8-18 相互確証破壊(1)
「僕もだ」
ルイはすぐに答えた。それは偽らざる本心でもあった。
しばらく沈黙が流れた。
再会そのものは嬉しくあれど、だからと言って咲かせたい話があるわけでもない。気軽に話せる話題があるわけでもない。お互い、偽名を使って何者なのか露呈しないようにしてきた間柄なのだから。
実際、水上都市ミッシュで会ってから地下遺跡を巡る間、ヴィクターと名乗ったヴィラールは自分の事や能力を極力隠そうとしてきた。ルイもまた、会話のほとんどをレネーに任せて口を開くことそのものを出来るだけ避けた。
だから、二人がまともに話すのは今回が初めてのようなものであった。共通の話題は分からない。別れてからこれまでの事を気軽に話すなど論外。最も無難な天気の話題ですら、ここ全天候型ドーム都市の中においては虚しい。
それでも会話の糸口ぐらいはある。今やお互いに身分を知っているのだから。
「イチローのことは、なんとなしに只者ではないと思っていた」
「僕もだ。でも、まさか祝福騎士とは思ってもみなかったけど」
「……自己紹介は要らないようだね」
ヴィラールは薄くだが、柔らかく自然に笑った。だが、すぐ幻のように消して素早く本題へ切り込んできた。
「ところで……どうして、こんなところ居るんだい?」
「君たちが、ここで何をするのか。それを知るために来た」
「ここで何を、か」
ヴィラールが少し視線を下げ、足元の荒地に転がる少し大きめだが何の変哲もない石を見る。
「うん……。天の大神と人に仇なす敵を排するため、だ。この鋼鉄の獣でね。死虫人はなんとかできた。だけど、今は少し複雑かな」
言葉尻の歯切れは悪かった。ヴィラール自身もそのことを気にしたのか少し表情が暗くなる。ただ、それは一瞬のことですぐに迷いのない神聖法廷を代表する騎士の顔へと戻る。
「アマテラスの領主ルイよ。君には正直に言うとしよう。実を言うと、今や神聖法廷は敗北しつつあると思っているんだ」
ヴィラールの背後の男女はまったく動じない。だが、二人の指先と額の筋肉が僅かに強張り、歯の嚙み合わせの力が強まったことをタマが網膜表示装置を通じてルイへ伝える。そのことを知ってか知らずか、ヴィラールは淡々とした口調で言葉を紡いでいく。
「といっても、私たちの屋台骨が危ぶまれるような敗北は、ここ数百年起きていない。先の櫛稲田攻略では多くの兵を失ったが、危機と言うには程遠い。実際、他の方面軍や中央常備軍には余裕があったからシュラマナの要塞守護はすぐに回復した。それだけでなく、あと数度は櫛稲田を攻める余力すらある。だが、再び攻めるという判断を我々はできなかった」
ルイは微動だにせず、しかし内心では「そうだろうな」と頷く。
櫛稲田の占領も見据えた神聖法廷の大軍と前線基地ローディスで相対した時、ルイは衛星軌道からの牽制的軌道爆撃という、色々な意味で掟破りな手段を使った。
結果、前線基地ローディスは陥落して櫛稲田の危機は回避された。だが、それでも神聖法廷が諦めなければ、櫛稲田は間違いなく陥落していた。あの時、後になって分かったことだが神聖法廷の前線は崩壊したものの背後の要塞都市シュラマナには大量の予備群が控えており、一方で寡兵の櫛稲田軍と遠征してきた連合帝国軍は全力を使い果たしていた。
もしも、牽制的軌道爆撃が数年に一度しか放てない奥の手であることが露呈していたならば、必ずや神聖法廷の反転攻勢によって合同軍は壊滅していたであろう。
牽制的軌道爆撃の真骨頂は抑止力にある。ルイとタマもそう考えたし、実際に効果があったことは今まで櫛稲田が攻められていないことから明らかだ。
「あの時、空から降り注いだ黄金の、天の大神の怒りにも似た雷を恐れたんだ。だけど、それこそが致命的な誤りだった。前線基地ローディスが奪われたことは大きな問題じゃない。ただ、とにかく時間なんていくらでもあると言い訳しながら軍を立て直している間、煙の谷は街道化されて森羅と連合帝国が深く結びついた。さらには、双子の塔も街道の中間地点となって連合帝国とゴラムが繋がった。さらには技術都市アマテラスの誕生だ」
ヴィラールは両方の手を開き、お手上げだとばかりの仕草をする。
「ふたつの街道によって、色々な物資が流通するようになった。さらにその価値を、新しい技術を次々と生み出す都市アマテラスが何倍にも高めてしまった。少し前、私のところに官僚が暗い顔で報告してきたよ。今や、神聖法廷が他国に優っているのは農業生産高と人口だけ。それすらも、アマテラスの新しい農業と新生児の死亡率の極端な低さが続けば30年後には抜かれるってさ。そうしたら、神聖法廷が勝てる見込みは無くなってしまうらしい。だから戦略の敗北をひっくり返す、戦術的な大勝利が今すぐ要るってね」
ここで少し溜息をついてヴィラールは話を区切るも、すぐに再び口を開く。
「そういう訳で、まずは後顧の憂いを断つべく巨獣をなんとか動かして死虫人を討ち取ったんだ。どうだろう。アマテラス領主の君ならば私の話が分かると思うのだが」
「……なんとなく、分かる」
「ふふっ、なんとなくどころではないだろう?」
ヴィラールが自嘲気味に笑う。だが、その瞳に一切の卑屈さはなく、むしろ鋭さをより高めルイを貫く。
「ふたつの街道を通したのは君らしいじゃないか。只者どころか、大国の力関係をひっくり返す希代の戦略家というわけだ。神聖法廷は君一人に負けつつあるらしい」
「買い被りすぎだ。そういう事もあるかもしれないとは思っていたけど、街道にする目的で煙の谷を、双子の塔を通ったわけじゃない」
「ふふっ、君は実に謙虚だな」
ヴィラールはルイの言葉を受け止めるも、まるで信じていない。ルイは何も言えなかった。実際、謙遜ではなく単なる事実を言ったに過ぎないが、張本人たるルイすら無理ないと思う。
「まあ、そうだとしよう。ただ意図よりも結果だ。ここまま時が流れれば、いつか神聖法廷の国力は劣勢になる。そうなったら我らが神都や、故郷の村は跡形も無く焼かれてしまうことだろう」
「なんでそうなる? 国力に負けているこっちがそうなってない。それに、僕たちはそんな虐殺めいたことをするつもりはない」
「さて、どうかな」
「ならない! 神聖法廷が亜人やカストディアンをそう扱ってきたから、そう思うだけだ! 僕はシュラマナに忍び込んだことがある。その宿屋では主人が、亜人狩りをして奴隷が増えることを楽しみにしていた!」
「そういう人も居るかもしれないが……」
「一部なんかじゃない! 分かっているはずだ! 要塞都市シュラマナの、教会からほど近い裏通りにある定食が一種類しかない宿屋の食堂で、主人からローディスで耳長族を討ち取ったことを褒められただろう!」
ここへ来て、ヴィラールは初めて動揺した。
「ルイ君。何を……」
「もし、鎖を剣に付けるのがヴィラールだけなら。僕はあの時、後ろにいたんだ! アマテラスには、あんな考えの人はいない!」
ルイは努めて冷静に話を進めるつもりであったが、あの時の食堂の光景が瞼の裏に浮かんできて、つい声を荒げてしまった。
死んだ亜人は畑の肥やし。生きた亜人の女は娼館行き。実に吐き気をもよおす会話ばかりであった。
翌日はもっと酷かった。亜人狩りで捕まったとされる奴隷集団を見た。奴隷集団が反乱を引き起こしたのも見た。そして、有翼のバルタン族の少女アイシャだけが生き残り連れて帰ることになった。そのことは、これまで人の生死をちゃんと見たことが無かったルイの心の奥深くへ刺さりこむように残っている。
「そうか……奇運と言うべきか」
ヴィラールはルイの剣幕に少し圧倒されたようだった。だが、すぐに冷静さ、冷徹さを取り戻す。
「でも、アマテラスはそうせずとも帝国ならやる。それはルイ、君だって分かるだろう?」





