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遺産相続禁止法  作者: 美祢林太郎
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6 真行寺誠の場合(82歳、推定資産300億円):美術品

6 真行寺誠の場合(82歳、推定資産300億円):美術品


 妻はぼくが60の時に亡くなった。子供たちはみんな自立している。ぼくは家に一人住まいだ。子供たちはぼくに一緒に棲もうと誘ってくれるが、ぼくは一人の方が気楽でいい。


 金を稼ぐことには慣れているのに、使うことには慣れていない。生来貧乏根性が染みついているので、自分の家で高級ワインを飲んだり、フォアグラやキャビアを食べたりしたいとは思わない。いくら金持ちでもそんな人間はいないだろうと思われるかもしれないが、「遺産相続禁止法」が施行されてからは、財産を使い切るために家の中でもとんでもなく豪勢な食事をしている金持ちが増えているらしい。超一流ホテルの名だたるレストランも軒並みに高級料理の宅配を始めた。そんな高級な食事を毎日食べている奴らは、糖尿病や通風、高血圧を併発して、通院するようになったらしい。ハイカロリーな高級料理が健康に悪い事と、毎日食べては舌が肥えて美味しい物も美味しいと感じられなくなることがわかりきっていても、金を減らさなければいけないという強迫観念に苛まれて、365日美食に走っている。18世紀のヨーロッパの王侯貴族もこんなものだったのだろう。太鼓腹の恰幅の良さも似てきているようだ。まさかかれらは昔の王侯貴族が着ていた衣装を揃えて、それをまとって肖像画を描かせているんじゃないだろうな。もしかれらが貴族の真似をしているのならばその中に、食べては吐いてまた食べて、を繰り返しているような輩がいるかもしれない。ぼくには悪趣味としか思えない。

 富豪のぼくが言うと格好をつけているように聞こえるかもしれないが、自宅では干物とみそ汁と漬物があればそれで十分に満足なのだ。だが、たまに旧友に誘われて外食する時は、他人の目を気にして、とりあえず、さも当たり前のような顔をして、一本200万円のロマネコンティを頼んで、超一級品のフォアグラやキャビアを慣れたフォークとナイフ裁きで食べる。料理の名前はほとんど何も知らないので、通常は連れの人間任せだが、ぼくに振られた時は、メニューの中でカテゴリー別に値段の一番高い料理を指さして注文する。連れもぼくが料理を知らないことは先刻承知しているのだが、別にそのことに触れたりはせずに、「今日はそれを食べたいと思っていたんです」と上品に話す。決してぼくのプライドを傷つけたりはしないのだ。ぼくとしては、料理の内容が分かりやすいように、写真入りにして欲しいが、高級料理店はお高く留まっていて、どこもそんなことはしない。ぼくは醜い体形やどこか取り澄ました態度になるのが嫌なので、財産を消費するためだけに美食に走ろうとは思わない。付き合い程度で十分だ。たまにいただくフォアグラやキャビアは確かに美味しい。今度ワインは数十万円程度の手頃なものを注文してみよう。そうでないと、最近ロマネコンティの繊細な美味しさがわからなくなっているからだ。味は比較級のようだ。

 そう言えば、最近、ぼくはよく美術館に行くようになった。東京藝術大学の美術学部に入学した孫のサヤカの影響である。サヤカがしばしばぼくを展覧会に誘ってくれて、二人で西洋絵画を観に行く。彼女はぼくに美味しいものや小遣いをねだるためも少しはあったのだろうが、そんなのはかわいいことだ。サヤカはとても素直に育ってくれている。彼女に「将来、大芸術家になるんですか?」と訊くと、ぼくの目を真っすぐ見て、にこっとほほ笑み、「そうですね」とさらっと答えた。

 ぼくは働いていた頃は、まったく美術には興味はなかった。商談が成立したら、相手先から梅原龍三郎の油絵の小品や加藤唐九郎の抹茶茶碗が送られてきたが、一応「いいものをありがとうございます」と、美術がわかるかのように礼を言ったが、いただいたらそのまま我家の蔵にしまい込んだ。そうした贈答品は、巷の相場では400~500万円というところらしい。直接金の受け渡しでは賄賂になるので、その代わりに美術品が使われるとのことだった。美術商に持って行くと黙ってても半額で引き取ってくれるらしい。ぼくはこれまで美術商に持っていったことがない。そこまでして金を作る必要がなかったからだ。

 ぼくには美術品に対する感性はもちろん知識もなかったので、良さがさっぱりわからない。子供たちもぼくに似て美術に関しての才能は持ち合わせていなかった。小学校や中学校に通っている時、絵のコンクールで一枚も賞状をもらったことがない。孫の絵の才能は義理の息子の血筋なのだろう。義理の息子の母親が、高校の美術の教師だったからだ。母親は日展にも出して、時々入選していた。義理で展覧会に入選した彼女の絵を観に行ったことがあるが、上手だなと思ったぐらいで感動するまではなかった。

 娘が結婚した時は、ぼくの血統に芸術家の血が入ったことを喜んだ。金儲けだけが上手い血統では、どこか品がないと思うからだ。金の次は品を身に付けなくてはならない。そう言えば、サヤカは私と違って立ち居振る舞いにどことなく品がある。それでも彼女は品のないぼくのことを、子供の頃から好きなようだ。

 ところで、多くの美術品好きの仲間は、骨董屋に騙されて、たくさんの偽物を掴まされてきた。かれらはテレビ番組の『お宝鑑定団』に出て、みんなの笑いものになった。ぼくもテレビの前で大いに笑ってやった。かれらはそんな恥を掻いても、またもとの骨董屋のところに行く。金持ちたちは騙されても骨董屋を憎むことはない。両者はとても不思議な関係だ。

 公衆の面前で恥を掻いたとはいえ、『お宝鑑定団』のテレビ出演にまで行き着いた人は、まだましな方だったんだろう。この番組に出ようと手紙を書いて、書類審査で落とされた者がほとんどだからだ。その手紙の内容がいけない。一つ紹介しておこう。いくら何でも、カタカナで「レオナルド・ダ・ヴィンチ」とサインされた錦鯉を描いた油絵があるわけがない。加えて、「織田信長様江」と宛名が書かれている。確かに世界で一枚だけの希少価値のあるものかもしれないが、これでは贋作とさえ言えない。贋作と名の付くものにさえ失礼に値するだろう。ここまで行くと、騙した方よりも騙された方が圧倒的に悪い。

 骨董屋から、中国の秦の始皇帝の墓からあなたとうり二つの兵馬俑が発見されたという連絡があり、きっとあなたの先祖なのだろうということで、中国までその兵馬俑を見に行った友だちがいる。見るからにそっくりだったので、かれは即金で10億円で購入した。その中国人は「シェイシェイ」と深々と頭を下げてお礼を言ったそうである。その骨董屋から10キロ離れたところにある工房では、注文に応じて3Dプリンターで制作した兵馬俑を一体50万円で制作していることがインターネットのウェブサイトでわかった。注文主から自分の顔そっくりにと言われれば、その注文も受けていた。万国共通、金持ちの道楽は骨董と決まっているが、骨董屋にとって金持ちはカモだ。

 日本の金持ちたちの多くはまったく美術や骨董について無知である。本屋で美術に関する新書を一冊でも買って読んでいればいい方である。たいていは金もうけで忙しいので、骨董屋からの受け売りの知識である。

 日本の超富豪は、バブル期の頃は手当たり次第に世界の名画を買い漁ったが、そのほとんどは銀行の貸金庫に眠ったままだ。名画は美術品ではなく資産にすぎなかった。

 そうした中でも、美術に造詣の深い金持ちがいたことも事実で、ゴッホの名画を50億円で購入し、書斎に飾って毎日眺め、死んだ時は棺桶に入れて一緒に燃やして欲しいと書き残した老人もいたそうだが、さすがにその絵は棺桶に入れられずに、ある美術館で一般に公開されている。

 ぼくはモネの『睡蓮』がサザビーズのオークションにかけられるという話を聞いて、それを落札しようと思いたった。サザビーズに偽物は出品されないだろうし、もし後から偽物とわかったらサザビーズが買い取ってくれるだろう。

 サヤカに連れられて絵画を見始めた頃は、モネの絵を観て内心なんて下手くそなんだ、と思ってやり過ごしていたが、最近になって、どうしたわけか、あのボーっとした色合いと不明瞭な輪郭の絵に安らぎを覚えるようになってきた。ぼくも絵の中の睡蓮の池の傍にたたずんでいるような気持になったり、時にはこの睡蓮の池が極楽に見えてきたりすることもある。こんなことを誰に言うわけでもない。もちろんサヤカにもだ。

 これまでオークションに参加したことがないので、美術品に詳しい弁護士に相談すると、それは資産になるから、たとえ落札できたとしても、亡くなられた後ですぐに国に没収されるだけだからやめておいた方がいいと進言された。その言葉を聞いて、ぼくは意地になったのか、国に取られてもいいから、必ず落札してくるようにと弁護士に厳命した。「ぼくはこの絵が好きなんだ」と言ってやった。

 『睡蓮』の競売は最初50億で始まったが、結局ぼくが百億で落札した。このことは世界中で大きなニュースとなったが、誰もぼくが落札したことを知らない。情報は日本の大富豪だということだけだ。サヤカと芸大の生協の食堂で食事をしていた時、彼女が「モネを買ったのは誰だろうね」と呟くので、ぼくも「誰だろうね」と応え、すぐに違う話題に飛んだ。いつかサヤカにだけは、『睡蓮』が国に没収される前に、間近で見せてやりたいと思う。

 ぼくの高層マンションの最上階の一室の四面の壁に『睡蓮』を飾って、「睡蓮の間」と命名した。こうして毎日一人で楽しんでいる。この部屋を丸ごとサヤカに譲ってやりたいが、サヤカとその家族に相続税を払うほどの金はない。ぼくが死んだ後は国にこのまま没収されてしまうのだろう。

サヤカ、夕日に映る『睡蓮』は見事だぞ。今度誘うから観に来いよ。君の好きなショートケーキと紅茶で一緒に観よう。

 『睡蓮』を購入した後も、美術のことはたいしてわからなかったけれど、それからは懇意にしている美術商が薦めるセザンヌやゴッホ、ロートレックの作品を買っていった。どれもなかなか良い作品だった。その美術商からモディリアニやスーティンも良いからと作品を薦められたが、ぼくはそんな名前の画家を知らなかった。サヤカの前でそれとなくモディリアニとスーティンの名前を出すと、彼女は二人の画家の素晴らしさを滔々と語ってくれた。サヤカはどことなくモディリアニの描く女性に似ていた。それでぼくはかれらの作品をコレクションに加えることにした。購入したすべての絵をぼくはマンションの別室に飾って楽しむことにした。

 ぼくは、マンションの自室の名画に囲まれながら美術書を読むようになったが、知識が増えると余計に目の前の絵画に興味が湧いてきた。ぼくの傍にセザンヌ、ゴッホ、ロートレック、モディリアニ、スーティンが入れ替わりながら黙って並んで、かれらの絵を一緒に鑑賞してくれているような気分になった。ぼくは生きている間は、サヤカ以外の人をこの部屋に入れたくないと思った。ぼくは人生で至福の時を過ごしているのだ。

 断っておくが、こうした名画はぼくの会社の経費で購入したわけではなく、ぼく個人の金で買ったものだと言うことは確認しておいて欲しい。ぼくは会社の金を使うようなせこい真似はしない。そんなことをしたら往生際が悪いというものだし、絵に対しても失礼だ。

 私のお気に入りの名画が集まってきたが、所詮ぼくの資産は300億だ。最初にモネで100億使ったので、あとは一枚平均20億で10枚しか買えなかった。だが、楽しみは数ではない。少数精鋭で、自分の気に入った絵を購入し、独占できていることは、どんなに贅沢なことだろう。今日ぼくが死んで、国に没収されたって、何も思い残すことはない。

 美術商がコンタクトを取ってきて、ぼくのコレクションで美術館を建ててはどうかと提案してきた。モネを合わせてもたった11点しかない。こんな作品数じゃあ美術館は成り立たないだろうと言ったら、百億のモネの『睡蓮』があるから、これをメインにして客を呼び込めるというのだ。作品が少なくても、ゆったりした空間の美術館を作ればいいと教えてくれた。だが、ぼくは絵画にほとんどの財産を使ったので、もはやお金はほとんど残っていない。あとはめぼしい資産と言ったら、このマンションと一戸建ての自宅と軽井沢の別荘なくらいなものだ。

 このマンションのこの部屋をそのまま美術館にしたらいいかもしれない。ここのマンションの管理組合に話をしてみることにした。このマンションも富裕層の老人たちばかりで、かれらも美術品を処分したいと思っていることがわかった。そう言えば、わしの家にももらった美術品がたくさんあったことを思い出した。このマンションの最上階はモネの部屋と西洋絵画の部屋にして、下の方の階は日本の美術品の部屋に当てたらいいかもしれない。

 美術品を提供してくれた人の名前を冠して○○コレクションと銘打って一部屋ずつ提供することにしよう。

 ぼくが美術館を建てたら、サヤカが館長になってくれるだろうか。彼女は絵を描くのが好きだから、館長には決してならないだろう。いつか、ぼくの美術館にサヤカの絵が飾れる日が来ることを待つことにしよう。その時ぼくは生きてはいないだろうけど。


      つづく

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