表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遺産相続禁止法  作者: 美祢林太郎
6/16

5 兼高銀次(88歳、資産推定200億円)の場合:海外旅行

5 兼高銀次(88歳、資産推定200億円)の場合:海外旅行


 超の付く富裕層の老人の中には、宇宙旅行にしゃれ込む者もいた。


 兼高銀次は、人生の最後に宇宙旅行に行くことは、これ以上ない最高の冥土の土産だと思えた。そもそも少し前まで自分が宇宙に飛び立てるなんて、露ほども考えていなかった。民間人が宇宙旅行をできるようになったのはつい最近のことだし、民間人だからと言ってもそれ相応の金がなくては宇宙には行けない。わしは宇宙旅行費を払うことができるほどの財を築いた。わしは宇宙船の窓から青い地球を見ることができる。初めて宇宙に飛び立ったソ連のガガーリンが世界に向けて発信した言葉「地球は青かった」は、鮮烈だった。地球全体に、宇宙からみんなに聞こえるように巨大な拡声器を使って発信した言葉のようだった。わしはその青い地球をこの目で見ることができるのだ。

 わしが生きてきた時代は、世界初のソ連の人工衛星スプートニク1号、人類初の宇宙飛行士のガガーリン、「私はカモメ」の女性宇宙飛行士第一号のテレシコワ、宇宙遊泳第一号の誰だっけ?(レオーノフ)、人類で初めて月面に降り立ったアメリカのアームストロング船長は「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」という名言を残した。わしは机の引き出しのどこかにこの言葉が刻まれたメダルを残している。宇宙から飛行機のように翼をつけて地球に帰ってきてスペースシャトル、さらには地上からもよく見える国際宇宙ステーション、わしは宇宙開発が始まった時代に生きてきたのだ。そう言えば、わしは1970年の大阪万国博覧会のアメリカ館の前に2時間も並んで、展示されていた「月の石」を見た。もちろんソ連館にも行って、ソユーズやボストークも見たぞ。

 当時、わしはもう一度生まれることがあったら、宇宙飛行士になろうと考えた。それほど強烈なインパクトを受けたんだ。そんなわしが、生きている間に宇宙旅行ができるなんて信じられない。長生きはしてみるものだ。それにこの時ほど、一生懸命働いてきて金を儲けてよかったと思ったことはない。宇宙旅行の費用は、為替レートもあるが、日本円にして100億円くらいらしい。わしが築いた財産の半分程度だ。たとえこれから急激に円安が進んだとしても、十分に払える額だろう。わしには生涯最後の買い物としては、丁度手頃な価格だ。

 旅行は12日間であるが、このくらいの長さが、あとから夢のようだった、と振り返ることのできる最良の長さなのではなかろうか。わしは竜宮城に行く浦島太郎のようにワクワクしてきた。実際のところ、浦島太郎がワクワクしたかどうかわからない。もしかすると、亀の甲羅の上で、知らない所に連れていかれるので、すごく不安だったかもしれない。わしにそんな不安はない。

 宇宙両行のために、わしはアメリカに飛んで健康診断を受けると、一発で断られてしまった。申込書には年齢不問と書いてあったではないか。年齢で断られる理由はないはずだ。断られた理由は、わしの心臓が弱っていると点だ。わしはこれまで欠かさず毎年健康診断を受けてきたが、心臓が悪いと言われたことは一度もない。そもそも胸が苦しくなるような自覚症状は一度もない。自慢じゃないが健康そのものだ。去年の人間ドックでは、肉体年齢は65歳だと言われた。ちなみに精神年齢は48歳だ。わしは自分が健康であり、心臓には毛が生えているくらい丈夫だと自負している。それを日本語で必死に説明したが、担当の誰からも歯牙にもかけなかった。

 金ですむのならと、わしは賄賂のつもりで担当者に小切手帳を見せて好きなだけの金額を書いてくれと迫ったが、相手は手を広げて「ノー、ノー」言うだけで埒があかなかった。そこで、全財産の二百億円払うから、宇宙に行かせてくれと懇願してみたが、聞く耳を持たなかった。そこで、万が一わしの心臓が弱っているとしても、日本には心臓が悪かったがそれを訓練で克服して80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎がいる。エベレスを登頂した世界最高齢者だ。あんたも知っているだろう、あの三浦雄一郎のことを。わしもどんな厳しいトレーニングでもするし、宇宙船の中ではトイレの掃除もするから、是非とも宇宙に行かせてくれ。わしは宇宙で死ねれば本望だ。トレーニング中や宇宙旅行で死んでも会社には一切責任がないことを一筆したためておこう。だから、わしにチャンスをくれ。いや、ください。

 こんなに懇願したのに、宇宙旅行社は死んでしまったら会社の評判ががた落ちになるので乗せられないの一点張りだった。わしのような病気持ちを行かせなくても、それこそ希望者は捨てる程いるとのことだった。悔しい、悔しい、悔しい。行けないならば、その気にさせるなよ。わしはこの半年、ずっと頭の中は宇宙旅行ばっかりだったんだぞ。無重力、漆黒の中に浮かぶ青い地球、わしは宇宙からわしの故郷の山口県美祢市を探そうと思っていたんだ。わしは宇宙船から故郷に向かって手を振りたかったんだ。ちくしょう。わしがもっと大金持ちだったら、宇宙旅行社を買収できたのに。もっと金があったら、新会社を作ることができただろうに。残念だ。おれのような中途半端な富豪は宇宙旅行ができない。情けない。

 わしはアメリカを去る最後の晩に、宇宙旅行を完全にあきらめることにした。わしには打つ手はないから、うじうじしていてもしかたがない。高級ホテルのスイートルームで、「宇宙なんか行きたくない、行きたくない、行きたくない」、と子供のように叫んだ。わしは、ホテルの壁に「宇宙のバカ野郎」とナイフで彫った。

 わしの一連の宇宙旅行の騒動を家族は白けた目で見ていた。わしは若い頃から言い出したらきかない頑固者であることをかれらは良く知っていた。口をはさんでも無駄なのだ。それにわしが使う金はすべてわしが稼いだ金であって、遺産として一円も子供に残ることがないので、わし一人で勝手に使ってもらって構わない、と冷めた目をしている。

 今年還暦になる長男は、なんとかという一流企業の重役になっている。55歳の長女は独身だが、やり手の歯医者で、駅前に自社ビルを構えている。かれらはわしが死んでも金銭的に何も困ることはない。妻はひ孫の相手をして楽しく生活しているようだ。わしなんかがどうなろうが、かれらの生活リズムが崩れることはない。

 宇宙旅行はきっぱり諦めることにしたが、元気なうちに旅行する予定に変更はなかった。家にじっとしている気はさらさらない。宇宙に行けないなら、次の目標は外国だ。わしはナホトカからシベリア鉄道に乗ってヨーロッパまで行くのが大学時代の夢だった。だけど、こんな地味な旅行ではかける日数の割にはお金が減らない。わしは死ぬまでにお金を使い切らなければならないのだ。きれいさっぱり財産を使い切ってから死にたいのだ。シベリア鉄道の一人旅じゃあたかだか使える金額は知れたものだ。一か月かかっても一千万円を使うのも難しいだろう。一人旅はあきらめて、みんなで一緒に海外旅行をするか・・・。

 それじゃあ、誰と一緒に旅行をしよう。誰が良いのだろう。家族、それは決してない。聞くだけ無駄だ。あいつらにはあいつらの決まりきった生活がある。断られるのは必定だ。

 わしは誰と旅行をしたいのだろう。いろいろと考えを巡らせた挙句、わしは子供の頃のことを思い出した。ずっと会っていない山口県美祢市の麦川小学校の同級生をみんな引き連れて旅行に出よう。みんなが外国が怖いと言うなら、北海道や沖縄でも構わないぞ。わしのように元気ではないかもしれないから、温泉旅行でもいい。ホテル一棟貸し切りにしてどんちゃん騒ぎをするか。わしがかかる費用を全部持てば、みんな喜んで参加してくれるだろう。

 みんなに連絡をしてみたけど、消息がわかって、生き残っている奴は三分の一もいなかった。女の子の方が断然元気で、ほとんどが生き残っている。男の子は駄目だ。男で返事をくれた奴は、みんな家庭の事情があるからとか、体が不自由だからだとか、ボケているからと、色々理由をつけて一人も参加してくれない。女の子の数名が参加すると言ってきたが、女の子、いやお婆さんとだけ一緒に旅行しても面白いわけがない。お婆さんの中には自分のひ孫が喜んで参加したいと言っているからひ孫でもいいかという者がいたが、小さな子供ではわしの話し相手になるはずがない。ばばあのなかには、あらかじめ送っておいた乗車券を金券ショップに売った奴もいたようだ。けしからん。

 わしと一笑に旅行するのは誰でもいいわけではない。わしは子供の頃の思い出話をしながらみんなと一緒に旅行をしたいのだ。

 わしはずっと故郷に帰っていないけど、生まれ育った美祢市がわしの故郷なんだ。わしは片時も故郷を忘れた時はない。本当は、わしはみんなと麦川に集まって、小学校や神社を回って話がしたいのだ。けれど、おまえたちは今さらこの慣れ親しんだところを回っても楽しくないだろう。90歳近くになって、幼馴染と旅行をするのは難しいのか。みんな元気出せよ。

 わしは、体に不安があるのなら医者や看護師、介護士を旅行に同行させると言ったのに、それでも誰も参加してくれない。かれらはわしを嫌いなのか? いや、わしはかれらに嫌われるようなことをした思い出がない。もしかすると、連中はわしのことをすっかり忘れてしまったのだろうか。わしがこんな話を持ち込んだのは、見知らぬ詐欺師がかれらを騙そうとしていると思っているのだろうか。そんなことはないんだ。わしはおまえたちの幼馴染なんだ。高校2年生の時に親の転勤で引っ越すことになったから、わしも転校せざるを得なかったんだ。生まれてからずっと一緒に育っただろう。わしを忘れてしまったのか。それとも、70年の間、わしが連絡を取らなかったことを恨んでいるのか。わしが金持ちになったことを妬んでいるのか。わしだって血の汗を流すような努力をしてきたんだ。金持ちになって悪かったのか? わしをのけ者にするのか?

 幼馴染との旅行もあきらめざるを得なかった。そこで、親族を誘うことに切り替えて、かれらに声をかけてみることにした。会ったこともないいとこやはとこを含めて100人くらいになった。

 ハワイがいいか、パリがいいか、それともリオデジャネイロか、はたまたゴールドコーストか。ついでだから、ノルウェーでオーロラでも見るか。ええい、まとめて世界一周だ。途中で気が向いたら、ふらっとインドのタージマハールに寄るかもしれないから、そのくらいの覚悟はしておいてくれ。空港には豪華なバスを待たせておくから、寒暖の差を気にすることはない。まあ、少しは歩くだろうけど、そこはダウンのコートから水着まで用意しておくから心配するな。同行する医者や看護師も雇っておくから、途中で病気や怪我をしても大丈夫だからな。何なら坊主や神父を雇っておいてもいいぞ。

 世界一周するんだから、一年間は空けておいてくれ。ルーブル美術館は貸し切りにしよう。おまえたち「モナリザ」を観たことがあるか? 絵の前の防弾ガラスは外してもらって直接観ような。特別だぞ。ルーブルに金をたんまりと寄付するんだから、これくらいのサービスをしてもらわないとな。「モナリザ」が欲しい? さすがに二百億円ぽっちのわしの財力では手が出ないな。今回は我慢しておけ。それに万が一買えたとしても、わしが死んだ後は、国に没収されるんだぞ。資産になるようなものは、何も買っちゃあいけないからな。見て、食って、飲むことだけ考えろ。ああ、モナリザのぬいぐるみぐらいだったらいいだろう。だけど、そんなものが好きなのか。好きか、それなら買ってやる。近所に配るから10個欲しい。それなら百個買え。百個だ。

 ミロのビーナスとも会えるんだぜ。だけど、ビーナスにキスするなよ。そんな場面をSNSに載せたら、世界中からバッシングを受けるだろう。サモトラケのニケの上に乗ってはいけないからな。ニケを自分の家の庭に飾りたい? わしはそこまでの金持ちじゃないって言っているだろう。おまえたち、物の値段を知らないな。とにかく、最低限のルールは守ってくれよな。自分の描いた絵をルーブルに飾ってもらうことはできるかって? そんな下手な絵、できるわけないだろう。それなら知らん顔して「ポンピドゥーセンター」の中に置いてきた方がいいんじゃないか。あそこだったら、誰も素人の絵だと思わないかもしれないしな。

 全員ファーストクラスで行こうな。ファーストクラスの席は百席もないか。それなら一機まるごとチャーターして行こう。その方が見知らなぬ客に気兼ねをすることがなくていいな。小さな子供たちはエコノミークラスに座ればいいよな。通路を走り回ってもいいぞ。かくれんぼも自由だ。ファーストクラスは70歳以上限定だ。しかし、わしの周りが年寄りばかりというのもむさいな。ファーストクラス専用のキャビンアテンダントは付いているんだろうな。飛行機会社はあらかじめキャビンアテンダントの顔写真を載せたリストを見せてくれて、こちらで選ばせてくれるのかな。是非ともそうして欲しいな。

 旅行にかかる費用はもちろんすべてわしが持つって言ってるだろう。土産代もだ。このくらい払っても、生前贈与なんて言われて税務署からクレームがつくことはないだろう。宝石や不動産の、かたちのあるものとして残さなければいいはずだ。土産としてダイヤモンドやルイヴィトンのバッグを買うのは自腹だぞ。ケチで言っているんじゃないからな。わしだって買ってやりたいのは山々だが、税務署がうるさいから。摘発されてすべての財産を失いたくないからな。おまえたちも罰金を払えるようなお金は持っていないだろう。

 親族のほとんどの人間には仕事があり、子供たちには学校がある。ひ孫の赤ちゃんだけ旅行に連れて行ってくれ、という無責任な孫の嫁がいたが、わしが赤ちゃんの世話をできるわけがないだろう。赤ちゃんの世話をしながら世界旅行なんてまっぴらごめんだ。

 親族のものたちも、やっぱり忙しいようで、暇なわしに付き合ってくれる時間はそれほどなかった。わしだけ世界一周をして、子供たちは途中で少しだけ参加して、すぐに日本に帰って行くことになった。そんな奴らばかりだ。だから、メンバーは入れ替わり立ち代わりだ。老人は基本的に一人で遊ぶことができなければならないのだ。

 結局全行程に付き合ってくれることになったのは、はとこに当る70代の3人だけだ。はとこだというけれど、わしは本当にかれらと血のつながりがあるのかないのかわからなかったが、はとこの一人がDNA鑑定をしようじゃないかと提案してきた。わしはそこまでやる気はなかった。たとえ赤の他人だとしても、一緒に世界一周をしてくれるならそれで構わなかった。3人ともわしとは全然似ていないが、人の好さそうな顔をしているではないか。みんな旅行が趣味だと言っていた。

 わしは飛行機での世界一周が途中で飽きてきて、はとこの3人に金を渡して中止にすることにした。そして、豪華客船をチャーターして、一人でゆったりと世界一周旅行に旅立つことにした。一流の料理人や芸人、オーケストラ、ピアニストを雇った。やっぱり一人の旅行が落ち着く。

 だが、出航して数日もすると、わし一人では何も面白くないことがわかった。わしは寂しがり屋なのかもしれない。それともこれは年を取って心細くなったのだろうか。そこで、日本から太鼓持ちを呼び寄せたが、長い船旅ではわしの意に沿うことばかりを言う太鼓持ちにも退屈してきた。同乗してくれそうな友達に連絡してみたが、みんな自分の財産を使うのに忙しく、わしの相手をしている暇はないとのことだった。そこで、給料を払うということで世界から無作為に500人集め同乗させたが、かれらがそちこちに食べ散らかした肉や嘔吐した酒で船全体が臭くなった。酒に酔った奴らが、互いにわけのわからない言葉で喧嘩を始め、船は無法地帯となっていった。わしはそれを見て少し若返ったようま気になった。わしは毎日船内で繰り広げられる騒動を見て、楽しむようになった。こんな猥雑な旅が自分に合っているのかもしれない。


     つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ