう。




