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遺産相続禁止法  作者: 美祢林太郎
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2 遺産相続禁止法の成立

2 遺産相続禁止法の成立


 202×年、親から子、親族への遺産相続が禁止される法律が成立した。


 後から思い返せば、事のきっかけは80歳を超えた元首相がオリンピックの日本誘致に関連して、いくつもの企業から多額の賄賂を手に入れていたことだった。明らかになった額だけでもゆうに10億円を超えていた。検察の調査によって、元首相以外にもオリンピック誘致において何人もの高齢になる権力者に賄賂が渡っていることが判明した。この事件を皮切りに、全国の公共工事において、下は70歳から上は100歳に届こうとする高齢者による増収賄事件が多数発覚した。老人たちは長年従事した仕事によって独自の金脈や人脈を築いて権力者となり、その権力を私腹を肥やせるために利用していたのだ。

 収賄事件が起こる毎に国会で取り上げられたが、与党はこれをうやむやにすませようとし、野党はのらりくらりと追及するだけだった。高額の賄賂を受け取っている者の中には、野党議員も含まれていることがじきに明らかになった。賄賂をもらっているのは、与野党を問わず、党の代表を務めたこともある高齢議員ばかりだ。この国は高齢者に権力が集中するシステムになっていることを、今さらながらであるが、露わにしていった。

 そこで、党派を問わず、若い国会議員たちが決起し、国民の後押しもあって収賄事件を真剣に追及するようになった。国会はまさに世代間闘争の様相を呈した。国会は紛糾し、いっきに風船が破裂するようにして解散した。こうして衆参同日選挙が行われることになった。

 一人の若者が、テレビのワイドショーに出演し、いつの時代も老い先短い高齢者が自分一人で使い切ることができないほどの莫大な金を追い求め続けるのはどうしてだろう、と視聴者に疑問を投げた。若者の名前は瀬戸田光司。瀬戸田は老人たちの強欲さは、自分の子供に資産を残そうとすることにこそ原因があると断じた。そして、老権力者の醜悪な行いをこの世からなくすためには、子供や親族への遺産相続を撤廃することこそが必須であると主張した。瀬戸田は新党『未来はこうして作る党』を立ち上げ、自ら党首となって衆議院選挙に打って出た。この政党は若者たちや貧困層から熱烈な支持を集め、与党や野党からもかれの政党に乗り換える議員が続出した。こうした議員の中には、若者の他に老人たちも少なからず含まれていた。かれらは瀬戸田の意見に必ずしも賛同していたわけではなかったが、この政党に入党しなければ、国会議員として生き残れないことがわかっていたからだ。かれらに節操を求めてはいけない。選挙は打算である。そんなことは瀬戸田にもわかっていた。かれは清濁併せ呑んで選挙に勝つのだ、と決意を固めていた。時代は瀬戸田の登場を待っていたかのようだった。ニューリーダーの誕生である。

 新党の党首である瀬戸田光司は元財務省の官僚で、党首になった時は若干29歳であった。かれは児童養護施設出身だったが、東大法学部を卒業して財務省に入省し、ほどなくしてそこを辞め、世界を見聞するために旅立った。日本に戻ってきた時には、かれは抜本的に日本を立て直そうと意を決していた。

 財務官僚たちは、日本の財政を立て直すと口を酸っぱく主張していたが、かれらは消費税を初めとして税金を増税すること以外に妙案を持っていなかった。そもそもかれらは、国民の反発もあって、消費税を増税できるとも考えていなかったので、実際には案がないのにも等しかった。日本の財政が破たんすることによってのみ、この難問は解決されないと心の中で思っていた。

 瀬戸田は、選挙戦に坂本龍馬の手紙の中の有名な一文「日本を今一度、洗濯いたし申し候」をキャッチフレーズに採用した。遺産相続撤廃に反対する候補者の選挙区には、かつて自民党総裁の小泉純一郎が採った選挙戦術をまるごと採用し、刺客と呼ばれる落下傘候補を擁立し、激しい選挙戦を戦った。若者たちの支持はもとより、就労者や貧しい老人たちの多くも、高額の賄賂をもらっている富裕老人への反発は強く、『未来はこうして作る党』への支持は予想以上に高まった。

 若者たちの投票率が90%近くに達し、全体でも70%を超えた。『未来はこうして作る党』は時流に乗って、衆参同日選挙に大勝ちをし、衆議院・参議院共に単独で過半数を超える議席を獲得した。参議院には既成政党から移籍する議員が続出したのだ。

 瀬戸田は首相に指名されるとすぐに「遺産相続禁止法案」を衆議院に提出し、可決された。その際、『未来はこうして作る党』からも7名の高齢議員の造反があったが、そのくらいはすでに織り込み済みだった。かれらは党を除名され、国民の非難の矢面に立たされて、辞職に追い込まれた。時間を置かずして、参議院でも可決され、「遺産相続禁止法」は成立した。こうして、202×年×月×日から日本では遺産相続が全面的に禁止されることになった。

 「遺産相続禁止法」が成立したことによって、年齢に関係なく亡くなった人の全財産はすぐに国家に没収されることになった。そこでこの法律は別名、「遺産没収法」とも呼ばれることになった。余談だが、「遺産相続禁止法」と「遺産没収法」、それに「老害」はその年の流行語大賞にノミネートされたが、大賞を獲得したのは以外にも「センタク」だった。

 この法律がもたらしたものは、ロシアのレーニンによる社会主義革命や、中国の毛沢東による文化大革命に匹敵するか、それらよりももっと稀有壮大な革命である、と評する学者がいた。この法律が、人類が築き上げてきた財産の世襲制の崩壊をもたらすからだと言う。

 財産の世襲制は、なにも日本だけのものと考えてはいけない。個人主義のアメリカにだって、日本とかたちは違っていても、世襲制はある。政治家の子供は政治家であり、金持ちの子供は金持ちだ。それは親から子供へ財産を引き継いで行くからに他ならない。

 アメリカ第35代大統領のジョン・F・ケネディは、実業家の父親が築いた巨万の富を元手に大統領になったし、かれの兄弟も上院議員になり、娘キャロラインも日本の駐米大使になった。かれらがその地位に上り詰めるのに、本人たちの血の滲むような努力がなかったとは言わないが、親の財産やコネがなかったらそこまでの地位に上り詰めることができたかどうかは、はなはだ怪しいものと考えられる。自分の才覚と努力と運だけでゼロから身を立てた者は、いつの時代も創業者だけだ。

 元大統領と言えば、第45代大統領のドナルド・ジョン・トランプも実業家の父親から不動産事業を引き継いで成功した。アメリカンドリームは、何代にも亘ってやっと叶えることのできる、一族の壮大な夢のようだ。

 親は子孫の繁栄を心から願っている。だから、子供に残す金を死ぬまで増やし続けるのだろう。だからある人たちは、高齢になって醜悪なまでに強欲になる。これは資本主義国家であろうと、社会主義国家であろうと変わりはないし、民主主義国家であろうと覇権主義国家であろうと変わることはない。更には、先進国であろうと開発途上国であろうと変わらない。文明が成熟しようが未成熟であろうが大同小異だ。北朝鮮の金王朝は言わずもがなであるが、中国の最高指導者である習近平にしても、父親が中国共産党の最高幹部の一人だったことを忘れてはいけない。

 人間が石器などの道具を発明した太古の昔から、親が精魂込めて造った道具は子供へと相続されていったのだろう。こうした人類に連綿と続いてきた物の相続という伝統文化を、「遺産相続禁止法」は根底から否定したのだ。そうした意味では、「遺産相続禁止法」ほどの革命は、これまでの歴史でなかったと言えるかもしれない。

 遺産相続禁止法案が国会に提出された時には、一部の憲法学者から日本国憲法29条が保障する個人の財産権の侵害につながるのではないか、という指摘がなされた。国家による個人資産の搾取だというのだ。一方、他の憲法学者からは、没収した遺産を国が公共の福祉のために活用するならば、憲法違反には当たらないという意見が述べられた。テレビをつければ、双方で毎日喧々諤々と激しいやり取りが展開されていた。結局、国民からの圧倒的な支持によって、反対意見はかき消されてしまった。

 憲法違反という論議では、法律の運用の仕方次第だという、かつて自民党政権が自衛隊の海外派遣において憲法の拡大解釈を行ってきた過去によって、野党に下野した自民党は沈黙を余儀なくされた。

 「遺産相続禁止法」の成立の前後には、他にも様々な議論が展開された。文化の伝承がなくなったら、国家から崇高さがなくなる、と右翼が街宣車を出して法案に猛反対したが、お金と文化を一旦議論から切り離そうということで決着した。若き憂国の士も、手練手管を駆使する老妖怪たちには、内心頭にきていたのだ。

 相撲のような伝統文化であっても、親方は子供に相撲を継がせたくても、実力がなければ継がせることはできない。実力主義であることがその職業団体の健全性を保証している。伝統文化を守るためだけに力士を日本人に限定したとして、ひ弱な力士の攻防を誰が金を出してまで観たいと思うだろうか。そんなことをしたければ、少数の好事家だけがひっそりと楽しめばいいのだ。実力のある力士同士の迫力のある攻防によって、やっと大衆を味方につけた興行が成り立つのだ。それにしても、いろいろと文句を言われながらも、日本の伝統文化を担ってくれている外国人力士もご苦労なことである。これからも負けずに頑張って欲しい。

 老人の欲自体が決して悪いわけではないだろう、という意見も出された。欲というものは社会を発展させるための原動力だというのだ。そして、その欲の抑制を老人にだけ限定するのは、年齢差別だという意見も出た。至極まっとうな意見である。だから、老人の欲を否定するのではなく、これまで通り賄賂などの法に触れる強欲な犯罪を厳重に取り締まればいいだけだ、という正論が展開された。

 それでもなお、老人の欲を抑制しようとするならば、個人が築いた全財産の相続を禁止するのではなく、個人の財産のうち70歳を超えてから築いた財産に限って相続を禁止すれば、老人になってからの強欲さは抑制されるのではないか、という折衷案も出された。この年齢については、75歳、いや80歳、いやいや90歳、では100歳でどうだ、と紛糾した。

 こうした折衷案に賛同した者は、富裕層はもちろんのことであるが、わずかなお金しか持っていない貧しい老人たちの中にもいた。富裕層はそんな貧しい人たちを味方につけて、テレビに出演させて泣いてもらって、聴衆の同情を買おうという戦術に出たが、そのことが露見してしまった。もはや先鋭化した若者たちの勢いを止めることはできなくなっていった。

 こうした激論の間に、何の拍子か、遺産相続禁止法は死亡年齢を問わずにすべての人を対象にすることがするっと決定してしまった。たとえ30歳で死のうが、それまで貯めたわずかな預貯金も国に没収されることになったのだ。みんなキツネにつままれたみたいだった。

 「遺産相続禁止法案」にひっそりと最後まで反対したのは意外にも財産が35,364円しかない90歳の老人だった。かれはこの金を、60年以上前に家出をし、それから一度も帰省したことがない、生きているかどうかさえわからない息子に残してやりたい、とボロアパートの一室で呟いた。自分には孫がいるかもしれないし、ひ孫だっているかもしれない、と思っている。自分が爪に火を点すようにして貯めたこのわずかな金を、自分が生きた証として子供のために残してやりたいと呟く。可哀そうなことに、かれの呟きは誰の耳にも届かなかった。


            つづく

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