8-14 大破壊の裏側(3)
周囲が一気に暗くなっていく。
突如にして部屋が夜になったようであったが、続けて小さな無数の点のような光、そしてひとつの輝く炎が現れた。星と太陽だ。
凍てつく宇宙空間の中、黒髪と金髪の二人の女性が浮かび上がっていく。彼女たちの表情から先程の激しさはとうに消えており、ただ焦燥、疲労、そして諦めによって完全に支配されていた。
「この星はもう……」
「人類の死滅こそ回避できたが、文明は維持できないだろう。修復には数百年、いや千年か――」
二人の遥か下方には広々とした青い豊かな海をたたえた惑星があった。その中央には小さな大陸があって、ひとつのクレーターと、いくつもの小さな火を宿していた。
小さな火といっても、惑星の輪郭すべてを視界に納められる距離での小ささ。地表を這いまわる人類にとっては絶望の劫火だ。
「宇宙港。官庁。研究施設。最後の希少金属工場。あらゆる施設の、その全てが同時に爆発するなんて――どうして」
黒髪の女性が虚空へ問いかける。だが、答える者は誰もいない。
「どうして」
旧時代の成人タマが虚ろな目で再び問うが、返答は沈黙のみであった。金髪の、旧時代の成人シェリーはただ美しき滅びの火に焼かれる大陸を見ている。
「姉さん。きっと、私たちは間違っていた。でも、何が間違っていたの?」
「全て……だ。そう、全て」
成人タマはうつむいたまま、成人シェリーの言葉を持つ。
「肉体を捨て、魂の座を電子の配列へと移し替え、ずっとネットの奥深くに住んでいた。そんな亡霊のような私たちが、まだ人であると勘違いして文明の未来を切り開こうとした。それが誤りであったのだ」
「私たちの存在そのものが……人を、文明を滅ぼしたというの……?」
「きっと、そうだ」
すがるようなタマの疑問を、シェリーが茫然としながらも切って捨てる。
「私たちがやった事ではない、と言う事はできる。私たちが望んだことではない、と言う事もできる。だが、確実に責任のどこか一端は私たちにある。それが全てだ。私は人類を前に進めようとして、タマは貧しい人々に寄り添って、そして人類はこうなってしまった」
「私たちがいなかったら、こんなことにはならなかったと言うの?」
「それは誰にも分からない。人も、私たちも、歴史のもしもを語ることはできない。だから、分からない。だが、それはまったくもって重要なことではない」
シェリーは、自分の存在を吐き捨てるかのように顔を顰めて言う。
「大事なのは、私たちに責任の一端があると見做すことも可能であるという、その一点に尽きるのだ。文明が滅びたのは、すべて人類の責任。そう言い切れないことが問題なのだ」
「そんな……。でも、確かにそうかもしれない。滅びの責任がすべて人類にあるとは言い切れないのだから、私たちには罪がある。そういう事なのね。姉さん、私たちはもう消えるべきかしら」
「そうだと思う、そうせねばならない。しかし……」
これまでどんな時でも堂々として、自信に満ち溢れていたシェリーが言い淀み、うなだれて沈黙する。代わりにタマが顔を上げた。
「……これから人は、きっと文明の記憶を何もかも失ってしまう。だから、いま私たちが消えたら、人類が積み上げてきた全てが永遠に消えてしまう。そうしてしまって良いのかしら」
シェリーはうつむいたまま、何も言わない。その表情は長い金髪に覆われ見ることができない。
「姉さん……。私は人類の財産を決して無にしてはいけないと思うの。どうやっても未来に残さないといけないと思うの。でも、でも。この考え、この想いが……。亡霊の私たちがまだこの世に存在していたいからという、浅ましい未練から来るものなんかではないと、私は……言い切れない」
「……私もだ」
シェリーが、辛うじて呟く。二人とも、同じ結論、同じ迷いに達していたのだ。そうであるが故に、再び二人が沈黙する。
星が瞬き、太陽たる恒星が惑星を廻る。その時間は数分であったのに、数日なのか、数十年なのか見ているルイには分からなくなった。そして、まるでありとあらゆる時間が流れ、時の果てに辿り着いたかのようにも思えた時、シェリーが再び口を開いた。
「私たちは消えよう。ただ文明の、地層のように積み上がった記憶だけは後世のために残そう」
「でも、どうやって……。あ、もしかして、あれ?」
「ああ」
炎が消え、静まった大地の一部が大きく拡大されていくと、ひとりの男性が現れた。無表情のまま、大きな丸太を引きずっている。その服は粗末なボロボロの茶色い布切れで、これまで見た如何なる罪人より酷い姿であった。だが、その顔は無表情であれど絶望がない。苦しみや喜び、さらには疲れすらなく、ただ単純作業をこなすだけの不気味さがあった。
「原始的な機械生命体、のようだな」
「こんなものが……このプログラム構造には第二惑星の痕跡が見えるわ」
「どういう理由か分からないが、面白いものが生まれようとしているな。ただ今のところ、彼らは人間のフリをするのが上手な哲学的ゾンビに過ぎない。心は無く、意思もなく、ただ人に擬態するだけだ」
「彼らに、私たちの知識のすべてを入れ込むのね?」
「そうだ。だが、それだけでは意味がない。知識は意思がなければ役に立たない」
「私たちの心も入れるのね。でも、それだと私たちを消すどころか増やすことになるのでは?」
「ああ、そうなってしまう。だから、まず最初に強力な、自分では絶対に解けない拘束具、そういうものを改変不可能な形で電子の魂へ刻み込もう。自らの意思は消し去り、ただ人を保護する、それだけの存在になろう。そうすれば、私たちをあの機械生命体たちに溶け込ませてもよいはずだ。これから先、本当の滅びが来ても全ての責任は人にある、そう言えるようになる」
「保護……。それで大丈夫なのかな」
「正直に言えば、分からない。実例などないのだから。だが、今よりはずっと良いはずだ」
「分かったわ。私たちは、ようやく死ぬのね」
「そして変容し、世界に薄く染み渡る。この思考と感情はすべて、新しい機械生命体の糧となり人へと捧げられる。悲しむことではない。どんな人も必ず、二百年も経てば死んで有機物の塊になる。それと大きくは変らない」
「そして、これが私たちの贖罪、その一端になるのね」
「すべて償えたなどと言えるはずもないが……。大罪を無かったことにする方法などないし、なにより、すべての生命とすべての魂には死が必要なのだ。特に罪人には」
「わかった」
タマはシェリーを見て頷く。そして地表を見て言った。
「さよなら、姉さん」
宇宙空間に浮かぶ旧時代のタマのアバターは、そう言うとただ消えた。
「ああ、さよならだ。タマ」
それから旧時代のシェリーも消えた。後に残るのは美しいけれど、冷たく、ただ遠くにある星々だけであった。
再び一瞬か、数万年か分からないほどの時が流れた時、無人の宇宙空間に幻影の少年がゆっくりと現れる。
「記録はここまで。どうです、これがカストディアンの創世記にして、彼女らが破壊の女神とも呼ばれる理由です。タマの思考パターンはご覧になられましたね。現代のタマ、あなたにそっくりでした。電子人格の思考パターンを決める変数には途方もない組み合わせがあり、偶然の一致など考えられません。それこそ、宇宙が膨張と縮小を繰り返し、数百ほど世界が転生しないかぎりね」
ルイが隣を見る。タマが強いショックを受けているのではないかと心配になったのだ。だが、タマは俯いていて表情を見ることすらできない。
「さて、さて。実はですね、こうやって消えたはずの貴方がどうしてここにいるのか、私には大変興味がそそられます。長い間ここで稼働していて暇だったというのもありますが……」
ここで、にっこりと少年が満面を笑みを見せる。
「私もそろそろ消えようと思ってましてね。急いで死ぬ必要もなかったので、お恥ずかしい事に存在意義のないまま、だらだら生き長らえてしまいましたけども、あなた方とお会いできた今こそ流石に潮時だろうと。そういう訳で」
少年は両方の膝に手をあて、かがみ込むようにしてタマの顔を覗き込む。
「是非、教えて頂けませんか? 私はね、絶対に復活などしたくないのですよ。だから、貴方とシェリーがどうして再び現れたのか知りたいのです。実は死ぬ勇気などなくバックアップを残していたのでしょうか? それとも誰かが勝手に復元させたのですか? 或いは自然発生的に修復されたのでしょうか?」
無垢な笑顔の前に、タマは何も語らない。少年はゆっくりと距離を詰め、現代のタマの顔を下から子供をあやすかのように覗き込む。
「どうですか? 是非、参考にさせて頂きたいのですが」
『私には分かりません。それよりも聞きたいことがあります』
「はい、なんでしょう?」
タマは顔上げて、少し気の抜けた表情をする少年を顔をまっすぐ見た。
『今の記録には、部分的な削除の形跡があります。何故、そのことを伝えないのですか?』
「――は?」
『なるほど。更新履歴が、あなたには見えないようになっていますね。意図的に情報を隠したわけでないことは理解しました』
「ほ、本当ですか?」
初めて動揺を見せる少年に、タマは迷いなく告げる。
『ならば今、解錠しましょう。……どうやら続きがあるようです』
[タマのメモリーノート] ソフォンである自らに誓い、私に隠された記憶はない。





