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願わくは幸せな結末を  作者: 五十鈴 りく


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16◇町

 エミーリエは体力の続く限り駆けていた。

 日が暮れてしまう前に少しでも遠くに行かなくては――。


 彼らにはあんなに親切にしてもらったのに、最後にはひどく怒らせてしまった。

 不快な思いをさせるつもりはなかったのに、人と接し慣れない自分だから、何もかもが上手くいかなかった。


 パヴェルの言いつけに背いた以上、もうあそこには居られない。

 いつまでもあの屋敷に図々しく居座るわけにはいかなかった。


 二度とパヴェルと顔を合わせてはいけないのだ。

 自分で選んだはずが、そう思うとひどく寂しかった。


 ここにいてもいいと優しくしてくれたのに、あんなふうに怒らせたのはエミーリエに何かが欠けていたせいだろう。

 はあ、はあ、と息が切れて、苦しくなって涙が零れた。


 こんなにも走り続けたことはなかった。

 自分では遠くまで来たつもりでいるけれど、実際はそれほどでもなかったかもしれない。

 先に続く道をただひたすら走っていた。この道がどこに続くのかも知らないのに。


 ルジェナに挨拶できなかったのは心残りだけれど、彼女はエミーリエが心配しなくても幸せになれるだろう。自分のことは忘れてくれていいと思った。

 どこにいても、結局のところエミーリエはなんの役にも立たないのだから。


 疲れた足がもつれて転んだ。

 顔は庇ったけれど、手を擦り剥き、唇を噛んでしまった。血の味が滲む。

 それでもぼうっと歩き続けると、声が聞こえた。


「君はどうしたいの?」


 その声は子供の、まだ幼い少年のような声だった。

 けれど、無邪気さとは無縁の思慮深い響きがあるように感じられる。


 辺りを見回したけれど、子供の姿などない。

 転んだのがよくなかったのだろうかと頭を振ってみた。


「可哀想に。ねえ、君はどうしたいの?」


 今度はもっと鮮明に声がした。

 エミーリエは戸惑いながらもその声に答える。


「殿下のお屋敷から離れたいの」


 その声は続いた。


「そう。じゃあ、目を瞑って」


 意味もわからないまま、エミーリエはその声に従った。

 眩暈のような感覚がしたのも束の間で、恐る恐る目を開けた時、そこは知らない町だった。



 エミーリエ自身は〈町〉を知らない。

 知識と照らし合わせて、そこが町と呼ばれる場所なのだろうと思っただけだ。


 どうやってここへ来たのか、あの声はなんなのか。

 わからないことだらけだが、そのことを突き詰めて考えるのは難しかった。


 今のエミーリエには受け止めきれないことが多すぎる。

 今はただ、これからどうするのかを優先して考えた方がいい。


 そうして、不思議な出来事を無理やり頭から追い出した。

 それについて考えるのは落ち着いてからだ。


 ここは暗い建物の影だったけれど、そこを出ると火を灯された街灯や軒下のランタンが明るく煌めき、人々が夜を拒んでいるように見えた。

 人々は日が暮れてからも忙しく行き交い、未だ帰路につこうとはしていないようだ。楽し気に笑い合い、肩を組んで歩いている。


 人々の服装は、エミーリエの家族やパヴェルたちと比べると幾分砕けていて、生地もそれほどよいものではなかったけれど、皆が同じような水準ならば気にするところではない。

 あの中に紛れてしまうには、エミーリエのワンピースは上等すぎるのかもしれない。


 スカートをつまんでみて、エミーリエはこの服は自分のものではなかったと思い出した。

 これを着て出てきてしまったのは窃盗になるのだろうか。速やかに出ていくことを優先したら、着替えるのを忘れた。これだけは許してほしいと願った。


 宿という、金銭を支払うことで寝泊まりさせてくれる施設が町にはあることは知っているが、エミーリエはその金銭を持ち合わせていない。今日はどこかで時間を潰し、朝になったら仕事をさせてくれるところを探すしかないだろう。

 ――自分にできるだろうか。


 不安しかないけれど、嘆いていても仕方がない。死ぬ気でやればできないこともないはずだ。


「よし!」


 思いきってエミーリエは町の通りに出た。

 変に思われないように胸を張って、なるべく自然に歩いてみるが、少し歩いただけで通行人の目が自分に向いているのに気づいた。


 町に馴染みたいと思ったものの、やはりエミーリエはこの国で奇妙な存在なのかもしれない。

 とはいえ、打ちひしがれていても仕方がない。なるべく急いで通りを抜けた。


 その先はさらに広い大通りで、そこへ踏み入るには勇気が要った。だから、そちらを避けて薄暗い小道の方を選んだ。


 すると、今まで嗅いだことがないような()えた臭いが漂っていた。

 この臭いはどこから来るものなのだろう。ここで生活しようとするのなら慣れなくてはならないのに、今は臭いが気になって仕方なかった。


 浅く呼吸を繰り返しながら歩いていると、不意に木の扉が軋む音を立てながら開いた。

 そこにいたのは小柄な老婆だった。けば立ったショールを肩に引っかけ、桶を手に持っている。

 汚れた水をザッと溝に捨てて腰を摩りながら顔を上げた。その時にエミーリエと目が合う。


「うん? こんなところにいるには上等なお嬢さんだ。道に迷ったのかい?」

「え、ええ、まあ」

「こんな遅い時間に路地裏をウロウロするもんじゃないよ」


 あやふやな受け答えしかしないエミーリエに、老婆は何か事情があると察したのかもしれない。家の扉を大きく開いた。


「少し休んで行くかい?」


 開かれた家の中からは明るい光が漏れていた。

 エミーリエはほっとして、涙が滲みそうになった。

 何も解決していないけれど、ひと時だけでも誰かと過ごしたいと思えた。


「ありがとうございます」

「さあ、入りな」


 その言葉に甘えた。

 ――この時、自分を捜している誰かがいるとは思いもよらずに。


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