2-22 エピローグ:勝利の余波(1)
そうだ、ルイの部屋を訪ねてみよう。
そう思いサクヤは歩く方向を変える。領主館の廊下の床は、窓から差し入った木漏れ日でところどころ明るい。だが、他に光源があるわけではないし、今日は曇っているので少し薄暗かった。
櫛稲田の命運を懸けた決戦が終わってから、もう10日以上になるが、サクヤは相変わらず忙しかった。まず、死傷者を出した村への礼。今回かなりの損害が出たので、これが非常に忙しかった。サクヤが自ら出向かなければ到底収まらないような損害――つまり働き手の喪失――を出した村も多かった。
次に派兵してくれた連合帝国への礼、そして今後に向けた協議。
さらに、大量に鹵獲した神聖法廷の武具、および前線基地ローディスの物資の取り扱い。そして、随分と破壊したとは言え、まだ十分な設備を保った前線基地ローディスの扱い。
これら戦勝によって発生した仕事に、櫛稲田を含む森羅はなかなか対処できずにいた。特にナガスネの負傷離脱の影響が大きい。どこからともなく投げつけられた剣が胸を直撃し、鎧がもう少し簡素なものだったら命は間違いなく無いほどだった。
ナガスネ以外の将校は派兵して勝った経験に乏しいうえ、全員での合意を尊ぶ櫛稲田の文化がさらに仕事を遅くしていた。櫛稲田は良く言えば慎重で用意周到であるが、いまは遅疑逡巡という悪い面が強く出ているようにサクヤには思われた。
負けたら忙しいどころでは済まなかった。何度も心にそう言い聞かすものの、働き詰めでサクヤは疲れていた。
そして、つい先ほどサクヤは自分の気持ちに鞭打って、さて次の予定は何の会議だっただろうかと秘書官に聞いたところ、どこぞの有力者が議題設定に強く懸念を表明しているため延期になったとの返答が返ってきたことで「またか」と気持ちを暗澹とさせた。
しかし、秘書官が続けて、急なことなのでしばらく予定は入っておりません、と告げたことで少し機嫌を直した。そして、ルイを訪ねることに思い立ったのだった。
サクヤはルイと長い間会っていないわけではなかった。むしろ、つい先程会って話したばかりだ。だが、それはルイに対する査問と言っても過言ではないような場だった。
戦勝後の重要な仕事の一つとして勲章の授与がある。戦いで活躍した者にひとまず名誉で報い、細かいことはちょっと待ってもらうための大事な時間稼ぎの儀式だ。
今回は薄氷を踏み抜いて溺死しそうになった果ての勝利であったため、かなりの大盤振る舞いが許される状況であり、全体として問題は少なかったが(普通はなかなか全員に報いることできず悩む)、ルイの扱いは揉めに揉めた。
いくつかの話を総合すると、ルイが貢献したことは間違いない。櫛稲田サクヤと共に背後からの敵襲を早期発見したし、敵襲で混乱する本陣においてナガスネを救出しただけでなく、それなりの神聖法廷兵を撃退している。そこへの異論はない。
だが、貢献を越えて勝利をもたらしたかどうかは意見が分かれた。いくつかの兵の話を総合すると、あの起死回生の黄金の雷を呼び寄せたのはどうやらルイだということになるのだが、審査する立場の者たちはそれを簡単に信じることはできなかった。というのも、どうやって雷を呼び寄せたのか誰にも分からなかったからだ。
魔法は、原則として「変化を自分から」発する。だから、魔法というものは誰が使ったのか視覚的にすぐ分かるのものだ。ルイが自分の体から雷を放ったのなら、議論はもう少し穏やかだっただろう。
だが、多くの人々が目撃していることに雷は空から落ちたのだ。あれが魔法だとしたら、いったいどうやって敵城の門を破壊するほどの魔力を天に集めたと言うのか。そんな魔法の存在を想定するならば、まだ全てが偶然だったとするほうがマシなほどだ。
こういった意見が多く出され、また常識的な見解でもあったので多くの賛同を得た。
しかし一方で、ルイがなにやらローディスに向かって言葉を発し体を強く輝かせたこと、直後に雲が少なかった空から突如落雷があって敵城を破壊したことを偶然だと見做すとはいくらなんでも無理があるのではないか? もし、本当にルイの功績であったのに我々が認めなかったらルイは機嫌を損ねるのではないか? そうなったら責任は誰が負うのか? という声に答えられたものは誰一人としていなかった。
結果としてルイの功績を明確化するためという名目で聴聞会が開かれたが、行われたことと言えば懐疑的な意見を持った森羅の高官による、事実上の詰問であった。
最初こそ穏当な質問であったが、次第に身元含めもろもろ不明なルイに対して踏み込んだ質問に移っていった。
この様子を見ていたサクヤは、肝を冷やすと同時に、無理に同席を願い出て本当に良かったと思った。この無意味どころか櫛稲田にとって有害になりつつある会議を止めることが出来るのだから、と。
ルイはあまりにも異質だ。日常的な立ち振る舞いはどこぞの連合帝国で甘やかされて育った貴族の子息かと思えるほど無防備なのに、接して見れば不思議と隙がなく、いざ戦いとなると明らかに長い歴史と本人の研鑽によって裏付けられた武の動きを見せる。
それに、出生地が本当に分からない。信じられないほど種族の違いに不慣れ且つ無頓着すぎる。それに、どうも上手く言葉にできないのだが、人や世界に対する捉え方が根本的に異なっているように思えるのだ。
そんなルイは、今はあまり話題になっていないがライフルという武器も含めて強力な戦士であるだけでなく、戦略に対する造詣も深い。にもかかわらず、戦い慣れしているように見えないことは不思議であるが、いまは置いておこう。
大事なことは、ルイを決して手放してはいけないということだ。どういうわけか、ルイは櫛稲田を好んでいてくれるように見える。連合帝国のアズマ府では居心地が悪そうに見えたし、不安ながら神聖法廷に行かせてもすぐ戻ってきた。
サクヤはルイが櫛稲田を好む理由を、櫛稲田に奴隷がいないことと、食事が好みにあっていることのふたつと予想していた。そんなのが、どうして理由になるというのか。自分でも呆れるが、どうしてもそう見えるのだ。
そんなことを考えながら、森羅の高官がルイの背景に対して直接的な質問をする瞬間を待った。そしてその瞬間が訪れたとき、サクヤは溜息をひとつ吐いてから会話を遮って、これ以上勲章のための評価と関係の無い質問をするのであれば領主の娘たる私が許さないと言い、そこで初めてなにが主旨かを知ったルイが勲章の類をすべて拒否すると告げたことで、存在理由を失った会議は終わることになった。
これがつい先程起きたことだった。
そして、いまサクヤはルイの部屋の前に辿り着いた。戸を開けようと近寄ると中から声が聞こえてくる。
「あー、めんどくさっ」
それからすぐに体を寝台に投げ出す音がした。
どうもルイは人が近くに居ないと感じている時は独り言が多い。これも一緒に行動してきたサクヤとヤグラだけが気付いていることだ。
サクヤはふと廊下の窓を見た。外は小雨のようだった。そして一呼吸おいてから戸の外からルイに声を掛けた。
*
寝台に寝転がったルイが何気なく窓に視線を移すと、小雨が降っているのが見えた。煙の谷で予想したとおり、櫛稲田は雨が多い。
そのまま小雨を見ながら、ルイはぼんやりと傘のことを考えていた。櫛稲田の人々は小雨でも傘を差す。そして、葦原の中心地である紀ノ国でも、小雨が降ると葦原人は傘を差す。ルイもそうする。
どこで知ったのかは思い出せないが、地球時代においては、どの程度の雨で傘を使うかは地域によって随分と異なっていたらしい。小雨でも傘を差すというのは一般的とはいえなかったらしいのだ。
そして、自分がよく傘を使う習慣を持った人々の末裔であること、そんな自分が同じく傘をよく使う異星文明で暮らしていることを改めて不思議に思った。
ルイは先ほどまで、森羅との会議に出ていた。会議と言っても出席者は官僚っぽい人、ルイ、そしてサクヤの三人だけだ。その官僚は確かに名乗ったのだが、ルイはもう忘れていた。ともかく、その高官はルイのことを根掘り葉掘り聞き始めた。
ルイは最初「あまり得体の知れない人物を軍や行政の中心的な施設に入れるのもいい加減に問題だろうから無理もない、とはいえ正直に話すこともまた出来ないのでどうしたものか」と少々困りながら、そして時にのらりくらりと話題を逸らしながら答えていった。
そして、サクヤが突如「勲章を授けるべき根拠に関することだけを質問いただきたい」と割って入ったのを聞いたルイは、即座に「どの勲章も無用です」と乗っかったことで会議は終了になった。
ルイが最も話したくなかったことは軌道爆撃のことだ。自分の出身はなんとか曖昧にできても、叙勲ということになればあのレーザー射撃のことについて説明が必要になると思われたし、上手く説明できる気がどうしてもしなかった。
サクヤが割って入ってくれたことは嬉しく思うも、それに従うと逆に軌道爆撃のことを中心に話さなければならなくなる。であるから、叙勲を断ることがルイにとって最善であった。
ルイにとって勲章など面倒でしかない。自分が目立つことに繋がるだけだからだ。しばらくは、いまのまま曖昧な立場で、上手く生き延びながら自分の正体を明かさずにいたいと思っていた。
「ルイ殿、おくつろぎのところ失礼します。少しよろしいでしょうか」
そうサクヤに声を掛けられた時、ルイは会議室を出る前に横目で見た、悔しさを滲ませ俯く森羅の官僚の横顔を思い出していた。
これから上司に酷く怒られるのだろうか、とルイは他人事ながら少し同情的に思っていたところだった。
「どうぞ」
ルイはそう言いながら、むくりと起き上がる。入ってきたサクヤが提案したことは、再び庭でお茶を飲むことだった。





