8-12 人類保護局の首都(2)
円柱の、アズマ府の領主館のような形をした建物に入り、広く豪奢だが無人の受付を通り過ぎた一行を出迎えたのは巨大で重々しい隔壁であった。
これまで目の前に立ちふさがった全ての隔壁は、ルイたちになんらかの資格を示すことを強要した。今回も同じであったが、審査は既に終わっていたようだ。
「開けゴマ!」
少年が、人類伝統の開錠の呪文――ルイしか知らないが――を唱えると隔壁が重々しい音を立ててゆっくりと開いていく。
「こんな時、あなた方の言葉ではこう言うんでしょう? 面白いですね」
少し丁寧な言葉遣いになった少年がそういって片目――生身に見える方――を閉じる。
妙に派手な燕尾服はいつの間にか消えていて、代わりにロングコートのような形状の、研究者っぽい白衣へと変わっている。ツアーガイドから施設の案内係へ役割を変化させたことを表しているのか。
「鏡、人の王よ。施設のどこを視察されますか?」
ルイは間髪を入れずに答えた。
「エーテルリングに接続できる場所はあるか?」
「ございます。すぐ近くになります、こちらへどうぞ」
迷いなく案内係の少年は施設の奥へ歩んでいく。回廊を歩き、エレベーターが左右に3つあるホールを抜けた正面には、取っ手のない大きな扉があり、少年が手を翳すと自動で開いた。
そして見えてきた光景は、既視感のあるものだった。
扉の奥はかなり大きな会議室、あるいは小さな集会場のようであり、中央にはガラスで仕切られた広い空間があった。
ガラス張りの部屋の中にはいくつか複数の椅子と机が並んでいて、何もない外側に比べると特別な場所であることが伺える。
立体映像の少年はガラス部屋の一角にあった唯一の扉を開け、続いて数人しか入れない小部屋を通ってさらに奥の扉を開けて中へと入った。二重扉という厳重さが伺える構造である。
それはいつぞや見た、酸性雨と雷によって閉ざされた大陸中央にあるカストディアンの隠れ里ネストロフで見た部屋と同じであった。あの時もガラス張りの部屋に入るには扉をふたつ開けなければならなかった。
部屋の中央に介護用ベッドにも見える、エーテルリング接続用の椅子があるのも同じだ。
「あれに坐らず、エーテルリングと接続できるか?」
「ええ、勿論ですよ。音声と立体映像のみでの利用となりますが宜しいですか?」
「ああ」
ルイはそう言って、周囲にある椅子にも座らず、ただ立って待った。あの時は安易にベッド椅子に座ったことで牢獄へ転送され、戦闘型カストディアンのメタトロンに会って死にそうになった。そんなことを繰り返すわけにはいかない。
「エーテルリングを再起動しています……。エーテルリングを再起動しています……。再起動が完了。現在、外部への通信が行えません。そのため、ご提供できる機能が制限されます。続けて利用者の認証を行います。権限《鏡》を検知しました」
目の前で少年がそう言うと、長い白衣が黒く染まっていき豪奢な外套に変化していった。内側の白シャツも、刺繍と紐による編み込みで彩られ格調高くなっていく。
鉄が剥きだしになった手足も、今やキメの細かい革手袋とロングブーツに覆われていて、礼節を感じさせる。
「ようこそ、エーテルリングへ。どのような御用でしょうか」
「ええと」
片膝を地面につけ、今まで以上に深く体を折りたたむように頭を下げた少年の前で、ルイは言い淀む。この滅びた都市を見た時から、とりあえず生きているエーテルリングに接続することを目的としてきて、実際に成功した。
しかし、マキナが見つめる中、ルイは最初の質問をすぐに見つけられなかった。あまりに聞きたいことが多すぎて混乱したのだ。
「では……用事をお考えになられている間に、エーテルリングからご提案があります」
「えっ!?」
ルイは驚いた。カストディアンと違って、これまでエーテルリングは一貫してあくまで道具であるとの態度を貫いていて、主体的に何かを提示することはなかったからだ。
「是非、言ってちょうだい」
ルイより先に隣のマキナが答える。彼女の瞳は、何日も共に旅をした者だけが分かる微妙さで、しかし確実に普段より大きく開いている。
「よろしいですか?」
「あっ、ああ。頼む」
エーテルリングはマキナを無視せずとも、ルイに確認を求めた。
「それでは……。この都市はもう滅びており、仲間はみなどこかへ旅立ちました。このまま永遠の時の中で朽ちていくと想定しておりましたが、まさか再び来訪者が現れようとは。しかも、人とカストディアンが共に。外の世界がいったいどうなっているのか、もはや興味はないものの感慨深いものです。……失礼、少々感傷じみたことを申し上げてしまいました。さて、私からの提案というのは、鏡の鍵を所持している貴方の隣で眠っている存在のことです」
瞬時にルイが体を硬直させる。隣にはマキナ、背後にはチーチーとトリシュナがいる。そして、誰も眠ってなどいない。
「タ、タマのことが分かるのか?」
「――ほう、やはりタマなのですね? 現在、凍結処理が施されていますが、解除することを望みますか?」
「も、もちろんだ!」
ルイは半ば叫ぶように言った。半島の先の兵器工場において、そこにいた第二惑星の勢力の生き残りとの決戦の最中、タマが何かされたのは分かっている。ログの最終更新日付がまさにそのタイミングであったからだ。
ただ、その事は分かってもルイは何もすることが出来なかった。自己診断プログラムの実行、セーフティモードでの起動など、ありとあらゆる方法を試したが何の効果も無かった。
以来、タマはひたすら眠り続けている。完全に封印されてしまっていた。それが戻ると言うならば是非もない。
「確認します、タマの凍結解除を望むのですね?」
「そうだ! 今すぐ戻してくれ! 大切な友人なんだ!」
そう、タマは友人である。
初め、タマはルイがなんとなく購入した汎用的なソフォンに過ぎなかった。だが、この高天原に触れたことでどういうわけか人格を持ち、今やリンと共にもっとも古い友人の一人となった。
共に幾たびもの危機を乗り越えた、何者にも代えがたい唯一無二の存在である。
「なるほど、友人ですか。では、そのようにしましょう」
目の前の少年はそう言って跪いたままの状態から立ち上がると、しっかりとルイを見た。
ルイもまた少年を正面から見る。ただし、ルイの意識は完全に視界の端に映る文字へと注がれていた。
――特定第二種ソフォン「タマ」を再起動中……進捗1パーセント。
酷くじれったい速度で数値が上がっていく。2パーセント、3パーセント。通常、再起動は瞬時に終わるからありえない遅さであった。
目の前のエーテルリングがなにか仕込みをしているのではないか。ルイがそう思ったところで、立体映像の少年が口を開く。
「ご心配なく。何もしていませんよ。先程は、ただ凍結処理とだけ申し上げましたが、極めて複雑な暗号処理が施されているのです。解除には少しばかり時間が必要です。それで……これは興味本位ですから答えていただくことは必須でないと申し上げたうえで、お伺いさせてください」
そう言ってから少年は微笑んだ。静かに、少し寂しそうに。
「真祖かつ生身の人である貴方が、この人格プログラムを友人と仰る。その理由をお聞かせいただけませんか? 貴方は、タマが大破壊を引き起こした破滅の女神と呼ばれていることをご存じですか?」





