8-17 再会(1)
ヴィラールは巨象の後頭部にぽっかりと空いた操舵室の最前線に座りながら、背後にいる貫頭衣をすっぽり被った老人のぼさぼさ頭を胡乱な目で見る。
我らが父、天の大神に祝福された神聖法廷の地を穢す死虫人を駆逐することに何の異論もない。これは神聖法廷のまさに悲願。関わることができるなど、祝福騎士としての冥利に尽きるというものだ。
だが、鋼鉄の獣の力で世界を神の名の下に跪かせるというのには引っ掛かった。
汚らわしい機械の力を借りて行うことが、果たして聖なる使命の名に相応しいと言えるのか。既に電子手榴弾の力に頼ったことがあるとはいえ、違和感を覚えざるを得ない。古代機械文明の力は有用であるが、主軸として使ってよいものか。
ただ手段はともかく、目的は正しい。世界が神の御許に平伏したならば、長年続く醜く不毛な争いも無くなりはしないだろうが大きく減るはずだ。神の愛、人の使命、そして神聖法廷の本当の暮らしを知ることで、連合帝国の人や、森羅やゴラムの亜人たちもいつかは良き隣人になるはずだ。
同じことを、類い稀なる戦術家にして弓の達人ヘンリー、そして天才魔術師の名を欲しいままにする聖女ソフィアも思っているのであろう。二人は内に燃え上る疑念を隠そうともしない一方で文句を言う事もない。
「さあ、ヴィラール殿。偉大な祝福騎士の系譜において、貴方が最も偉大な存在になる瞬間はもうすぐです!」
「分かっている」
興奮する老人へ、まずは実直に答える。
とは言っても、特にすることはない。六人も入れば窮屈なこの小さな部屋の最前列にある、少し大きく縁が怪しく光る椅子に座って巨象がどう動けばよいか願うだけで良いのだから。
木を薙ぎ倒せと命じれば、巨象は長い鼻でそうする。走れと思えば、巨象は風より速く力強く走る。
どこへ向かうのかも正確に分かる。どう言葉で表現したら良いのか、ともかく脳内に明確かつ明瞭に周囲を上空から俯瞰する地図が浮かび上がり、今どこに居て、どういう経路をたどって目的地へ辿り着こうとしているかが浮かぶのだ。
目的地に何があるかは分からない。ただ、これは根拠なく確信するのであるが、この巨大な鉄の獣に似た存在が有ることは間違いない。何しろ興奮する老人サイモアの言う通りに獣の集まる地を想い訊ねたところ、行くならば此処だと即座に提示されたからだ。
だから、懸念は獣がいつまで動けるのか、だけしかない。
脳内に浮かぶ光景の端には細い線が浮かんでいて、それが獣を動かす動力であるということ、そして今はほとんど残っていないことが感覚として分かる。さらには、まとわりつく死虫人を「光」で消し去ることにより動力が大きく減ることも直感的に分かる。
今のところ目的地へ辿り着ける見込みだが、光をどれだけ使うか次第であることも分かる。
ヴィラールは思う。
死虫人の殲滅と目的地への到達。そのどちらが重要なのかが分からない事に自分の逡巡の原因がある。戦略目的は必ず明確で、優先順位付けされていなければならない。目的が曖昧な作戦は、必ず失敗する。
軍という大規模組織を指揮する場合には特に重要だ。今回は少人数での行動だから、ある程度の臨機応変――要するに行き当たりばったり――を許容できるが、それでも限度はある。
それからヴィラールは、興奮して空に拳を突き上げる老人を再びチラリと見て、また思う。彼にこのような事を言っても無駄であろう。サイモア博士は秘密の塔に籠もる学術の徒であって騎士とは程遠い存在だ。ならば……。
「おっ、おおっ! はっ、ははっ、溶けていく。素晴らしきかな、この力。まさに終末の炎よ!」
これまでの巨象を包み込むようなものとは違い、光が地を這うように広がって木々、そしてその間に隠れて様子を伺っていた死虫人の大群を瞬時に焼き、煙へと変化させていく。
周囲を見渡せば、森林の中にありながら巨象の周囲だけが広い円形の荒れ地と化している。サイモア博士は大喜びだ。
ヴィラールは背後を見る。今度はサイモアではなくヘンリーとソフィアだ。二人もまたヴィラールを見ていた。その表情には驚きと、そして納得がある。
――死虫人の殲滅を優先するのだな。
――そうだ。
言葉無く表情だけで祝福騎士ヴィラールと二人は意思を交換する。彼らもまた特別なる騎士であった。
巨象はただ等速でゆっくりと、しかし圧倒的な速度で歩む。時折、周囲へ破滅の光を巻き散らしながら。そうした末に一行は森を抜けた。現れたドス黒い荒野を歩み、そして辿り着いた。
そこは黒く昏く、そして固い海であった。見渡す限りの地表は波打つ暗黒で、その中に動かぬ巨大な獣たちが溺れて死んでいた。
獣たちの姿は様々だ。虎、竜、蛇、鹿、ネズミ、鷹。ただのひとつとして同じものはなく、それぞれの生態系において支配的な地位を占めていたであろう生物ばかりでありであった。
――ベークライトの海。不明な新世紀歴にて、ベヒモスたちが処分された場。
脳内に言葉が浮かぶ。ベークライトとは初めて聞く言葉であるが、この黒く波打ったまま固まった元々は液体らしき物質だろう。また、ベヒモスとは今自分が乗る巨象を含む鋼鉄の巨獣の呼び名であろう。
ベヒモスが処分された時期は不明のようだ。きっと、気が遠くなるほど古い過去のことなのだろう。神はどうご覧になられたのであろうか。
「全ての巨獣よ。目覚め給え」
祝福騎士ヴィラールが、神の使徒へ乞い願うかのように告げる。本来は声に出す必要など無い。想うだけで巨象は命令を実行するが、ここに居るすべての人には自分の意図を音声で告げる必要があった。
「全てのベヒモスよ。目覚め給え」
再びヴィラールが、しかし今度は抑揚無く告げる。それから慎重に周囲を観察するが、もはや死虫人の群れは見当たらない。全滅、根絶にはほど遠いだろうが、かなりの数を殲滅できているのかもしれない。
ならば、今は第二の戦略目標、獣たちの起動にすべての時間を使える。今は焦らず取り組むべき。
「どうした! ベヒモスたちよ。もう立ち上がる力が無いのか」
いつの間にか曇った空の下、ヴィラールが風の中へ三度、問いかける。眼下に広がるベークライトというものは、随分と固い物質であるらしい。そのため、普通の大地で感じるような土埃が無いから周囲の雰囲気は暗くとも大気は清涼だ。
それからヴィラールは、巨象の後頭部の小さな箱部屋の中でただ動かず待った。ヘンリーとソフィア、そしてサイモア博士は何も言わなかった。ただ、不毛の地らしい風が速く荒々しく正面から何度も吹き付け、背後へと流れゆくばかりであった。
「……わかった。ならば、力を拝借する」
随分と待ってからヴィラールがそう告げた瞬間、目の前の黒い海の獣たちが鈍く、微かに光った。同時に自分の脳内に表示される巨象の残存動力を示す線が急速に伸びて、しかしすぐ止まった。
「サイモア殿。あれらは動けず、動く気もない。命の燃え滓のようです。ただし、僅かに残った力を我らに託してくれました」
「そうか。ならば、まずアレからか」
サイモア博士が、事務作業でも指示するかのように巨象の尻の先を指さす。
そこには巨象によって作り出された巨大な轍があって、そこを数えきれないほどの死虫人が走ってこちらへと向かっていた。今までとは違って、ほとんどの個体の体格が細く小さい。
「雌、子ども、司祭……ってところかねぇ」
諦め、達観、絶望。そのどれとも受け止められる口調でヘンリーが言う。だが、その眼には冷徹な意思が続けて宿っている。
そう、敵対する種族を滅ぼすということはこういうことだ。旅立つ時から分かっていたことだ。
ヴィラールは短く祈った。すると、すみやかに象の尻にある細く小さい尾の先から、白く輝く、しかし縁の黒い炎が現われた。
直感的に神への冒涜にも思える、その白くて黒い火球は、何も指示せずとも勝手に死虫人の群れへと飛び去り、直撃すると無音の爆発を引き起こした。
そして群れ全体が消え去った。
「博士」
ヴィラールは言う。
「この獣に確認した。死虫人はもうどこにも残っていないと。そして、ここに眠る機械の獣たちはやはり動かないと。ならば、これで我々の目的はすべて達成したことになる」
「承知しました、祝福騎士殿。出発前に決めた我々の作戦はすべて完了したようです」
博士は満足気に頷く。だがヴィラールは笑みや安堵を浮かべない。
なんとなく続く言葉が分かる。勝っている中、調子の良い時に引くというのは難しい事だ。どんな歴戦の騎士ですら逡巡する。
戦いの専門家ではないサイモア博士は、悩むことすらできないだろう。
「ならば邪悪なる地の神の、機械文明時代の都を焼くというのはどうだろう。如何かな? これぞ究極の使命と言えよう。なにしろ、天の大神は、この地へお戻りになるまでに悪が一掃されることを望んでおられるのだから」
博士は笑みを浮かべる。ヴィラールは分かっている。これはほとんど命令に近いと。断れば神聖な使命に対する意欲が低いと、祝福騎士として相応しくないと評せられるに決まっている。
「分かった。……なっ!」
「どうかしたかな?」
「……」
「祝福騎士殿?」
「あ、いや、なんでもない」
「無理をされていらっしゃるのか?」
「い、いや。巨象が新しい地図を頭に送り込んできて驚いてしまっただけだ。向かおう、古代の首都とやらへ」
そうですか、と満足気に頷く博士を見てヴィラールは前へと視線を向けた。
空中には半透明の地図と進路が浮かんでいて、深い森の中に都市があると示されている。サイモアだけなくヘンリーとソフィアも、浮かぶ地図に気が付いていないようだ。おそらく自分しか見えないのだろう。
ヴィラールが驚いた理由は別だった。数人の、都市の中枢に生きた人間の存在が示されているのだ。それだけで、誰がいるのかなど分からない。
だが、心で確信できるのだ。運命的な誰かが向かう先にいる。
こんな死虫人に囲まれた禁断の地に、巨象も使わず先に辿り着いている。一体誰なのか。ヴィラールは強い胸騒ぎを覚えた。だから、そのことを誰にも言わなかった。





