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8-2 神聖法廷の田舎村にて(1)

「干からびた、は余計だ。ルシア」


 大人の女性一歩前の少女の隣で、渋い顔をした瘦せこけた老人が溜息をついた。老人は背筋こそピンと伸びているが、ほつれだらけの袖から除く手は骨と皮だけであったから、ルイは不謹慎にもルシアの言う通りだと思ってしまう。


「お前の父は立派な騎士であったのに。どうしてこんな口の悪い娘に育ってしまったのか。それともお前、自分が女だと気がついておらぬのか?」

「女だからって何よ!」

「女は責任を負った男に従って生きていくものぞ、ルシア。天の大神(おおかみ)もそう仰られておられる。実際そうしたほうが女も幸せなのだ。自分勝手に生きて、責任を背負わずして何の人生かの」

「はははっ!」


 老人の箴言(しんげん)を世迷言と断じるのは若さの特権。そう言わんばかりに、少女ルシアは明るく笑う。緑が鮮やかな広い草原を低空飛行した風がルシアのゆったりとした黒いスカートを揺らす。夕日を背に笑うルシアのスカート、それに茶色のシャツはどちらも()()()()()()()()で、裾と袖のすべてがほつれている。何度も補修したのであろう。様々なボロの当て布が統一感なく貼り付けられている。


 服の貧相さは、老人の大きな布に頭を出す穴だけを開けて被る聖職者のみが着ることを許された服も同じだ。元は純白だったのだろうが、もはや長年の汚れで灰色になっている。しかも、質感の違う白やら灰色の様々な当て布が無遠慮に縫い付けられている。


 二人は貧しかった。二人だけでなく二人の住む村全体が貧しかった。しかし、ルシアは健康で明るく、村もまたルシアの笑顔のように明るい。


「何を言っているか全然分かんないよ! それより()()()()は凄いでしょ?」

「ああ、そうだな」


 老人は顎に手をあて、目を細めてルイを見る。


「その若さ、しかも冒険者という身でよくぞここまで神の教えを学んだものだ。引用に間違いはなく、意味も正しく理解しておる。司祭の見習いとしてなら十分過ぎるほどだろう」

「本当!? じゃあイチローはジジイの弟子になれる?」

「教会の許しが要る。儂の一存じゃ決められん。それに彼にも都合というものがあるだろう」

「いいじゃん! ねえ、イチロー! 村の教会に住んじゃおうよ! そうしたら、ずっとこの村に居られるよ!」


 強引に話を進める少女の曇りなき瞳を前に、ルイは愛想笑いするしかない。それからルイは、少女の相手を老いた聖職者に任せ、足元に散らばる小枝をいくつか拾った。そして荒縄で集めたすべての小枝を縛って背負い、老聖職者に礼を言って少女ルシアと共に村へと続く小道を歩いていく。


 夕陽はもう随分と暗くなっている。急がねばならない。

 村へ戻れば、ルシアたち家族が住む家の隣にある粗末な小屋ですぐ寝ることになる。食糧は豊かであるが、灯油を買う金など無い田舎の農村であるから、日没したら一日は終わりだ。そして夜明け前に起き、すぐ農作業に取り掛からねばならない。今イチローと名を変えたルイは、少女の家族の居候(いそうろう)なのだから。



 *



 連合帝国にふたつある大都市のうち、東のアズマ府のもっと東。そこにある半島の東端にあった古代兵器工場でルイは見えない膜に包まれた。すると、ニクサヘル星系からここへ来た時と似た不思議な回廊へと迷い込み、気が付くと石造りの遺跡で一人になっていた。

 階段を上り、外に出て夜空を見たルイは驚愕した。いくつか目立って明るい星の位置からすると、ここは大陸西にある神聖法廷の領土の奥深くであるらしい。ルイは何度も、タマを含む大切な仲間たちの名を呼んだが一切の返答がなかった。原因は分からなかった。

 酷い孤独感のなか、ルイはともかく東に向かって歩いた。東を選んだ意味は、少しでもアマテラスに近づけると思っただけに過ぎない。ともあれ体の痛みに耐えながら歩いたルイは、幸運にも夕暮れ直前にそう大きくない、かといって小さくもない城塞都市を見つけた。


 ルイはすぐ機動戦闘服とライフルを隠して、城門へと向かった。

 だが、どこか挙動がおかしかったのだろう。衛兵に呼び止められてしまい「道に迷った冒険者だ、旅行者ギルドにも加入している」と弁明したところ「冒険者ギルド横の宿へ行け、それ以外のことはするな」と指示されたので素直に宿へ行き、金を払って泊まった。部屋は雑魚寝同然の粗末な八人部屋であったのに料金は法外であったが、他に手は無かった。


 翌朝、昼近くになって疲れを全身にまとわせながらルイは冒険者ギルドへと向かい、小さなカウンターの上に鉄製のメダルを置いた。それは冒険者章であり、鉄級という初心者(ノービス)ではないけれども特段目立つところもない存在であることを示していた。身分を偽る為に作っておいたものだったから、最も目立たない退屈な身分にしていた。


 そんなルイに、冒険者ギルドはありふれた仕事を斡旋(あっせん)した。

 たいした実績も才能すらないお前に路銀など貸せるものか。ギルド(マスター)のヘスティアーに問い合わせろというのも笑わせる。鉄級のお前如きに何故、遠く離れた敵国にある本部へ手紙を出さねばならぬのか。冒険者ギルドは国を超えた組織といえども各地の支配者、ここでは教会とうまくやるのが前提だというに。だいたい手紙を出したとして、いつ届くかも分からぬ返事をお前はどうやって待つと言うのか。食い扶持は自分で稼げ、稼ぐ気が無いなら出ていけ。

 そう言われた。


 ルイは素直に従うしかなかった。手持ちの神聖法廷の通貨はほとんどない。むしろ背嚢(はいのう)の奥に少し予備が入っていたのが幸運であるぐらいだった。しかも、足元をみられて宿代が高いから、あと二日も滞在できない。野宿を繰り返して進むという手もあるが、野営具だけでなく食料すら無い状況で数十日も旅をするなど無謀が過ぎると思われた。


 結局、ルイは警備員を兼ねた雑用係として徒歩一日半ほどの田舎村に派遣されることを受け入れた。村には通貨が流通していないから、給金はなんらかの都合でここへ戻って来た時に払うと言われた。他の仕事は男娼だとか、自称凄腕の魔術師が作る薬の治験だとか、本当にロクでもないものばかりであった。

 そうして、イチローは田舎村にて少女ルシアと出会った。イチローとは、鉄製の冒険者章へナイフで雑に刻まれた名であった。本名を出すことは絶対にできない。ルイは《偽印の使徒》という御大層な名を与えられた認定(ネームド)悪魔であり、積極的な捜索と討伐の対象であるのだから。



 *



「わたし、この村が好きだわ。ねえ、イチロー。こういう時、なんて言ったらよいのかしら?」


 ルシアは西の草原の先を見て笑う。遠くの山脈は、その奥へ今にも沈まんとする夕日のため黒々としているが、手前にある家屋十軒にも満たない村と畑は紅く輝いている。

 

「神は天にいまし、すべて世は事もなし。……かな」


 ルイは網膜表示装置に浮かび上がった言葉をただ呟いた。

 手に入った神聖法廷の聖典、および教えのすべては瞳に装着したインプラントレンズ型の網膜表示装置の内部にある極小の記憶装置に入っている。所詮はテキストデータだから、大したことはない。それを使って、会話にあった文章を視界に表示させる仕組みだ。神聖法廷の人間と相対する時のためにタマと作っていたものであった。これによって、ルイは熟練の聖職者のような振る舞いをすることができる。

 

「いい言葉! イチローはなんでも知っているのね!」


 ルイは特に何も言わず微笑んでから、黙って東の空を見上げた。

 既に暗く、一等星にあたる星が夜空に浮かび上がっている。その星の下には、きっと都市アマテラスがある。白く四角い領主館、東西南北に続く大通り。商人たちの呼び声、はしゃぎまわる子供、叱り時には一緒に楽しむ親。そして、ありふれた表現だが血よりも濃い繋がりを持ったリン、サクヤ、ヤグラ、そしてレネー。

 ルイのすべて、そうとしか呼べないものがそこにはある。


 ルイの表情に自然と、夕闇より濃い影が差し込む。ルシアは、そんなルイを横目で見ながら幼いころからの農作業で荒れた手のひらを黙ってさすった。

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