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2◇ご褒美

 エミーリエの故郷タロン公国は、山に囲まれた盆地であり、他国との交流が途絶えて久しい。

 唯一の道が土砂崩れで埋まってしまったのは何百年も昔のことだと聞くが、周囲の地盤がゆるく、再び道を開くのは難しいという。


 他国が、閉じ込められたタロン公国をどう見ているのかはわからない。それと同じように、タロン公国から外界のこともほとんどわからなかった。

 外部からなんの接触もないのなら、小さな公国など忘れ去られたというところかもしれない。


 完全なる自給自足で生き永らえることができている以上、今後もずっとそうなのではないだろうか。外からの刺激がない分、タロン公国はゆるやかな時の中、移り変わりの少ない毎日を送っている。

 部屋の外へすら出られないエミーリエが他国へ行くことなどまずないから、外界のことは気にする必要もないのかもしれない。


 それでも、部屋の中で読む書物には外の世界が描かれている。だから、外の世界に想いを馳せるのがエミーリエの楽しみではあった。


 海原、森林、洞窟――物語の中は刺激で満ち溢れている。

 そして、冒険の末には幸せな結末が用意されていた。


 呪いは解け、恋人同士は結ばれ、病は治り、富を得る。

 どんな苦労もその先に幸せが待つのだとしたら乗り越えられるだろう。

 自分の人生にもこんな結末があればいいのに、とエミーリエは嘆息した。


 本を閉じると、ラドミラが食事を運んできてくれた。カバーを外す前から牛肉と赤ワインの匂いがした。


「お待たせしました」


 優しく微笑んでくれるラドミラを見ると、エミーリエもほっとする。


「ありがとう、ラドミラ」


 冷めていても上等な料理だ。使用人たちと同じものを食べろというような扱いは受けていない。

 ――日々の暮らしに不満を持つのは贅沢なのだろうか。


 何度か目を瞬いて、それからエミーリエは努めて明るい声を出した。


「ヴィレーム兄様が教えてくださったのだけれど、今の季節の丘はお花がとても綺麗に咲いているそうなの。ラドミラはもう見たのかしら?」


 すると、ラドミラは苦笑した。


「そうですね、お暇が頂けたら見に行きたいと思いますが」


 侍女であるラドミラは仕事が多く、遊び惚けている時間はないらしい。


「そうよね、仕事があるものね。ごめんなさい」


 しょんぼりとして謝ると、ラドミラはテーブルを整えながらもエミーリエを気の毒そうに見つめた。


「エミーリエお嬢様、丘いっぱいのお花をご覧になりたいのですね」


 それはもちろんだけれど、父の許可もなく外出などできない。

 だからせめて人伝にでもいいから外の様子を知りたかっただけだ。


「う、うん。でも無理なことだから」


 わがままは言えない。

 禍を呼ぶ〈ウィルド〉の娘が誰かを害した場合、その責任は父に向かうのだ。


 どんなことも我慢しなくてはならない。役に立たない自分だから、せめて人様の迷惑にだけはなりたくない。

 それでも、ラドミラはそんなエミーリエを憐れんだ。


「お可哀想なお嬢様……。何もかもお嬢様のせいではございませんのに」


 目尻をエプロンの裾で拭う。ラドミラだけでもそう思ってくれるのなら、エミーリエは耐えられる。


「いいの、ありがとう」


 心を穏やかに静めたエミーリエだったが、ラドミラは潤んだ瞳で言った。


「少しだけなら……」

「えっ?」

「少しお花を見てくるくらいなら許されるのではないでしょうか?」


 ラドミラの言葉に、エミーリエは目を瞬いた。


「で、でも」

「鍵はここにあります。見つからないように私のお仕着せをお貸しします。買い出しに行く振りをして、ほんの少しだけ外へ出かけましょう。大丈夫、この部屋に近づくのはヴィレーム様くらいですから、ヴィレーム様のお留守の時に出かけたら、わかりっこありません」


 その誘惑はとても甘美だった。

 強い心を持って、いけないと跳ねのけられなかったのは、エミーリエが誰よりもそれを望んでいたからだ。


「でも、もし見つかってしまったらあなたに迷惑がかかるわ」


 屋敷をクビになるのは間違いない。そうしたら紹介状も書いてもらえないだろうから、転職も難しくなる。

 この小さな国では、侍女を必要とする屋敷もそう多くはないはずだ。


 何より、ラドミラがいなくなったらエミーリエが耐えられない。

 それでも、ラドミラは引かなかった。艶やかな唇に人差し指を当てる。


「だから、たった一度だけです。これは神様からお嬢様へのご褒美だとお思いください」


 ただの一度でもいい。自由に外の風を感じてみたい。

 黙ってしまったエミーリエに対し、それでもラドミラは続けた。


「機会があるとしたら明日でしょう。お花が散ってしまうほど先ではいけませんから、急がないと。明日、お仕着せを持ってきますね」


 そう言ってラドミラは下がった。

 エミーリエは夕食の味がしないほどそのことばかりを考え、気が昂りすぎてほとんど眠ることもできなかった。


 けれど、胸は高鳴り、これまで感じたどんな時よりも幸福感を抱いた。


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