8-9 かくれんぼ(2)
眼の前を死虫人が駆けて行く。
石畳を抜け、階段を三段飛ばしで降り、昔は美しかったであろうが今は雑草が生い茂るばかりの並木道を、虫というより獣の軽やかさで駆け抜けていく。
前を行く死虫人は全部で八体。
うち三体は肩に男を一人ずつ担いでいる。どの男も金属鎧を身に着けていて大柄だから相当な重量のはずだが、虫は体力が相当にあるようでまったく意に介さず先へ先へと進んでいく。
後を追うことで、どうしても死虫人を改めて観察することになる。
白い蟻を立たせて人型の二足歩行にしたような姿。体は外殻で覆われており、胸や腰の部分は太いのに腹部にある節のような部分だけは細身の女の腰のように細い。
なにより異様なのが頭部で、縦長の長方形のようであり、左右に紅く怪しく光る眼がついている。
ここでルイは背後を見てうんざりした。大量の死虫人がしつこく追いかけてきている。あまりに多すぎるし、どんどん増えるので数えるのはすぐに諦めて前を向いた。
その時、ふとルイの頭によぎるものがあった。双子の塔を守っていたカストディアンだ。
カストディアンの形は一概には言えないが、双子の塔のカストディアンは金属らしき外骨格を持った人型で、縦長の長方形のような頭部をしており死虫人と似通っていた。
どうしても、創造主が共通しているように思えてならなかった。
ともあれ、そんなことを考えているうちに大きく開けた場所へ出た。
場所は郊外、足元にはすべて同じ形の長方形の石が綺麗に隙間なく敷き詰められている。外側には円形の腰高の壁があって、その上はいくつもの低い段差が形成されていた。スタジアムの観客席を思わせる。
おそらくここは大規模な野外集会場であり、在りし日には演劇や政治集会などが催されていたのだろう。
だが、今は死虫人たちのパーティ会場になってしまっているようだった。
大きな広場の中央には百人ぐらいは乗れそうな巨大な円形の金属板が複雑な紋章と共に地面に嵌め込まれていて、その周囲には咄嗟に数えて十本の木の杭が立っていた。さらに、うち半数には人が体を縄でぐるぐる巻きにして縛り付けられている。
服の上から厳しく食い込んだ縄目の間から浮かびあがる肉体を見れば、全員が成人の女であることは明白であった。
(まだ助けられる!)
網膜表示装置の中、自動的に表示された生体反応を見るまでもなく、すぐにルイは食糧たちが生存していると確信した。そして同時に、嫌悪感で顔を歪めた。
女たちの周りには百体ほどの死虫人が取り囲んでいて、どれもが平伏していた。膝を床に付け、天を仰ぐと両手と額を地に着けて平伏する。そしてまた両手を天に掲げ、また両手と額を地に着けて平伏する。
それは、まだ人類が宗教というものを持っていた地球時代にあった最上位の礼拝のひとつ、叩頭であった。ルイはその名や風習を知らなかったが、虫たちが何をしているのかは直感的に理解した。
祈っているのだ。獲物へ向けてか、はたまた天の大神のような存在か。いずれにせよ虫たちは感謝、敬意あるいは畏怖を捧げている。
「Lia animo estu eterna。 Lia animo estu eterna。 Lia animo――」
低く囁くような、抑揚の薄い合唱が繰り返し響いてくる。ルイはすぐに古代の高天原語だと分かったが、タマがいないから何を言っているかまでは分からない。
ただ、少しだけ習得を試みていたこともあって《eterna》だけには聞き覚えがあった。
意味は永遠だ。
神聖さすら帯びる虫たちの声だが、ルイはその中に剥きだしの人への悪意を覚えた。
単純に栄養とカロリーを得たいだけなら、森の動物やより小さな昆虫でも、あるいは植物や木の実を食べればよい。森に長く住むのなら、そのように進化しなければおかしい。
だが、奴らはそのような習性を持たない。どういう訳か人を食べることに対して強力に、それこそ言語を忘れても祈りの言葉だけは遺伝子に刻み込むほど固執しているのだ。理解しがたい生物であった。
「うおおお――!」
ルイは自分で気が付かないままに雄たけびを上げた。それは虫たちの聖なる儀式を邪魔する慮外者の登場を告げる鐘となり、すべての虫たちが一斉に振り返ると同時に立ち上がった。
背後には多少は引き離したとはいえ執拗に追いかける数百、数千の虫たちが迫る。ここへきて、ついに挟撃される形となってしまう。
「形態変化! 突撃形態!」
だが、理性を大きく超える何かに突き動かされたルイは、機動戦闘服の出力を高機動戦闘水準へと高めて構わず前へ突撃。そのまま三点バーストを放ちながら水平に複合エネルギー型対物ライフルの銃口を流していった。
三点バースト射撃は、一度に3つの弾丸を放つという贅沢と引き換えに連射力を高め、もって攻撃における命中率を高めるもの。
だが、ルイは撃ちながら銃口を大きく動かした。
一射目、右方向へ振りながら放ったエネルギー弾は、3つすべてが異なる虫の胴に直撃した。
続けての二射目、3つのうち2つがそれぞれ異なる虫に的中した。
そうして、さらに右方向へと撃ち。四射目は左に振って三点バーストを続けた。そしてしばらく撃つと、また右へと振りながら、前へと走りながら撃った。
「伏せろ! 頭を上げるな!」
抱えて運ばれていた兵士たちへ警告しながら、初撃から5秒後、ルイは10回の射撃を行った。30のエネルギー弾を射出した。それで26体の死虫人を打ち抜いた。
捕らえられた人たちへの誤射はなかった。僅かな時間でそのことを確認したルイはさらに前へと出た。
獲物との距離が近づいていく。銃を知らない死虫人も前へと出てくるが、それはルイからしてみれば的が大きくなるだけのこと。ルイは再び三点バーストを放った、先程もよりも射撃間隔を縮め2秒あたり3回9発を放った。
視界の端に浮かぶ撃破数が跳ね上がっていく。
ルイは頭に血が上って自分を見失っている感覚と、思考が澄み渡って視界が明瞭かつ大きく広がっていく感覚と、不思議となんでもできるという感覚と、その3つが矛盾なく頭の中で組み合わさっていくのを感じた。妙ではあるが嫌ではなかった。
次にルイが銃口を下ろした時、二本足で立つ人に模した虫は目の前のただ一体だけであった。
「ギイッ! ギイッー!」
「祈れるのに言葉は知らないのか!」
ルイは吐き捨てるように言うと最後の一体へと姿勢を屈めて踏み込んでいく。
この個体は他の死虫人より1.5倍は大きい。さらに白っぽい外殻の全体が複雑な黄色の文様で彩られていた。どうみても入れ墨にしか見えない。奇妙であった。
それでも躊躇なく両腕を上げて喰らいついてくる最後の虫を白加賀で縦に両断すると、返す刃で最も近くの縛られた女の縄を解いた。
それから右腕のライフルを単発で他の女に向けて三射、同時に左手の白加賀を振り抜く。放たれた光弾と白雪の如き輝きの小さな光刃は、すべてそれぞれ異なる女たちの肩を掠めて縄だけを切り裂いた。
これで五人。捉えられた女のすべてを解放したことを確認するとルイは真後ろに振り向く。
目に見えるのは野外広場あるいは劇場の端を埋め尽くす虫の群れ。襲い掛かられれば助かる見込みはない。
ルイは冷静にゆっくりとした動作で右膝を床へと着ける。それから肩の紐を解いてマキナを背後に降ろすと左膝を立て、左肘を腿に食い込ませてライフルの台座を右肩に押し付けた。
すべてが静かで、ゆっくりで、無駄のない動作であった。
「移動狙撃形態」
そう呟くとルイは瞳を細める。網膜表示装置に群れの先頭が拡大されて表示される。それから視界の右上の端を見てライフルのエネルギー残量が80%ほど残っていることを確認すると引き金に指を架けた。
「貫通弾。撃つ」
タマは起動していない。
だから、民間人であるルイが交戦行為を宣誓して審査を求める必要などない。もっとも、タマが起動していたとしても審査プロセスを勝手に撤廃してしまっているのだから意味はないのだが、ルイは自分に自分で宣言するかのように声を発すると引き金を引いた。
先程より速く長いエネルギーの彗星が群れの中央を貫く。一撃でキルスコアが一気に20近く跳ね上がったのを見たルイは数ミリだけ銃口を水平方向左へと傾けるとまた撃った。それから右にまた僅かだけ傾けるとまた撃った。さらに続けて三射目、五射目、それから十射目に至ってようやくルイは銃口を天に向ける。キルスコアはとうに五百を越えていた。
だが、ルイの目の前に幾分か削られたとはいえ、怖れ知らずの死虫人の群れが残っていて、広場の中央にいるルイへの突撃が緩む気配は無かった。
「マキナ」
ルイはそう言いながら左手の白加賀を鞘に納め、対物ライフルを背中のフックに吊り下げると右手で紅千鳥を抜き、前の群れへと駆け出す。
「そろそろ起きろっ!」
叫ぶと同時に両手持ちした炎の長刀を左から右へと大きく振り払う。切っ先が二匹の死虫人を切り裂き、続けて刀身の残像から放たれた炎の津波が百を超える虫たちを焼きながら押し返す。
「霜夜の梅」
さらに返す刀で右から左へと炎の刀を薙ぎ払うと、前方に暗黒の雲の弧が描かれ、すぐに爆発して群れの最前線を壊滅させた。至近に迫っていたルイと群れの距離も数十メートルほどに回復する。
「出し惜しみは無しにしてくれ」
「はぁい……」
背後でマキナが目を擦りながら起き上がる。
「私、寝起きが良くないみたいなの」
「さっきから起きていただろ」
「そうだけど、睡眠状態になったの初めてだから、こんなに寝起きが辛いなんて知らなかったわ。それに、全然かくれんぼじゃなくなっているじゃない」
「いいから!」
「もうやっているわよ、間に合うわ。――そろそろよ」
そしてマキナは目を閉じる。すると、目の前の数十体の死虫人が突如として燃え始める。
「中に入らないでね、一緒に燃えちゃうわよ」
「これでも魔法じゃないのか」
「ええそうよ」
マキナは否定するが、どう見ても魔法にしか見えない。勝手に生物が燃え始めているのだから。
だが、もし魔法ではないとしたら。思い当たるのは指向性のマイクロパルスの一種だ。軍事用レーダーか、あるいはそれに近いもの。もしそうなら、眼の前の広場は極めて強力な電子レンジの中のようなものだ。
ルイは後続も含めて次々と燃え盛り、倒れ伏す虫人の群れを観察する。最も激しく体の内側から炎を発しているのは群れの中央であり、また発火現象の分布を見てみれば大きくX型であった。
つまり、ルイとマキナの左右の少し外れたところに、ふたつのマイクロパルス放射源があるということだ。場所はおそらく広場の端あたり。だが、何も存在を見いだせない。
ルイは気を引き締める。
そもそも人類統合局において「御堂局長の娘」たるマキナがなんの護衛や自衛手段なく一人旅しているはずがない。なんらかの戦力が随伴している予想はしていが、思ったより危険で、位置を掴ませない厄介な存在であるようだった。
無から生じる浄化の焔は、虫の群れの隅々にまで飛び火していく。そして全てが焼却されるまでそう時間は掛からなかった。
[ルイの思考ログ] マキナの見せた範囲攻撃が、マイクロパルスによる指向性エネルギー兵器だとすれば、人にはもっと効く。
照射されれば、すぐに皮膚の水分を蒸発させ耐えがたい痛みを引き起こすだろう。僅かでも眼球に触れれば瞬時に失明することとなる。
そうして痛みと暗闇にひるんでいる内に体全体が沸騰して死に至る。





