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遺産相続禁止法  作者: 美祢林太郎
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1 大曾根万作の場合:病院のベッドの上で

1 大曾根万作の場合:病院のベッドの上で


-減らすことも難儀な作業である-


 大曾根万作は西京大学付属病院の最上階、高級ホテルのスイートルームのような豪勢な個室のベッドの上で、ガウンを着て横になっていた。傍には病院長の神山雄二が立っていた。

「わしの検査結果はどうだったんだ。正直に教えてくれ」。幾分やつれた顔の大曾根はベッドに寝たままで、神山に訊いた。

「これが血液検査の結果ですが、癌のマーカーの数値が・・・」

「そんな細かいことはどうでもいい。余命はどれくらいかと訊いているんだ。耳障りの良い答えはいらないからな。正直なところを教えてくれ」。大曾根がどすのきいた声で訊いてきたので、神山は幾分背筋を伸ばしたようだった。

「全身にどんどん癌が転移していますから、余命10日くらいじゃないでしょうか。先生もずっと前から自覚症状がおありだったんじゃありませんか?」

「ああ、半年前に一瞬下腹部に激痛が走ったけど、そんなことくらいで病院に行ける状況じゃあなかったからな。あの頃は、何か腐ったものにでもあたったんだろうと軽く考えていた」

「その頃は国会が開催されて忙しかったのですか?」

「さてどうだったかな。あの頃は国会で何が審議されていようが、わしにはどうでもよかったからな。あんただって、わかっているんだろう。わしが財産を使うのに忙しくて、国会に出席するどころじゃなかったってことくらい。同年輩の議員は国会に出ずに、競うように金を使いまくっとったからな。あの頃は、幹事長から党の運営の件で何度も電話がかかってきたが、うるさいと一喝してやったよ」

「はあ」曽根はため息をつくように返事をした。

「おれはこんなところでじっと寝ていられないんだ。あと10日生きれるなら、痛み止めの点滴を打ちながらでも、最後まで金を使いまくらないとな」

「先生、ご無理をなさってはいけません」

「無理は無理ができるうちにするものだ。やわなことを言うんじゃない。じっとしていては、金なんか減らんぞ。今さら後悔してもしかたがないが、こんなことになるくらいなら、早く国会議員を引退しておくべきだった」

「先生、実は私もまもなく定年を迎えるのです」

「それがどうしたというんだ。あんたは大学病院を定年になっても、民間の大病院の院長のポストが約束されているんだろう。君はそもそもいくつになるんだ」

「69歳になります」

「おれは89だぞ。君なんかわしよりも20も若いじゃないか。わしと比べたら若造だ。もっと患者のために働いてもらわないと困るんだ。人生はこれからだ、これから」

「ですが、先生ほどではありませんが、私もそこそこ財産がありまして。70歳で定年になったら財産を急いで使い始めないと、死ぬまでになくなりそうもないんです。失礼ですが、先生のように急に使おうとしても、死ぬまでに全部を使い切って死ねないでしょう」

「わしは仕方がないだろう。急に法律ができたんだから。でも君はこれから20年以上もあるんだから、計画的に使うことができるはずだ。心配しなくても大丈夫だ」

「私の両親も医者だったもので、親から相当の遺産を引き継いでいるんです。ですから、定年になったらすぐにでも財産を使い始めないと、死ぬまでになくなりそうもないのです。いますぐにでも仕事をやめたいのですが、世間体もありますからやめられないのです」

「大丈夫だ。君は元気そのものじゃないか。100歳までは生きるよ。わしが保証してやる」

「ありがとうございます。ですが、先生だって、半年前までは元気そのものだったでしょう。百歳以上生きると思っていたはずです。あれから半年後にベッドに横たわっているなんて、半年前は想像もできなかったはずです」

「そりゃあ、そうだが。おれは元気だったと言っても、88歳だったんだぞ。69歳の君と比べるのはおかしいだろう」

「人間はいつ死ぬか誰もわからないのです。病弱な人間が意外と長生きをしたり、今日まで元気だった人間が翌日にぽっくりと死ぬことだって不思議なことではありません。医者である私が言うんですから、間違いありません」神山は少し鼻を膨らませたようだった。

「まあ、わしだって、ごほん、ごほん」大曾根は咳き込んだ。

「先生、大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だ。水を一杯くれ」神山は冷蔵庫からペットボトルの天然水を取り出し、コップに注いで大曾根に渡した。

「ありがとう」

「先生、少しお休みになられた方がよろしいのではないでしょうか」

「もう十日もしたら、あの世でずっと休み続けられるのだから、いま休む必要なんかない。寝たくなったら自然に寝ているさ」

「それじゃあ、先ほどの話を続けてよろしいですか」

「何の話をしていたんだっけ」

「財産の使い方です」

「ああ、そうか。それで何が訊きたいんだね」

「先生は、この半年の間にどのようにして財産を使ってこられたんですか」

「ああ、そうか。その話か。わしも法律が施行された直後は、甘く考えていたんだ。タワーマンションなどの不動産を購入して財産を使えばいいだろう、とぐらいに軽く考えていたんだが、マンションは財産になるから駄目だってことを顧問弁護士が教えてくれた。

ピカソの絵も財産になって国に没収されるんだ。おれは急いで所有していたマンションや絵画、それに貴金属を換金することにした。まずはお金を使う前に、財産を換金することを勧めるな。もちろん国債や株券もだ。あんたも土地や絵画をたくさん持っているんだろう」

「親の残した物がありますから、それなりにですね。亡くなった父が横山大観のファンだったもので、家には大観の作品が結構な数があります」

「子供さんの名義にはなっていないのか」

「はい、すべて私の名義です」

「それじゃあ、今から子供さんの名義にすると莫大な贈与税を取られるから、名義変更するわけにはいかないな」

「そうなんです」

「じゃあ、絵画の相場が上った時に売ることだね」

「それが先生のように西洋絵画じゃあなく、大観を始めとして日本画ばかりなんです。日本画はマーケットがほぼ日本国内に限っているので、安く買いたたかれているようです。もはや個人が資産として日本画を持つような時代じゃあなくなりました。捨て値です」

「西洋絵画も日本人が売り急いでいるから、ずいぶん安い値段で取引されるようになったらしい。わしはそうなる前に売り抜けたからよかったけどな」

「絵画を始め、美術品を個人が所有する時代は終わりましたね」

「そうだな。それから土地代も急激に下がっているらしいな」

「そうなんです。私の資産もずいぶん目減りしてしまいました」

「それでも、何十億もあるんだろう」

「そう、そうですね。そんなところです」。大曾根は神山が言いよどむのを見て、おそらくもう一桁上の資産があるのだろうと踏んだ。それはそれで厄介なことだと思って、心の中でにんまりと笑った。

「それで、先生は半年でどのように使われたのですか」

「こんなに早く死ぬ予定ではなかったから、いま現在では十分の一も使い切れていないんだ。それでも金を使うと言ったら、飲む・打つ・買うの三拍子だろう。そこで、おれは毎日高級料理店に行って、最高の料理を食べたよ。秘書がいつものように交際費で落とそうとしたが、おれはそれを制して全部自腹で払った。日本料理だろう。中華料理だろう。フランス料理だろう。一本100万円のワインを百本以上は飲んだな」

「先生、それは健康によくありません。でもまあ、それはそれとして、残念ながらわたしは下戸なので飲む方で財産を消費することはできないんです」

「そうか。それは残念だな。わしは酒は強い方だが、それにしてもこの歳だから食べるのも飲むのも限界がある。飲食だけでは、たいして財産は減って行かないんだ。少し気を許すと、無意識に家で卵かけご飯を食べていたものな。本当に美味しいのはこっちの方だよ。卵も本当は安い方が口に合うんだ。外食で高級料理を食うのは、どんどん苦しくなってきたな。最近は、財産を減らすことは、苦行以外の何物でもなくなったよ。癌のせいで気が弱くなったのかな」

「それじゃあ、打つの方はどうですか?」

「これはいくらでも減っていくよ。財産を減らす方法としてはこれがベストじゃないかな。ギャンブルは儲からなくても、もしかすると勝つかもしれない、というハラハラドキドキが楽しいんじゃないか。そう思わないかね、君」

「その通りです」

「君はギャンブルはやるのかね」

「いえ、若い頃麻雀をしたくらいで、その他のギャンブルはしたことがありません」

「そうか。おれもこの歳になるまでギャンブルをしたことがなかったんだ。互いにそこそこ真面目な人生を歩んできたんだな。

ギャンブルをしようと思って閃いたのがラスベガスだ。そこで、すぐにスーツケースに百ドル紙幣をびっしり詰め込んでラスベガスに飛んだ。多分、日本円にしたら十億円くらいあったのかな」

「いきなりラスベガスだったんですね。それにしても、お金の方は空港の保安検査所で引っかからなかったんですか?」

「国会議員の特権だよ」

「ああ、そうですね」

「とにかく大金を持ってラスベガスに飛んで行ったんだ。ラスベガスのカジノのビップルームでいきなり大金をかけたね。ポーカーというやつか? わしはカモネギだったよ。当然だよな。3日間で持って行った金を全部すったよ。それでわしの短いギャンブル生活も終わったよ。アメリカに十億円寄付したようなものだ。楽しませてもらったけどな。財産を減らすのも楽しくなければな」

「そうですよね。ただ減らすだけならば、札束を燃やせばいいだけですからね」

「そうなんだよ。そこなんだよ。そんな馬鹿がちらほらいるそうだけど、もう少し頭を使って努力をしろよな」

「では、買うの方はどうなんですか」

「君はそっちの方は盛んか」

「まあ、そこそこ」

「わしも嫌いな方じゃない。銀座で豪遊したよ。若い女にマンションを買い与えてやったりもした。だけど、この頃、わしと同じように若い女に貢ぐスケベじじいが増えて、女の子たちも老人を選ぶようになったんだ。それに、税務署が目を光らせるようになって、女に買ってやったマンションにだって税金がかかるようになった。ダイヤモンドや金の指輪のような宝石にだって、税務署の厳しく目が届くようになったんだぜ。君も気を付けろよ」

「はい、気を付けます。女へ貢ぐのも楽じゃないんですね」

「わしも随分頑張っているんだけど、まだ財産の十分の一も使っていないんだ。百歳まで生きることができれば、財産を使い果たすこともできただろうにな。君の力でなんとかならんか。ならんだろうな」

「先生、それならば当大学病院にご寄付をなさってはいかがですか?」

「寄付か。これまで考えたこともなかったな。意外とそれは妙案かもしれないな。いくらくらいすればいいんだ」

「いかほどでも」

「病院はどのくらいで建てられるんだ?」

「この病院で100億くらいです」

「だったら、200億寄付するか。それでいいか」

「結構です。すぐに必要書類を用意させます」

「早くしないと、死んでからでは、口約束は反故にされるからな。生きているうちにすべてすませてしまおう」

「いますぐ係の者を呼びますので、もう少し生きて、いや起きておいてください」

「君は良いことを教えてくれたな。君もどこかに財産を寄付しないと、全部国に持っていかれるぞ。おれの寄付で建てる病院にはもちろんおれの名前がつくんだろうな」

「もちろんです」

「病院の庭にわしの胸像を建ててくれるんだろうな」

「それはしっかりと行いますので、ご心配しないでください」

「この病室は一泊いくらだっけ」

「50万円です」

「もっと高い部屋はないのかね。巷には金を使いたくてしかたのない資産家が溢れているんだから、新しく建てる病院には一泊最低でも100万円の個室をいくつも並べたらどうかね」

「そうですね。理事会で検討してみます。おまかせください」

「きちんと高級ワインも出すんだよ。別料金でいいからな。部屋にはスロットマシンもあった方がいいな。主治医は美人の女医さんにすることだな」

「それでは患者さんの血圧が上がって、身体にはよろしくないかと思いますが」

「老い先短いんだから、楽しく過ごしてコロッと死ねれば本望じゃないか。しみったれた死に方なんて嫌だろう。発想の転換をしなっくっちゃあ、これからの病院経営はできないぞ」

「次の病院長に申し伝えておきます」

「わしはこの部屋から出て、お金を使う元気は残っていなさそうだから、どうせならこの部屋を改良して住みやすくするか。とりあえず、ミラーボールを設置しよう」

「ミラーボールを入れて、いったい何をするんですか」

「バブルの頃のディスコの再現だよ」

「そんなことをしたら、お身体に障りますよ」

「なあに、賑やかな中で死ぬことができれば本望だ。おれはバブル時代にディスコに行かなかったのが今でも心残りなんだ。防音用の壁の手配を早急にしてくれ。急がないとわしは完成の前に死んでしまうかもしれないからな。ボディコンの女の子や、ジュリアナ扇子も忘れるなよ」

(年寄りは、若い頃にやり残したことにいつまでも執着するものなんだな)神山は後学のために頭の中に入れておくことにした。

「それにしても、金があってもできることはたかだか知れている。もしかすると金の使い方次第で、人間の器量というものがわかるのかもしれない。君もよく考えて財産を消費しないと、死んだ後に笑われてしまうぞ」

「はあ」神山は拍子抜けしたような返事をした。

「わしにもう少し寿命があればやってみたかったことがあるんだ」

「それは何ですか?」

「生前葬だよ。わしが死んだ後では、嫁や子供も葬式をやってくれないだろう」

「副首相を務められた先生ほどの人が、決してそんなことはありませんよ」

「一円も財産を残すことがないんだぞ。葬式代も残さないんだ。それなのにどうして子供たちが葬式をしてくれると言うんだ。わしは生きている間に、自分で盛大な葬式をあげたい。もう間に合わないけどな」

「いえ、間に合うんじゃないんですか。明日にでも、どこかのホテルを借りて、派手に生前葬を行いましょう。お金はあるんでしょう」

「君のところに寄付しても、あと50億くらいは残っていると思うな」

「では、盛大な生前葬ができますよ」

「それじゃあ、生前葬の間にわしに何かあっても困るから、この病院でやることにしよう」

「他の患者さんがいますから」

「転院させればいいだろう。転院にかかる費用はこちらが持てばいいじゃないか。もし必要なら色を付けてやっても構わないぞ」

「そうですか・・・。なんとか努力してみますが、マスコミに国会議員の横暴と叩かれるんじゃありませんか」

「その時はわしは死んでいるよ。心配ない、心配ない」

「はあ、そうですか」

「ところで、わしは明日までは生きているんだろうな」

「おそらく」

「いつ死んでもいいように、前金で払っておくよ。じゃあ、早速準備にかかってくれ」

「喪主は長男の方でよろしいですか」

「考えてみたまえ。財産が残らないのに長男が喪主になってくれはしないだろう。生前葬だから喪主はわしでいいよ。家族の者は声をかけても誰も出席しないだろう」

「そこまで悲観的になられなくてもよろしいんじゃありませんか」

「あいつらはわしが死んだ後どうすればいいか途方にくれて、毎日ボーっといるんだ。わしの遺産がなければ、生きていくすべがないからな。あいつらは独力で生きていく力がないんだ」

「先生、私のところも同じです。医者にしておけばよかったのですが、頭が悪かったもので、何も手に職をつけていないのです。私が生きているうちはいいのですが、私が死んだ後はどうなることやらと心配です。絶対に「遺産相続禁止法」は悪法ですよね。我々老人は金を使うのに忙しくなってしまったし、子供たちは路頭に迷うようになったのですから」

「そうだよな。わしも昔のように大往生したかったよ」


              つづく

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