2-2 茶会、そして巨象の砂漠へ(2)
沈黙が辺りを支配する。聞こえるのは風の音、それに遠くから僅かに聞こえる街の騒めきだけだ。
「ルイ殿、例えば……」
「待て、ルイの話を待とう」
サクヤは口をつぐむ。確かにサクヤは少し焦っているように見えた。だから、ヤグラに静止されたのだろう。それ以上のヤグラの意図は分からない。だが、ルイには有り難かった。これから話すことは、言葉を慎重に伝える必要があった。
ルイとタマは、この要請を予想していた。既に葦原文明の利器を使った戦闘力と運搬力を見せていたから櫛稲田が欲しがるのは当然だ。実際に話を聞いてみると、サクヤというより櫛稲田はルイが古代文明の特別な知識を持っていると考えていて、それを欲しがっているように感じられた。
求められている理由が自分自身というより、タマと道具の性能に寄るところが大きいことにルイは少し心地の悪さを感じたが、仕方のないことだと気持ちを落ち着かせた。そんなことは分かっていたことだと言い聞かせた。
だけど、とルイは思う。櫛稲田が欲しがっているのは葦原の技術力――古代文明のものだと勘違いされている――に違いないかもしれないが、煙の谷にて共闘したことで生まれたサクヤとヤグラからの信頼もあるはずだ。特に、サクヤが切り札の荒稲妻を見せたのは信頼もあってのことではないか。そう考えた。ならば、それには応えたい。
また、ルイからしてみても、サクヤに協力すべき理由はいくつもある。特に日常生活に対する援助は大きい。安定して食料が得られること、血蜘蛛のような危険な野生生物が跋扈する世界で安心して眠れる場所が得られる利点は計り知れない。
ただ、それでもルイには躊躇せざるを得ない理由もあった。ルイは言葉を選びながら口を開く。
「まず……サクヤとヤグラは良くしてくれたし、櫛稲田の、なんと呼べばいいのかな。領主様にも歓迎してもらえて有り難いと思っている。食事も美味しかったし、ここに居て良いと言われたことは嬉しく思っている。だから」
サクヤは微動だにせず次の言葉を待つ。
「まず、僕は櫛稲田と少なくとも敵対しようとは思っていない」
サクヤの顔に安堵と困惑が同時に浮かぶ。それでも黙ってルイの次の言葉を待つ。それを見て、そもそも交渉の経験など無いことを改めて思い出したルイは、小手先でなんとかするより正直に気持ちを伝えようと改めて思い直す。それはタマとの事前の打ち合わせとは少し違っていたが、目の前の信頼に応えたいという気持ちを優先した。
「サクヤとヤグラの味方になりたいとも思う。だけど、ひとつ引っかかることがあるんだ。僕は神聖法廷のことをほとんど知らない」
サクヤは表情を変えずルイを見つめ続ける。一方、ヤグラは目を瞑って黒茶を一口飲んだ。ヤグラが茶碗を机に置くのを待ってルイは話を続ける。
「二人は神聖法廷のことを良く知っていて、なんというか、簡単には仲良くできないことも分かっていて、戦う決心がついているんだと思う。そして、きっとそれは正しいんだろうと思う。でも僕は、さっき言った様に神聖法廷のことを知らない。どんな国でどんな人がいるのか。彼らに会ったとき戦えるのか、分からないんだ」
「前線で戦って頂かなくとも、私たちには色々な用意があります」
「それでも、いま櫛稲田は危険な状態にあるみたいだから、後方でなにかするとしてもそのことを考えることは避けられない気がするんだ。攻められたら逃げていいのかもしれないけど、本当にそうしていいのか迷うと思う。もし前線基地のローディスを攻めて負けたら次はどうなるの?」
「奴らが櫛稲田に攻め込み、食料と人を奪うだろう。それが神聖法廷の目的だ」
サクヤの代わりにヤグラが答える。
「人を奪うって、奴隷にするということだよね。目の前でそんな略奪をされたら」
ルイがヤグラを向いて話し、続けて再びサクヤを見る。
「遅すぎたと思うはず。そうでなくても、何も知ろうとしなくて本当に良かったのかぐらいは思う気がする」
「……」
サクヤは視線を落とし沈黙する。それは、いまルイの言ったことが現実的に起こりうることだと意味していた。
少しの沈黙の後、再びヤグラが口を開く。
「ならば、どうしたいのだ」
その問いにルイは即答した。
「神聖法廷を見てみたい。どんな考えなのか、肌で知っておきたい」
こうしてルイは神聖法廷へ向かうことになった。サクヤが強い懸念を示したため、二泊三日程度にすること、なるべく神聖法廷の住人とは関わらないことをルイは約束した。ルイの力の一端でも漏れれば神聖法廷は決して看過しないだろうというヤグラの進言もあった。
目的地は櫛稲田から南西の方角にある要塞都市シュラマナとした。神聖法廷の領土を守る東の要所であり、いまや前線基地ローディス建設の物流拠点となっているとのことだった。他の都市は領土奥深くにあるため到達が難しいということだったから選択の余地は無かった。
櫛稲田から要塞都市シュラマナへの最短ルートは、ただ南西に直進することだ。しかし、途中には建設中とはいえ既に防衛戦力を有した前線基地ローディスが立ち塞がる。そのため少し遠回りとなるが、まず南へ向かい、それから西へ向かうことにした。
そのため、別の砂漠を通ることになった。そこは<巨象の砂漠>と呼ばれていた。
「砂嵐が酷くなければ分かるだろう」
巨象とは何か、との問いへのヤグラの回答は素っ気なかった。
「誰も分からぬ。だから、見つけられなくてもなんの問題もない」
ヤグラは茶会の最後にそう付け足して去っていった。それが自然と終了の合図となった。それからルイは早々に身支度を整え、翌日の早朝に出発した。少し、逃げるような後ろめたさを感じた。
*
「こう近くで見てみると、改めてデカいな」
『デカいですねえ』
ルイとタマは感嘆の声をあげた。機械仕掛けの巨大な獣が、砂漠の巨大な岩山へめり込むようにして横たわっていた。いまルイはその足元で半分口を開けて立ち尽くしている。五階か六階建てのビルほどの高さの巨大な胴体、そこからは短く太い脚が出ており膝をついている。足の裏の幅だけでもルイの身長を遥かに越えている。
重要な点は、躯体の全体が未知の金属で構成されていることだ。骨だけというわけではない。太く巨大な胴、短く太い脚、丸い後頭部と大きな耳、さらには細い尻尾までが確かに目視できて全てが金属で覆われていた。
「象、といえば象なのかな。本物なんて見たことないけど」
『地球時代の生物ですからね。良かったですねえ、象を見ることが出来ました。これまた葦原人類で初ですね』
「……本物は金属で出来てないと思うんだけど」
『そりゃまあそうなんですけど。でも、突っ込むならまず鼻ですよ、鼻。象なら長い鼻があるはず。見えないならカバかも』
「耳が大きいから象っぽいけど……。どっちでもよくない?」
顔面は岩山に埋もれているので、長い鼻があるか確認できない。どうやらこの機械の獣は頭部から岩山に突撃して、そのまま活動を停止したようだった。
『いやー、象は知名度がありますからねえ』
「こだわるなあ。それよりこれ、動くのかな」
『一切の熱源を感知できません。土の埋まり具合いから見ると、かなり昔から動いていないように見えます。天候次第ですが数百年このままなのかも』
「……その割に錆びていないな。どうなってんだ」
ルイは象に近づき、足の裏を手で叩いてみる。
『音響解析ではよく分かりませんねえ、ただどんな金属であれ、奇妙ですね』
「うん。櫛稲田やアズマ府とは次元が違う」
櫛稲田は家が木造、アズマ府の石造と違いはあるが技術力に大きな差はない。どちらも三階建てが精一杯だ。高層ビルはない。櫛稲田やアズマ府で造れるものでないことは明白だった。
「古代文明の遺物ってやつか。葦原でなら造れるかな」
『はい、でもあり、いいえ、でもありますかね。造れても燃費、機動力ともに低くなりすぎます。経済合理性がありません』
「簡単には造れないし、造る価値も無い、か」
その後、ルイとタマはいくらかデータを取得してから巨象のもとを去った。
ルイは、高い技術力を持った古代文明が滅びた理由に思いを馳せる。合理性の無い機械の獣を産んだのは遊び心か、あるいは別の何かか。ルイはすぐに目的地のことを考え始めたが、そんな澱のような気持ちだけは残った。
[タマのメモリーノート] 櫛稲田サクヤ。身長は160センチメートル弱。推定体重は必要性が明らかになった段階で別途開示。身体的性別は女性と推定。髪色は黒に近い茶。各種身体的特徴は葦原星系の人類に酷似。ただ、耳だけが少し細長く尖っている。年齢の推定は困難だが、葦原人類に対する基準で判断すれば20±3歳の範囲(95%信頼区間)。





