8-7 禁断の地へ(2)
ルイとマキナは歩いた。
歩いて野宿して歩いて、時には聖職者のフリをして小さな集落で宿を借り、それからまた歩いた。
そうしてから更に数日後、夕日の逆光の中にアラムート砦と呼ばれる場所を見出した。禁断の地に最も近い集落であり、禁断の地を取り巻く迷いの森の監視所でもある。
これより先に人の住処はない――そう言われている。
最前線の砦だけあって、広く砂の多い荒れ地の中で場違いのように存在している小さくも切り立った岩山の上にあった。
岩肌には頂上へと続く細く蛇行する階段が刻まれており登るのは明らかに大変であったが、野宿に疲れ果てたルイの脚は自然と前を向いたのだった。
*
「花の都ボルドュー観光ってか? ふはは、命知らずだな、おぬし!」
砦にある唯一の酒場――ただの小さな木造ボロ小屋でしかない――に明るく野太い声が響く。
「でも、それでこそ冒険者よの! ガハハ」
少し太った中年の男が豪快に笑うと木のジョッキで酒をあおった。ルイの目の前にも同じ酒がある。ビールに似ており、もちろん常温である。
アルコール度数は少し高めで味もイマイチだが、疲れたルイの喉と胃に染みわたってゆく。
「遺品を探すなら、領主館の周りにある司祭の家がいいんじゃねえかな。金持ちだったらしいからな」
「やはりまだあるんですか?」
ルイが殊勝な態度で質問する。いまルイは病気の父のため、そして己の野望のために一攫千金を狙う冒険者。そういうことになっている。
「どうだかなあ、そんなことはもう誰も分からねえ。だがな、あると信じられる話はいっぱいあるぞ」
同じテーブルに座った中年の男は再びビールをあおり、がすんと空になったジョッキをテーブルに叩き付けた。
「ご主人」
すぐさま隣のマキナがカウンターの奥の男へ声を掛ける。
「この紳士にもう一杯いただけますでしょうか」
「おっ、気前良いねえ。がっはっは。女を従者に遺跡荒らしとは珍しいが、細かい事は聞くまい。おう、知りたいことがあったら何でも質問してくれ」
「そりゃもちろん、宝のありそうな場所です。それと無さそうな場所も。無駄足は避けたいですからね。領主館に宝は無いって本当なんですか?」
がっつくようにルイが身を乗りだす。宝なんぞ、どうでもいいのだが宝探しの冒険者という設定だから仕方がない。
「知らねえのか? ボルドューが虫どもに襲われた時、領主は家財を積んだ大きな荷車を亜人どもに運ばせたって話だ。騎士にも戦いより逃走を助けさせたってのが、ボルドュー滅亡の原因って言われてるのさ」
「へえ」
ルイは相槌を打ちながら、しまった、宝探しに来たのに当然知っているべき話を知らないのは怪しまれると一瞬焦る。だが、もうそんなことでは隙を見せない。
「それ、やっぱり本当の話だったんですね。ここでも聞けるなら本物だ」
「おうよ、逃げた後で強欲さを咎められ首を斬られたのもな」
「じゃあ、司祭の家にはあるって話は本当ですか?」
「そうかもな。司祭たちは着の身着のままで、荷物はロクになかったって話だぜ」
「ふうん、無欲ですね。流石は神にお仕えする方々だ」
「皮肉を言うな!」
ゲラゲラと笑ってから男は追加の酒を半分ほど飲み干す。
「ただ命が惜しくって、さっさと逃げたってだけよ! 司祭どもは偉そうに、地の女神の宮殿たる禁断の地を封印し続けなくてはならないと言って国中から大金を集めていたんだがな。実際は虫どもの巣で、おまけに何にもせず、逃げ足だけは一流だったわけさ」
「確かに、宝がありそうな感じですね」
「ま、そうかもしれねえってことよ。わはは」
少し話すとすぐに笑う男の前で、酒を一口飲んでルイは思案すると言った。
「それで最近、虫どもはどうなんですか?」
「……ちと増えておる」
急に男の目は厳しくなる。視界の端に見える酒場の主人も表情に影が差しているように見える。
「あいつらの時間は夜だ。だが、昼間にも見かけることが増えた。つっても一匹や二匹でふらふら歩いているだけなんだが」
「群れは無いんですよね?」
「ああ、もし少しでも見つけたら、すぐに知らせている」
男は笑わなくなり、声から朗らかさが消えていく。
「もし良い宝が見つかったら、情報料ってことでこの店の酒を全部倍額で買ってみんなに吞ませてやりますよ」
「うん? ぶっはは、そりゃあいい! おい、オヤジ聞いたか! この辛気臭い店が立派になっちまうってよ! がっはは!」
目の前で男が笑い転げる。初対面の席で、これ以上の暗い話はやめたほうがいい。そう考え適当な冗談を言ったルイだが、予想以上にウケて逆に戸惑う。
「ご主人」
すかさずマキナが手を上げる。
「紳士、それとご主人にも寝酒の一杯を。ただ出来れば少し割安で」
「今は値切るのかよ! ぎゃーっはは!」
中年男が爆笑する。カウンターを見れば主人も腹を抱えて笑っていた。
ようやくルイは悟った。二人とも極度に笑いに飢えていたのだと。こんな娯楽のない僻地で、しかも都市を滅ぼせる化け物を監視する砦に長々と暮らしているのだ。日頃から尋常な緊張感を覚えているはずだ。
それに女に会えたのも楽しかったのかもしれない。アラムート砦に女はいない。神聖法廷では女を極度に差別するが、代わりに危険な仕事も任せない。
「またな!」
しばらくしてルイは手を振る中年男に頭を下げると酒場の二階、唯一の客間へと上がっていった。そんなルイへ男は明るく声をかけた。
客間の壁は薄いベニヤ板だったから階下の笑い声が良く聞こえたが、ほどなくして静かになった。酒好きに見えた中年男だが、夜が更ける前に帰ったらしい。それから寝台の上に寝転がっていたルイも気絶するように眠った。
*
翌朝。よく晴れた空のもと、ルイは禁断の地と呼ばれる山々を見る。
高台にあるアラムート砦からは全貌が見渡せるが、眼下に広がる深い森の奥に潜んでいる何かまでは見えない。
「おう、いくのかい? 英雄殿」
「未来の、今はまだ自称英雄です」
昨日、酒場で会った男が笑う。金属鎧を身に着けており、今は門番を勤めているようであった。
「じゃあな、駄目でも来世で会おうぜ!」
そう言って再び大きな声で笑う男にマキナが声を掛ける。
「大変なお仕事をされているのに、明るく笑われるのですね」
「アラムート様の真似だ。縁起が悪いって言う奴もいるけどよ」
マキナは何も言わず微笑む。それで別れとなった。ルイは終始、神聖法廷では人との繋がりを薄く保つことに気をつけていた。まるでルシアの影から目を背けるように。
だから、男とのさっぱりとした別れに少しだけ気を良くした。だが、皮肉にも良い一期一会となってしまったようで、細く急な階段を下っていくルイに背後から声が掛かる。
「逃亡者にも気を付けろよ。俺の勘じゃ、森のどこかに集落があるはずだ。襲ってきた例はねえものの、奴ら、どういう訳か死虫人にやられない。きっと何か秘密やたくらみがあるはずだ」
半身で振り向きルイが手を振ると、男は笑顔で両手を大きく手を振った。
「親切な方でしたわ」
前を歩くマキナが言う。既に二人は森の中へと入っている。密に生い茂った常緑樹のせいで日光がほとんど入らず薄暗いうえに、濃い霧まで漂っている。
「まずは死都ボルドューまで向かうわ。夜には着くはずだけど、何があるか分からないわ。急ぎましょう」
そう言いつつ、勝手知ったる庭であるかのように迷わず歩いていく。霧や薄暗さはマキナにとって何の障害にもならないようだ。
花の都ボルドューの悲劇は神聖法廷では有名な御伽噺であり、また恐怖の実話でもある。
悪なる地の女神が封印された墓地を監視するという物々しい役割を担っており、その名目で各所より寄付をほぼ強制的に集めて大いに繁栄した。
しかし、当時の領主が森に大勢の調査騎士団を送り込んだ二日後、死虫人の大群に呑まれて一夜にして崩壊した。住民は逃亡できた僅かな人々を除いて全て森に連れ去られ一体の死体も残らなかったとされる。死虫人もすべて森へ帰った。
以来、ボルドューは野盗や浮浪者も近づかない死せる都となった。ごくまれに実施される森の偵察結果によると、当時の面影を色濃く残しているらしい。
「そういえば逃亡者って誰なんだ? 以前にも耳にしたけど」
「聞かなくて正解ね、神聖法廷で知らない人なんて居ないもの。信仰上の異端者だとか、あとミュルニークから逃げた奴隷たちの事よ。女と亜人が多いって聞いたわ。要するに神聖法廷から迫害された者たちで、時折物資の強奪を行うの。あと、要人の暗殺も。立ち回りが上手くて正体を掴めないらしいわ」
「相当賢いヤツでもいるのか?」
「そうかもね……さて、あとちょっとよ」
マキナが夕日で赤くなった空を指さす。その下に、森の木々の上には古めかしい、しかし頑丈そうな4つの尖塔があった。
[ルイの酒場雑談ログ] 森へ派遣された調査騎士団には、ひとりの中級騎士が所属していた。手ごたえの無い探索から帰った彼と仲間たちが見たのは、無人となったボルデューであった。
僅かに生き残った目撃者は彼に語った。誰もがみな半死半生にさせられ、残らず森の奥へ運ばれていった。そして、虫どもは木に縛り付けた戦利品へ平伏するように何度も祈ると大きな個体から首に喰らいついた、と。
単独で急ぎ森へと戻った中級騎士は、息子、娘、妻が着ていた服の残骸をまとめて発見したところで仲間に保護された。
彼の名はアラムート。復讐を誓い、後に岩山の上に砦を建てて聖人に叙せられた。元来はよく明るく笑う性格であったそうだが、森から戻ってきた彼は生涯笑顔を浮かべることなく終生に渡り森の監視を勤めたという。





