1-17 エピローグ:櫛稲田へ(2)
「そっ、そうですか!」
それから、頼んでもいないのにサクヤは魔法について長々とした講義を始めた。
魔法とは、何が起きるかを想像して脳裏に浮かべた光景へ、体内にある魔力を滲ませたり注ぎ込んだりすることで現実化するものであること。種族による得手不得手というものがあって、たいてい耳長族は自然を使うこと、岩肌族は体を強めること、斥候たちのような長身族は道具を強化することが得意であること。ただし、個人差もあること。さらに櫛稲田一族に伝わるような秘伝の魔法というものもあり、使うには特別な言葉を使って長く練習する必要があること。
それらを興味深く聞きながら、ルイは勝手に次々と話していくサクヤがかなりの世話好きであるとの確信を深めていった。そして話が一段落した時、今度はヤグラが話しかけてくる。
「食事もまともにせぬから疑っていたぞ」
「アズマ府の食べ物が体に合うか分からないから、手持ちの腹持ちのよいものを食べていたんだよ」
やはり試してきていたかと思いながら、ルイは少し不機嫌そうに答える。
「くくっ、そうか」
「本当にいろいろと便利な物をお持ちですね、ルイ殿は」
「……櫛稲田で体に合う食料があるかも見させてくれ」
少し憮然とした表情のルイにサクヤは、ふふっと屈託なく笑って応える。ルイの目には非常に上機嫌に見えた。
「櫛稲田には美味しいものがたくさんありますから、是非色々とお試しください。ほらご覧ください、少し遠くに見えてきたようです。櫛稲田は木々に囲まれているのです。その中に畑や水田を多く持っています」
(サクヤからすれば、決死の砂漠の旅から無事に帰ってこられて、しかも連合帝国から援軍の約束まで取り付けて。感無量ってところかな)
ルイはサクヤの横顔を見ながら、笑ってくれて良かったと思う一方で冷めた思考が自動的に回っていることを自覚していた。そうしながら、魔法やカストディアンといった難問については黙って聞いているタマに当面の解析を任せることとして、運転を完全自動モードにして遠くを見つめ気分を切り替える。(なお、ルイはこのことでタマから少しは自分でも考えろと後で苦情を呈されることになる。)
魔法、それにカストディアン。ルイだけでなく葦原星系のすべての人類にとって、どちらも事実なら驚くべきことであることは間違いなかった。
念じることで使える魔法は未知のエネルギーの存在を強く示唆するので、これを科学者――例えば御堂のような――が知れば必ず大騒ぎするに違いなかった。地球時代から見つけられていないダークマターとも呼ばれる宇宙エネルギーの解明が期待されるはずだからだ。
それにカストディアンとは聞く限りにおいては、倫理規定によって製造が禁止されている自我を持った人工知能そのものであるので、これを社会学者が知れば、学会総出で生態や社会に与える影響について喜んで過労死するほどの研究を始めること必至だろう。
科学者や社会学者ではないルイにとってすら、大きな興味を掻き立てるものであった。ルイはこの惑星についての認識を、得体の知れない辺境から驚異に満ちた世界へと切り替えつつあった。
それでも、色々なことがあって疲れていたルイは思考するよりも自然に身を任せることを選んだ。地平線に広がる木々が見ながら、心なしか少し柔らかくなった風をしばらく愉しむことにした。
*
ちょうどその頃、谷の反対側、アズマ府側にある打ち捨てられた塔の前に斥候長が立っていた。周囲には多くの兵士達が物々しい格好で陣を構えている。
「随分と遅えな……。お、戻ってきたか。総員警戒……する必要はなさそうだな」
塔からは先程まで斥候長と共にルイに同行してきた女斥候が出て来ていた。動きは実に平穏で、それが斥候長を少し不思議がらせた。何も無かったのであればここまで遅くならないし、何かあったのであれば落ち着きすぎていると思ったからだ。
「カラスマ隊長、ただいま戻りました」
「随分とのんびりだったな」
「はっ。二階への扉でございますが、鍵は掛かっておらず僅かに開いておりました」
報告の第一声を聞いた瞬間、カラスマと呼ばれた斥候長から浮ついた態度が消えうせ、抜身の刃の如き殺気が報告者を包み込む。
「……昨日は確実に閉まっていたよな。間違いないのか」
ここらの報告は僅かな曖昧さも許さぬという無言の圧力。ただ、女斥候は動じることなく続ける。
「はい。まず二階への扉は螺旋階段の上、ただ一つであることを再確認しました。そして、私が塔に入った時、既にその扉は僅かに開いておりました。間違いありません。中に入る旨を大声で三度宣言した後に扉をさらに開けてみると、中は大きな広間になっていて、いくつか古い木製のありふれた家具があるばかりで他には何もありませんでした」
「……あの道案内、二階に何かあると見立てていたように見えたが気のせいだったか?」
連合帝国先遣隊に所属するカラスマ隊長は少しだけ雰囲気を和らげながら、昨日、塔の一階でルイが真剣な表情で二階のある一点を見つめていたことを思い出す。あれは間違いなく何かを見つけていた。間違いない。これは連合帝国の暗部を司る貴族の家に生まれ、呪われた運命のまま出世街道を歩んできた自分にとって信仰に近い確信だ。
ただ、それはルイという、普段は戦士というより一般人以下の緊張感がまるでない素人にも関わらず、絶大な武器と戦闘技術を持った得体の知れない異分子にはもしかしたら通じないのかもしれない。自分の直感は必ず正しいとは言えないのかもしれない。そうカラスマが思ったとき部下の斥候が続ける。
「少し話題は変わりますが、気掛かりなことがあります」
「……なんだ」
「塔へ入る時、門が全開になっていました、私はルイ殿が半分ほど上げたままだったように記憶しています。また門の床には最近のものとも見える擦り傷のようなものがありました。昨日もあったかどうかは暗くて覚えておりません。隊長は何かお気づきになられましたでしょうか」
「……なるほど。確かに門は全開にしていなかったし、床に新しい擦り傷は無かったと記憶している。そうか、出ていったということか。ならばご厚意に甘えようか!」
カラスマは不敵に笑うと大声で叫ぶ。
「戦闘警戒解除! 小隊ふたつのみ残して夜営に戻れ!」
兵士たちは命令を受けて無言でぞろぞろと散っていく。それを見てからカラスマは部下の女に再び目を向ける。
「変なカストディアンが飛び出すといけないと思って念のために配置したが無駄になったかな。まあ、何事もなく何よりだ。というわけで伝令だ、司令に伝えろ。この塔の拠点化を急げ、とな。あとお前、今から副長な」
「……はっ。元副長になにかありましたでしょうか」
「奴隷に後ろから刺されてしばらく療養となった。お前が代わりをやれ」
「承知しました。では伝令に参ります」
カラスマは既に領主にルイのことを伝令で伝えていた。また、副長の男が奴隷を手荒く扱ったのをルイが快く思っていないことも伝えていた。その結果、カラスマは引き続きルイと良好な関係を築くよう領主から求められた。副長の男斥候が奴隷に刺されたのはその日のうちだった。
刺した奴隷はその場で処刑され、副長は療養に入った。これにより、ルイとの相性は明らかに悪そうだが、やや位の高い貴族の血を持つ副長をどう任務から外したらよいかというカラスマの悩みは消滅した。
都合の良すぎる展開。だが、カラスマはこれが必然か偶然かについて深く考察することはなかった。昔から副長には奴隷を無駄に酷使するという悪癖があったからいつ起きてもおかしくないことであったし、仮に上層部からの指示だとしても調べたところで証拠を掴むことは極めて難しい。そして、なにより告発しても得られる自分の利点が何ひとつない。
新たに副長となった女斥候に顎で「行け」と命令してから、谷を越えた先にある櫛稲田の方向を見ながらカラスマは布覆面の下で満面の笑みを浮かべた。それは演技などではない、珍しく本心からの笑みだった。
ここが拠点化できれば谷を街道として整備できる。そうすれば貿易によってアズマ府の長年の課題であった慢性的な食料問題は大きく改善する。国力も高まり、西のヒヌシ府との交渉も少しはマシになる。
加えて、森羅との相互防衛も容易になるから神聖法廷への抵抗力も飛躍的に高まる。もしかしたら、神聖法廷が独占するあの肥沃な大地に攻め入ることも可能になるかもしれない。しかも、街道そのものは森羅の発見だが、街道の南出口側が連合帝国の支配地域になることは実に好都合だ。これなら街道から得られる利益を折半できる。
改めてカラスマは谷の戦略的な重要さを噛み締めていた。カラスマは国が自分に与えた運命を呪っていたが、それでも見えてきた光明を嬉しくも思っていた。さらにカラスマには楽しみなことがもうひとつあった。
(あいつにもまた会えるだろう)
戦闘になれば大暴れするのに普段はすっとぼけた平和ボケもいいところの甘ったれのクソガキが、いったいどんな本性をしているのか。解き明かしてやりたい。解き明かして、もう一度櫛稲田の甘ったれ姫も巻き込んで無茶苦茶に限界を越えて暴れさせてやりたい。そうすれば、もっと派手で面白いことが起きるに違いない。
そう思いながら、カラスマは覆面の下で笑みを濃くする。カラスマは、心底トラブルが好きだった。それが派手な結果になればなるほど、カラスマの好みだった。今回の件は、彼の乾いた好奇心を十分に満たした。
その日、どこまでもカラスマは上機嫌であり、それが部下たちには少し不気味ですらあった。
第一章・終。
[タマのメモリーノート] ルイは移動中に、アズマ府の宿屋から持ち帰った乾燥野菜と乾燥肉のサンドウィッチを機器で解析した。結果はタマによると、無毒で食料の範疇と言ってもいいかもしれないが、水分が極端に少なく酷く硬くて青臭くてパッサパサの檄マズだから葦原人の感覚では非常食ですら選択肢とすることは厳しい、というものだった。対するルイの返答は、心底うんざりした表情であった。





