能登半島
日本列島の本州を見てみると日本海側は滑らかに湾曲した形をしています
秋田県の男鹿半島が少し出っ張っていて、丹後半島は若狭湾が窪んでいるから出っ張りに見えるだけで、実は日本海側には出っ張ってはいないと思っています
さて、そんな中で唯一異質なのが能登半島です
これは本当に自己主張が強く日本海側に出っ張っています
なだらかな日本海側沿岸を通るとしたらここだけが特別に迂回しないといけない所なのです
しかし何故この部分だけ飛び出ているのでしょうね?
地図で見ると能登半島は東に向いて口を開けている龍の顔みたいにも見えます
そしてその口ははるか先に浮かぶ佐渡島を威嚇しているようにも見えます
そう考えると佐渡島は能登半島からスタコラサッサと逃げて男鹿半島に向かっているようにも見えてきます
古事記の国生み神話から言うと、7番目に佐渡島が生まれて、最後の8番目に本州が生まれたことになっています
先に生まれた7つの島を避けながら最後に一番大きな島が生まれたことが不思議でしかないのです
全体像から考えて、普通は一番大きな島から生みたいと思わないのでしょうか?
まあ、1番目の淡路島は国産みの試作品みたいな扱いだと考えたら理解できます
次の2番目に生んだ四国もまあ、淡路島とは全然規模の違う大きな島を生んでおこうか?というこれまたチャレンジの結果だと考えれば理解できます
でも、ここまでです
次に九州へいくならまだしも、3番目は隠岐島ですよ
なぜそんな離れた場所にそれもそんな小さな島を生む必要があるのでしょうか?
じゃあ、百歩譲って四国を生んだ休養も兼ねて隠岐島にしたとしましょう
・・・なるほど確かに4番目は九州ですね・・・
5番目が壱岐島、6番目が対馬、そして7番目の佐渡島・・・
いやいやそれなら3番目に隠岐島を生むのではなく対馬の次に隠岐島、その次に佐渡島へ行くのが無駄のない動きだと思うのです
そこから考えても、やはり今の日本海側の島を生む前に先に本州だと普通に考えたくなると思うのですけどね
さて、本州が最後に生まれました
日本海側は湾曲したとても長いなだらかな海岸線だけで良かったのではないでしょうか?
先に四国が生まれて、隠岐島もあの位置にあるので本州の西側の現在で言うところの山陽・山陰地方は細長くなってしまったのは理解できます
また先に九州が生まれているので、本州はあの現在の山口県下関市の辺りが西端になったのも理解できます
しかし、能登半島が存在しないといけない理由が見つけられないのです
神世の時代の話ですから、必然性のあるものしか創造していないと考えています
何故本州のあの位置に能登半島が必要だったのか?
ここで一考察があります
実は7番目に生まれた佐渡島は多兄弟の下の方の子供特有の甘えん坊だった
そして自分だけが他の兄弟とはかなり離れた位置にあったので寂しく、兄弟達に甘えたくて親神様の言いつけを守らずにすきさえあれば西の方へ勝手に移動しようとしていた
本州を生む時に当初は能登半島を創る予定は無かったけれど、わがままな佐渡島が勝手に移動するのを阻止するために龍に命じたところ、ちょうど陣取った位置が今の能登半島の場所だった
さすがの佐渡島もこの口を開けて恐ろしい顔をして睨んでくる龍が怖くて、逃げ出しそうになっている状況が現在の状態なのではないか?
そう考えています
佐渡島が西日本に生まれていたら、能登半島は存在しなかったという考察です
日本書紀では国産みの順番が違いますね