1-3 ニクサヘルにて(2)
ルイが会議室に入ると、リンだけが椅子に座っており、すぐに話しかけてきた。
「お疲れ。やっぱニクサヘルの観測って大変?」
「あんまり慣れてない星だからちょっと。でも特に問題はなかったよ」
会議室に入ったといっても、ここは各艦の会議室を繋ぐ通信会議室だ。リンが目の前に存在するかのように見えているが、本当のところこの空間にはルイしか存在していない。リンは艦長と同じ別の船に乗っており、今回の発端となった事情の人も別の船に乗っている。
こんな会議室に入らなくともモニターやホログラムを使えば会話できる。しかし、「会って話す」という原始的な方法は、いくら技術が進歩しても不要になることはなかった。人間の意思疎通が、動作や表情といった非言語的な情報に強く依存していることは昔から変わっていないからだ。
「こっちも問題無かったよ。まあ、問題が起きるとしたらこれからなんだけど。しっかし、綺麗な星だねー」
リンは窓の外で白く輝く主星ニクサヘルを眺める。こうした船外の風景の共有も違和感なく行える。しばらくリンは星を見ていたが、ふと「あっ」と声を上げた。
「あたしのカバン。あった?」
「これ? 随分と重いね。何が入ってるの?」
ルイが黒無地のアタッシェケースをリンに見せる。慌ただしい出発だったせいか手違いでルイが乗る船に間違えて運び込まれたらしく、捜索を頼まれていたのだ。
「それ! ちょっとした私物でさ、一応大切なもので」
「分かってる、勝手に開けないよ。それより、艦長遅いね」
「ログを見るともう入室しているみたいよ。研究船の人と二人、別枠で会話しているみたい」
「ふーん……」
「そういうこと。大事な話みたいよ」
ある程度以上の会社であれば、社員は平等に扱われる。第一級社員だけでなく、第二級社員であっても。大企業である草薙ロジスティクスも同様だ。
ただ、ほとんどの場合、建前や礼儀に留まる。第一級と第二級に任される仕事は隔絶している。重要な議論や判断が第二級に任せられることはなく、情報共有も最低限に留まる。級を跨いだ人事異動など、あるはずもない。
ルイやリンは第二級社員として様々な作業をしているが、結果は人工知能が都度検証している。人工知能が検証できる程度の判断しか任されていないということでもある。
一方、第一級になるような人々は、子供の頃から先進的な教育を叩き込まれ、会社に入れば重要な歯車として更に鍛えられる。彼らの人生の航路は、ルイやリンのような第二級社員と接近することはあっても決して交差することはない。
「――ねえ、あのニクサヘルの向こうにある白いモヤは何?」
リンが再び窓の向こうを見て話題を逸らすように言う。ニクサヘルとリングの奥には、白い煙のようなものが広がっているのを不思議に思っているようだった。
「<ユースモアの白布>だよ」
「白布?」
「星間物質の濃い星雲でね、ニクサヘルの西側一帯に広がっているんだ」
「へー、詳しいね」
「航行士の資格試験に出るんだよ。ユースモアは通行不可能って言われている。電波も通りにくいから、白布の奥に何があるかほとんど分かってない」
「なんで通れないの?」
「ハイパーレーンは少しでも星間物質があると通せないんだ。無理やり通ると船の進路が変わって、宇宙の何もないところに飛んで行っちゃうってさ」
「へー……」
リンは、興味が湧いたのか窓の外をぼんやり見続ける。それから、特に雑談することが無くなった頃、新たな参加者の接続通知が出て、すぐに子供と、背の高い痩せた男が出現した。
「待たせたな。ああ、起立は不要だ。始めよう」
既に起立していたルイとリンは、共に座りながらも背筋を伸ばし、続く艦長の話を待つ。
ルイはつい先日、陳が草薙ロジスティクスの名物艦長だとリンから聞いていた。本来はわずか三隻の船団を率いるような立場ではなく、数十隻の船団を担当することが多いことも聞いていた。ルイには第一級の序列のことは良く分からない。ただ、陳艦長と比べれば、第二級で新入社員の自分など吹けば飛ぶ木の葉のようなものだとはよく理解できた。
「二人からの報告を聞く前に、紹介しよう。こちらは研究調査船に乗られている御堂上級研究員だ」
「草薙総合研究所の御堂です」
「!」
ルイには、リンの顔が瞬時に緊張で強ばったのが分かった。しかし、態度には出さず黙って続きを聞く。
「御堂研究員、申し訳ないが航行の安全確認が先で良いでしょうか」
「このまま居るので終わったら話かけてください」
「ありがとうございます。では、リンから頼む」
リンは手早く輸送船の検査状況を報告する。ハイパーレーン通過時には船体外壁に強い負荷が掛かり、装甲板の消滅など損害が生じることもある。そのため、ハイパーレーン通過後に船体を検査するのは大事な仕事だった。もしも、重要な装甲板が消滅したままハイパーレーンに入れば船の安全は保証されない。
ルイは、既に問題が無かったことをリンから聞いていたので、こっそりタマに御堂上級研究員の概要を聞いた。
――御堂研究員について教えて。
そう太ももに指で文字を書くことで伝え、それから素早く視線をリンと陳館長に戻した。タマは期待通り、会議中であることを踏まえてルイにだけ聞こえるよう情報を簡素に返した。
『御堂マリウス京。学者一族、御堂家の一員。カミムスビ出身。有数の学者集団である草薙総研に所属。宇宙物理学が専門。草薙グループ研究戦略部の次長を兼務。社内外の表彰多数。いやー、正真正銘の超エリートってヤツだね』
ルイは軽く驚くと同時に納得もした。なるほど、これだけの重要人物となれば輸送船団に横入りして航路を変更するなど無理筋でもないのか、と。
警戒されぬよう自然な形で御堂に目を向ける。先ほどから御堂は実に奇妙だった。エリートは誰もが時間を惜しみ猛烈に働くものだ。これまで会った第一級社員はみなそうだった。だが、御堂は違った。ただニクサヘルの方を無表情に見るだけ。
御堂の、ニクサヘルより遠くのどこかを見て動かない瞳には何かが秘められているようにも感じられた。だが、ルイはそれ以上の興味を持たなかった。御堂が、眼鏡という地球時代を彷彿させる古道具を身に着けていることがちょっとだけ気になったぐらいだ。
どうせ、今日限り二度と会わない階層の人なのだから。
[タマのメモリーノート]カミムスビは、葦原の第三都市であり学園都市と呼ばれている。科学、特に生命工学の研究における中心地である。