8-4 大聖堂の夜(1)
「ここに来たのは偶然というか…………いや」
質問で返された最初の質問、マキナはどうしてここに居るのか、に話を戻そうとしてルイは止めた。そんなのは自明だ、自分へ会いに来たのだ。ならば問うべきは。
「こんなところまで来て、僕に何の用だ」
「あら、ふふっ」
マキナは少しだけ無表情さを崩して笑みを浮かべる。妖しいというより純粋な喜びの発露をルイは感じた。
「それより私がカストディアンって、やっぱり分かっていたのね」
「ちょっ――!」
流石にルイは慌てた。
カストディアン。動く人形の機械。動力は不明。機械文明の象徴。神聖法廷が根絶を目指す邪悪な悪魔の眷属。
まかり間違っても、神聖法廷の都市のど真ん中で言って良い単語ではない。
「大丈夫よ、安心して。私とイチローの声は聞き取れない不明瞭な音に変換しているわ」
そういえば、どういうわけかマキナは空間の音声を制御できて酒場での密談を可能にしていた。そのことを思い出してルイは胸を撫で下ろす。
「今、私が首のスカーフを取れば流石にバレちゃうけど」
マキナの話は聞きようによっては脅迫だ。
私がカストディアンだとバラす、そうすればカストディアンと親しげに話していたルイも見逃されるはずはない。すぐに騎士たちが集まってくるだろう。取り調べの結末には破滅しか待っていない。
だが、他愛もない冗談としか聞こえなかったので――マキナの無邪気な仕草に騙されているとの警戒感は持ちつつも――子どもに諭すよう軽く不機嫌さを出して言った。
「……質問に答えてくれ」
「あなたに会いたかったのよ」
「それはさっき聞いた。会って何をするつもりだったんだ?」
「ここから少し外れた場所、山奥に神聖法廷の秘密の研究所があって、そこを一緒に調べたいの。どう?」
「……待ってくれ」
あまりに唐突感のある話に、ルイの思考は全く追いつかない。
「もう少し背景から分かるように順を追って説明してくれ」
「あら、それもそうね。説明しなくても伝わる相手ばかりだったから、つい。でも、どこから説明したものかしら。――私はね、人の事を知りたくて世界中をまわっているの。ほら、カストディアンだから」
マキナが風に揺れる髪を手で軽く押さえる。
「私って人の形を模して造られたのに、生まれてからずっと、ほとんど人と接して来なかったの。だから、旅に出たのよ。切っ掛けはそう命令されたからなのだけど、今は私の想いで続けているわ。そうするとね、いろいろな人に出会うのだけれど、同時にいろいろな事も見聞きすることになるわ。ほとんどの事は、ほとんどの人と同じように標準偏差の範囲に収まる普通の事ばかり。あ、これが面白くないとは言ってないのよ。色々な普通の人と同じぐらい、普通のことは面白いわ。でもね、時には外れ値のような出来事にも出会うの。そして、また出会ったのよ、それも凄く珍しい出来事に。ね、気にならない?」
「気には、なる」
「そう、嬉しいわ」
ルイは情報を引き出すために話へ乗る。
「実はね、神聖法廷に面白い動きがあるの。山奥の秘密の研究所というのが、どうやら動きの中心地になりそうな場所なの。どう?」
「どう……って、もうちょっと情報は無いのか?」
「ここから先は、一緒に行ってくれるって約束してくれなきゃ言わないわ。興味本位か、私への関心で決めてほしいの」
「――言って損はないだろう」
「駄目よ、イチロー。いいえ、ルイはお父様と微妙な関係なのでしょう?」
ルイが押し黙る。だが、驚き混乱しているわけではない。マキナの言う《お父様》が御堂マリウス京だということを忘れたことなどない。
巨大財閥グループの中でも圧倒的なエリート集団である草薙総研の上級研究員にして、ルイたちが緊急で別の星系に送り届けようとした人物。
さらには、おそらくは巻き添えにする形でルイとリン、ソフォンのタマと陳シェリーをこの高天原星系へ転移させた人物であり、悪しき亡霊かのように警戒される機械生命で構成されているらしい人類統合局の局長でもある。
そして、ルイと同じく、この星の文明発達を抑止させるような働きを示すエーテルリング。その王、すなわち管理権限の保持者でもある。
「それが情報を出さない理由になるのか?」
「なるわ。分かってるのでしょう? エーテルリングの働きを変えるには、他の王様が意見を完全に揃えてくれるか、鍵を奪う必要があるのよ」
「僕はエーテルリングをどうこうしようだなんて思ってない」
「そう? でもお父様は、故郷に帰るならエーテルリングの仕様を変える必要があると言ってたわ」
「えっ?」
ルイの口から意図せぬ声が出る。マキナが言っていることは、葦原星系に帰れる可能性があるということに他ならない。
「興味、湧いた?」
「帰る……帰る方法があるのか?」
「詳しいことは聞かなかったから知らない。でもお父様は言ってたわ。ルイたちはきっと帰ることを選ぶって。だから、相容れないって」
「僕は……」
「あら、帰りたくないの?」
「そ、それは――」
ルイは答えに窮し、窮したことに驚いた。
帰る方法などずっとないと思っていたから思考の外の事を問われて動揺したのだが、それより帰れる可能性があると分かっても帰りたいという気持ちに支配されなかったことにより驚いた。
少し前であったなら、間違いなく帰りたいと願っただろう。だが今は、共に旅をして血よりも濃い関係を築いた仲間がいる。
新都市アマテラスの領主なんて役割も担っている。ルイは自分が領主なんて分不相応だとずっと思っているし、都市の運営が軌道に乗ったら後継者を見つけてさっさと引退しようと心の底から決めているが、それでも今すべてを放り出すのは流石に無責任すぎると感じた。
そしてなにより、文明水準の大きく劣る高天原が好きになっていることに気が付かされた。
いや、実際に文明水準が劣るとも言い切れない。技術や衛生が高水準であっても、隣の部屋の人の名前も知らない無味乾燥とした砂漠のような葦原の文明はある意味で遅れているように思えた。
「帰りたくない、わけじゃないんだけど」
「はっきりしないのね」
呆れたような物言いなのに、マキナの瞳は興味で輝いている。
「お父様の見立てが当たらないなんて、やっぱりあなたは素敵だわ」
「帰りたいとしたら相容れない、そう言う御堂の目的はなんだ?」
「全然、知らないわ」
ルイは瞬きをする。人類統合局長の娘であるのに何も知らないとはどういうことか、と虚を突かれた。
「本当よ。聞かされていないし、興味が無いから聞いたり調べたりしていないの。それよりね」
マキナが一歩、また一歩と距離を詰めてルイの顔を下から覗き込む。軽くお辞儀をすれば唇同士が触れ合ってしまう距離だ。
「私と行く? 行かない? 私は来てほしいわ。そのほうが絶対楽しいもの。それにね、お金なら沢山あるの。もしアマテラスまで行くお金がないなら、十分な額をあげるわ。もちろん、私との約束を果たした後だけどね」
「うっ」
ルイの心は大きく揺れた。葦原に帰りたいかと聞かれれば迷うが、アマテラスなら答えは明確だ。
脳裏にサクヤ、リン、ヤグラ、レネー、子供たち、侍従たちの顔、それに東西南北の大通りの光景が色鮮やかに浮かぶ。
「――行く」
「ほんと!? 嬉しい!」
ルイは覚悟を決めて踏み込んだ。
目の前で笑みを浮かべるマキナは、はっきり言って怪しい。人類統合局と御堂の目的はまったく分からないが、警戒すべきとしか思えない。
それでも、新たなる故郷への渇望が優った。
「これ、断られても返すつもりだったの」
マキナが足元に置いていた大きな革製の袋を渡す。手に持ったルイは慣れ親しんだ重さと手触りで中身を察し、顔を顰めた。遺跡と村の外れに隠していた複合エネルギー型対物ライフルと機動戦闘服だ。
「じゃあ、出発は明日にしましょう。長居しないほうがきっと良いわ、お互いに」
そう言うとマキナは沈む夕日のほうへと去っていった。
残されたルイの心は不安で乱れていたが、頭を振って決心を固めた。
だが、ルシアの笑顔だけは消えなかった。





