8-10 霧中都市バルモア(3)
「ア、アマテラスのルイ領主だと?」
これまで常に沈着冷静だったキーレイが大きく瞳を開くが、すぐに表情を元に戻しゆっくりと椅子へ座った。
「ふっ」
キーレイは余裕ある表情を浮かべる。もう自分を取り戻したかのように見えるも、両手の指は椅子の肘掛けに食い込んでいる。
「いきなり何を言うかと思えば……。アマテラスの領主がカストディアンなどと聞いたことがない。君は――」
「僕は自分がカストディアンだと一度も言ってません」
「……。なら、君は神聖法廷の手の者かもしれない。そう疑わなければならないということだな?」
キーレイの緑の瞳が剣呑さを増す。
両脇を固める金属鎧を着た大柄な女たちも素早く剣を抜き構えた。こんな状況なのにふたりとも切っ先がまったく震えていない。優秀な戦士であるようだ。
だが、ルイが気圧されることはない。単にこの場の切り抜けるぐらいならば十分なエネルギー残量がある。
「名乗ったはずです。僕はアマテラスのルイです」
「――証拠は?」
「ある、というよりもう見せているわ。私のルイは、ふふっ、神聖法廷の男なんかよりずっと素敵よ。ねえ、トリシュナさん? 見ていたでしょう?」
突然マキナに話をふられたトリシュナが震える脚で一歩後退する。腰に吊り下げたクロスボウを構えることなく、ただ両手を交差して胸に当て怯えた表情をしている。
「みなさんに伝えて頂けないかしら? 死虫人との戦いでルイがどんな武器を使ったのか。今もルイが持っているわよ?」
「あ……あの……その」
「トリシュナ、ありのままを言え!」
キーレイが一喝する。口の減らない部下とうまく付き合う上司の姿はもう完全に消えている。有事において自ら場を支配せんとする指導者の顔であった。
「大丈夫だよ」
これ以上なく緊迫しきった状況のなかで誰よりも優しい言葉をかけたのはチーチーであった。
「お前は目が良い。全部をちゃんと見ていたのはたぶんトリシュナだけだ。キーレイが言ったとおり、ただ見たままを言えばいい」
「チーチー……」
今にも泣きだしそうな瞳でチーチーを見ていたトリシュナは、大きな目をぎゅっと閉じ、それから意を決したようにキーレイを見る。
「……最初、光る矢を打ち出す杖を使っていました。今も手に持っているそれです。私たちを捕らえていた虫をほとんど撃ち殺して……それから、その」
すぐ言葉に詰まらせるが、チーチーが背中に手をまわして微笑む。
「その後に白く光る剣で、あと紅く燃える剣も使って追ってきた群れを攻撃して。その後は……なぜか虫が急に燃えて――あれはいったい」
「聞いた通りよ。紅と白の二振りの剣。光る矢を放つ不思議な形の杖。そして黒髪の長身族。どういうことか分かるかしら?」
マキナがトリシュナを言葉を引き継ぐ。視線の先はキーレイだ。
「トリシュナ、この男は体を光らせたのか?」
「は、はい。激しく動く時には、特に……」
トリシュナの言葉にキーレイは沈黙する。眉間には皺が寄っている。
「そういうこと。彼は神聖法廷の認定悪魔《偽印の使徒》なの。天空からの雷撃で神聖法廷の騎士たちを撃ち滅ぼし、前線基地ローディスを廃墟に変えた。その人よ」
廃墟としたのは真っ先に突入して徹底的に物資を略奪したヤグラと、後に火を放てを命じた連合帝国なのであるが、ルイは黙ってキーレイを見つめる。
「偽の祝福騎士の姿をしていると聞いたが」
「灰色の外套を着ていたことがあるだけの話よ。そんなものを着て、領地を歩き回れるワケないでしょう?」
「……認定悪魔だとは分かったが、それがアマテラスの領主と同一人物であるとの証拠はあるのか?」
「疑り深いわねえ。当の神聖法廷がルイを認定悪魔として懸賞首にしているのに」
「君たちが……規格外だとは理解している。だが、私たちに確証を持たせてほしい」
「やれやれね。ルイからも何か言えることがあるかしら?」
「そうだな」
ルイは咄嗟に顎へ手をあてて余裕をもって考える――というフリをした。認定悪魔だと伝わったのなら少なくとも敵にはならないが、協力を得るにはアマテラス領主であることを証明すべきと考えた。といっても身分証明書などない。
だからルイは勢いで押し通すことにした。
「この都市の物流は変だ」
一言だけ乱暴にルイが告げると、誰もが次に紡ぐ言葉を待つしかなくなった。ルイはこの隙に深呼吸すると、ここで決めるとばかりにまくしたてた。
「都市の、その発展の度合いは――物の動きでほとんど決まる。ここは大きな街道が通っていない。周りは死虫人に囲まれていて商隊は来ない。そもそも、この場所自体が秘密になっている。まともに物資を運び込めない孤立した都市だ。なのに妙に発展している。たくさんある風力発電機、電気を使う器具の数々、修理や運用に使う資材の数々。立派な家屋、店に並んでいる商品、これだけの人口。無理だ。特別な仕掛けでもない限り維持できるはずがない。僕にはそれが分かる。ゼロから都市を発展させてきたんだ」
「もしかしたら元々遺物が沢山あったのかもしれないし、物資についてもチーチーたちが凄く頑張っているのかもしれないわよ?」
「有り得ない」
ルイは即座にマキナの反論を切って捨てる。もっともマキナは終始笑顔だ。あえて論破される発言をすることで、ルイの主張を強く引き出す役割を買って出たのだ。
「街並みを見たけど、遺跡をそのまま使っている訳じゃない。新しい鉄器や木材で補強されている。鉄は精錬が甘い最近のものだ。木材は遺跡から得られないものだし、キメが細かいから迷いの森の常緑樹ですらない。遠い、別の場所から運んできたものだ。仮に近くから運べたとしても」
ここでルイは水筒の水を飲み干すが、厳しい視線をキーレイに向け続ける。話を遮らせるつもりはない。
「加工や組み立てが楽になったりはしない。多くの機材や人員が要る。しかも、規格化されている。ここだけで作ったなら丸太小屋とか、藁ぶきとか、そういうものになるはずだ」
「だからといって――」
「それに」
キーレイが何かを言おうとする。だがルイはそのまま押し切った。
「ここには綿がある。店で売っていた。いろんな人が着ていた。どれもアマテラスから輸入したものだろう? 綿はアマテラスの主力産業なんだ、僕の目は誤魔化せない。さらに言えば、そのキーレイさんの良く似合ったドレス」
見え透いたお世辞を言いながら、しかし全く笑みを見せずにルイがキーレイを指さす。
「大きく肩を出し、鎖骨まわりを綺麗に見せている。だけど胸は出しすぎず品を保っている。腰は大きく絞ったうえで、実際の位置より高いところにリボンを結んでいるから足が細く長く見える。特徴的なシルエットだ」
キーレイは黙ったままだ。だが、先ほど瞳に秘めていた厳しさが随分弱まっている。
「それはアマテラスの、二期目の服飾競技大会で登場した流行の型。女性らしさ、同時に健康さ、活発さ、そして自由を表現したもの。もしかしたら、南の大通りで手に入れたものかもしれない。一階が理髪店で、二階が服飾店の、リンが通っている店。ここまで知っていることが僕の証明だし、特別な物流がここに通っていると予想する理由です。ここまで細かく語れる人間がアマテラス中枢の者以外にいるでしょうか?」
一気にルイが言い終えた後、気まずさが場を支配した。ルイとマキナを除いて誰もが瞳を伏せていた。沈黙が続く。だが、しばらくして空気を読まない者が小さい声で呟いた。
「まあ、キーレイはオシャレさんだもんね……」
チーチーだった。場違いな発言のようでいて、論争が決着したことを明瞭に告げるこれ以上にない言葉であった。
それを聞いたルイは少し表情を和らげる。もはや彼女たちを責め立てる理由は無い。
「とても特別な物流。ひょっとして、転送の仕組みがあるのではないですか? なら、そんなものを扱うのは冒険者ギルド、もっと言うとヘスティアーぐらいでしょう。僕は彼女と会って、この世界の歴史ことについて分かったことを伝えると約束しています。どうか彼女に伝えてください。今、まさにこれから、新しい知識が手に入るかもしれない。協力する価値はあると」
[ルイの思考ログ] アマテラスで最も急激に発展した産業は、食糧生産を除けば服飾だ。
服は伝統的であるべきで、その上で寒くなければよい。そんな固定観念は領主主催の競技大会で急速に打破されていった。発案はタマとサクヤで、アマテラスの文化力を高める目的で行われた。
こうした流れの中で、女性の独立や自由を高らかに宣言する服が登場するのは必然であった。





