8 大空ひばりの場合(88歳、推定資産150億円):ブガッティ
8 大空ひばりの場合(88歳、推定資産150億円):ブガッティ
男はみんなおたおたするばかりで見ていられないわよね。死ぬまでにお金を使い切ればいいのでしょ。たったそれだけのことじゃない。お金を使って楽しく生きればいいだけなんでしょ。男どもはそんな簡単なこともできないんだから。
死ぬまでにやりたいことを片っ端からやっていけばいいだけなのよ。まずは、世界で一番高い車に乗りたいわね。いったい、それは何? 「ブガッティ ラ・ヴォワチュール・ノワール」、舌を噛むような名前ね。紙に書いて頂戴ね。目が悪くなったから、でかい字でお願いね。
まあ、それでいいわ。その車、注文して頂戴。えっ、もう誰かのものになっていて買うことができないって。それは一体いくらなのよ。15億。それなら即金で払うって言って。50億までなら出してもいいわよ。
そのなんとかいう車は、ヒョウ柄にしてよね。内装だけじゃなく、ボディもよ。そんなことを言ったら売ってくれないって? そんなこと言わなければいいでしょ。買ってしまえばこっちのものよ。私は大阪の女よ。大阪の女はいくつになってもヒョウ柄なのよ。覚えておいて頂戴ね。
私、運転免許を持っていないんだけど、東名を運転できるかしら。できないって。なんとかならないの。ならない。それらなら、どうしたらいいのよ。運転手を雇ったらいい? バカ言ってんじゃないわよ。私は運転したいの。自分で運転したいの。
それなら自動車学校にいかなきゃあならないって。今さら学校に行ってられますかってんだ。でも、行って運転免許証を取らないと運転できないの。どうしても? どうしても。しかたないわね、運転免許証を取りに行くわよ。その運転免許証はいったどのくらいでくれるのよ。だいたい一ヶ月。それなら急がないといけないわね。その自動車学校に入る手続きを早速して頂戴よ。私は口は達者だけど、運動神経は子供の頃から鈍かったし、最近は年のせいか、少し反応も鈍くなったの。
若くてハンサムで優しい先生をつけてよ。専属の先生にしてね。いくら金がかかってもいいわよ。専属の先生に専属の車がいいわね。そのブガ、そうそうその「ブガッティ」で練習するのはどうなのよ。できないの。それなら、適当な車を見繕って頂戴。ボディはヒョウ柄でお願いね。駄目? 金でなんとかなるわよ。心配いらないって。ここは大阪よ。
先生、教習の時は毎日顔が引きつっていたわ。それでも教習所の中では、最後の頃は冗談も出るようになったのよ。一応、私が習っている間は、教習所は私の貸し切りにしてもらっていたから、ぶつかってくる車はなかったわね。でも、あのS字カーブや、クランクって言ったからしら。あれいったい何なのよ。あんな狭い道、いったいどこにあるって言うのよ。イジイジしてて私好きじゃないわ。縦列駐車っていうの、あんなの普通の車だったら自動運転でできるようになっているんでしょ。自動でできない車に乗る人だけが練習したらいいのよ。ほんとにいやになっちゃった。
一般道に出ての運転は、さすがの私も必死だったわ。あんなに下手な運転手ばかりが車を走らせているなんて、今の今まで思ってもみなかったわ。私の車を見たらみんなクラクションをならしているのよ。何か私悪い事したのかしら。教習所の先生はどうしたわけか悲鳴を上げっぱなしよ。「対向車線を走るな」って怒鳴っていたわ。こっちは年寄りなんだから、道を譲ってくれるべきよね。年寄りに親切ではないんだから。
先生の中には私の車に同乗するのを嫌がって、登校拒否になった先生もいたそうよ。根性がないわね。でもまあ、教習所の人たちにはいろいろと世話になったわね。検定試験には、脱輪を大目に見てもらって、免許証をもらることができたわ。早く卒業させたかった、そうかも知れないわね。
「ブガッティ」、さすがに高い車だけあるわよね。映画に出てくる007の車みたいにかっこいいじゃない。ヒョウ柄が似合っているでしょう。さあ、早速東京までひとっ走りしましょう。東京にいる昔の恋人に会いにいくのよ。あんたに話したことなかったっけ。私が20歳の時に、私を捨てた男よ。アポもとらずに、突然行って驚かせてやるの。どこに住んでいるかって? テレビ局に訊けばわかるわよ。昔売れた漫才師だったんだから。そもそも生きているかどうか怪しいですって? その相手は、当時いったいいくつだったんですかって? 私の10歳上だったわね。まだ100歳になっていないじゃないの。それならあいつは生きているわよ。あんたに振られて私はがむしゃらに頑張ってきたんだ、って一言言ってやりたいのよ。もう、顔もうる覚えになってしまったんだけどね。
あんたは助手席に乗るのよ。私一人じゃあ退屈でしょう。まさか乗りたくないっていうわけじゃないでしょうね? こんな車に乗れる機会は一生に一度あるかないかだわよ。その一生が今回で終わるかもしれないって? 面白いこと言うわね。こんな頑丈な車なんだから、ぶつかってもひっくり返っても死ぬわけないでしょう。ぶつかるのが前提かって? そんなわけないでしょう。あんたが怯えているから、安心を強調してあげただけよ。保険も無制限特約に入ったから大丈夫。私には死亡保険なんかいらないけどね。同乗者にはいっぱい入るように掛けておいたから、何かあったら奥さんきっと泣いて喜ぶと思うわよ。まじに取らないでよ。大丈夫だから。どこがブレーキだっけ。冗談、冗談。腹が痛くなったふりをしても無駄よ。逃げ出そうったって、そうはいかないからね。ほら、運転免許証もきちんとあるんだから安心して。あっ、裏に「運転禁止」の但し書きがある。そんなわけないでしょ。からかっているだけよ。
「ブガッティなんちゃら」に初心者マークっていうのを張らなくっちゃあいけないの?かっこ悪いわね。それに高齢者だから四つ葉マークもそのそばに付けなくっちゃあいけないの。「ブガッティ」が泣いてるって? いくらでも泣かせておきゃあいいのよ。
サングラスしなくっちゃあね。年を取って目が悪くなって、視野が暗いんだけど、やっぱりスポーツカーにはサングラスが合うわね。あんた用のも買ってあげておいたから。お揃いよ。シャネルよ、シャネル。今日は曇り空だから、サングラスはいらない? 何言ってんのよ。あんた、素顔でスーパーカーに乗る人間がどこにいますかってんだ。他の車に笑われるわよ。さあ、出発よ。あっ、スカーフをしなくっちゃあ。エルメスよ、エルメス。おっ、あんたまぼろし探偵みたいでかっこいいわよ。えっ、まぼろし探偵を知らないの? 若いわね。
出発するなり、ガードレールにぶつかったじゃないの。左折は嫌よね。内輪差っていうの? どうしても巻き込んじゃうわね。ボディが傷ついた? そんな小さいこと気にしないでよ。スーパーカーに乗っているんだから、もっと気持ちを大きく持ってよ。楽しく行きましょう。
縁石に乗り上げちゃったじゃないの。この車、どうして車高がこんなに低いのよ。縁石に乗り上げたら腹がすって動かないでしょ。無理して動かさないでって? 泣かないでいいでしょ。ディーラーに10分以内に来いって連絡して頂戴。ほら、簡単に道路に出られたじゃないの。じゃあ、行くわよ。
もっと飛ばせって。時速40キロで高速を走ってるんじゃないって。だって、これ以上スピード出したら怖いでしょう。あんたにそんな勇気があるの。そうよね、ゆっくりでいいのよね。速い車はみんな追い越し車線を走ればいいのよ。
なんとかサービスエリアに着いたわね。おっ、みんなこの車をちらちら見ているわね。写真を撮っている者たちもいるわ。あなた、不愛想にしていなくて、手を振ってあげなさいよ。私ちょっとトイレに行ってくるわ。それから一緒にレストランで食事しましょう。ロックしておかなくて大丈夫かって? あんたこんな目立つ車を盗む度胸のある奴なんてそんじょそこらにいると思っているの? いるわけないよね。
ほら、盗まれていないでしょう。あっ、勝手に乗ってるんじゃないの。降りた、降りた。あれ、エンブレムがなくなっている。まあ、今度は豹のエンブレムでもつけようかしら。このペースじゃいつになったら東京に着くかわからないわね。とにかく、行くわよ。車内が漬物臭いですって。我慢してよ。美味しい漬物売ってたんだから。
ああ、年を取ったらトイレが近くなっていやね。サービスエリアの度に停まって、用をすませないといけないんだから。スーパーカーの中に漏らすわけにはいかないわよね。私はいいけど、あなたは嫌でしょ。そりゃあ、そうよね。
まだ、滋賀県? もう大阪を出て3時間は経つわよ。これじゃあ、高速道路じゃないじゃないの。私の運転が遅いだけだって? 安全運転よ。
何かもう疲れたわね。もう東京に行くのは止めにして、ここから大阪に戻ろうかしら。何よホッとした顔をして。昔の恋人に会わなくっていいのかって? 何よその昔の恋人って? 行く時に話した20歳の時に私を捨てた恋人? あれ信じてたの? そんなの嘘に決まっているでしょう。そんな演歌のような話ってあるわけないでしょう。本気にしたの? バッカじゃないの。男って純情ね。とにかく、大阪に戻るわよ。えっ、サービスエリアから戻れないの。一回高速道路を降りなくっちゃあいけないの。なんて面倒なの。なんとかしてよ。あんた、店屋の人と交渉してきてよ。無理なの。そりゃあ、あんたの実力じゃあ、無理だわよね。しょうがないから、一旦高速道路降りましょう。えっ、ここから降りられない。先のインターまで行かなくっちゃあいけないの。融通が利かないの? もう仕方ないわね。ここからはあんたが運転してよ。私助手席で寝て帰るわね。いびきがうるさいかもしれないから、カーステレオをガンガンにかけて走ってもいいわよ。私そのくらいじゃあ起きないから。
やっぱり車なんて自分で運転するものじゃあないわね。あんなに疲れるなんて思ってもみなかったわ。運転は一回で十分よ。サービスエリアの駐車場に入れるのに随分隣の車にぶつけたけど、隣の車の人がビビっちゃって車を走らせて逃げちゃった。きちんと弁償したのに。やくざとでも勘違いしたのかしら。失礼しちゃうわ。家の車庫に入れる時も随分ぶつけて「ブガッティ」もボコボコになったから、そのまま家の駐車場の中で深い眠りに入ってもらうことにしたの。私が死んだ後に国庫に納付されればいいのよ。できればヒョウ柄のまま誰かに乗って欲しいわね。
「ブガッティ」一台じゃあやることがみみっちいと思ったから、フェラーリやランボルギーニ、ポルシェも買ったわ。これで10台になったかしら。全部、ボディはヒョウ柄よ。トミカのミニカーのように、一台ずつガラスケースに入れて、購入した土地に展示しているの。たくさんの人が見学に来るから、誰かが入場料を取った方がいいよと教えてくれたけど、余計なお世話よね。
あと死ぬまでにやってみたかったことと言えば、やっぱり男に貢ぐことでしょう。こう見えても、私は男遊びはしたことがないのよ。男はそれなりによってきて、私に貢いでくれたけど、私の方から貢ぐことはなかったわ。だから、最後に貢いでみたいの。純情でしょう。
その前に、金は捨てるほどあるんだから、私は整形手術をするわ。お好み焼きや串カツが大好物なので、太っているのはしかたないのよ。ダイエットするためにジムでエクササイズをしているんだけど、もう痩せるのは無理なようなの。だから整形手術をして、松坂慶子のように太っていても可愛いおばさんになるの。
私の顔は子供の頃から不細工で、親から愛想がないと言われて来たわ。私は親譲りです、って返してやったわ。両親とも不細工だったんだから、これは血筋よ。こればっかりは努力ではどうにもならないわ。男社会で突っ張って生きてきたんだから、尚更しかめっ面になってしまったの。だから、可愛らしく整形して、みんなに慕われるようになりたいの。そんなに贅沢は言わないから、一人の男でいいから、「かわいいね」って言ってくれたら、それだけで思い残すことはないわ。このガマガエルが鳴くような声も、カナリアのように高くて可愛らしい声に矯正できないかしら。目指すは松坂慶子よ。お金はいくらかかっても構わないわ。
整形手術で松坂慶子のような顔になったら、また「ブガッティ」を運転をして東京に行くんだから。私を捨てた昔の恋人を訪ねてね・・・。
つづく