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1-14 再び谷へ(2)

 翌朝、まだ薄暗さの残る夜明けの空の下、ルイ達は荒野を駆けていた。


 といっても、自らの脚ではない。ルイを始め全員が二足歩行で首が短い恐竜のような動物に乗っていた。その恐竜もどきは、後ろ脚こそ太いが前脚は小さく、頭はヘルメットのように丸くなっている。サクヤによると石竜といい、草食で従順だが、怒らせれば強烈な頭突きで人を殺めることもあるという。

 これを見たタマは、『石頭竜という人類誕生前に絶滅した恐竜と似ている』と言った。タマはどうやら、ルイがせめてもの生活の潤いにと持ち込んだ地球時代の電子資料を随分と解析したようだった。


 ともあれ今ルイは集団の先頭にいて、その左右および背後には五騎が追随している。石竜の乗り心地はバギーと比べてしまえば鞍があるとはいえお世辞にも良いものではなかったが、ルイは機動戦闘服の姿勢制御機能によりあまり苦労することなく先導を務めることができている。タマは富裕層向け乗馬プログラムが役に立ったと言っていた。


 ルイは少し顔を右に傾けて前方を見渡す。騎乗している石竜の頭が視界を遮るので、前方を見るには立つか姿勢を左右にずらす必要があるのだ。遠くを望めば、砂丘が朧気ながら見えてくる。いまルイ達一行はアズマ府がある荒野から、再び大陸北東の大半を占める広大な砂漠に差し掛かるところだった。


 ルイは、ここでも先行調査役か、と乗り物を石竜に乗り換えても航行士のようなことをしていることに苦笑する。それから、頭を軽く掻いた。

 頭を掻くのはさっきからもう何度目か分からない。ルイが頭の痒みを気にするのは、これまで毎日風呂で頭を洗うことが当たり前だったのに、もう二日もシャワーすら浴びていないからだ。シャワーというものが完璧に整備された上下水道および電力環境なければ成立しない文明の利器であることにルイは今更ながら気付かされた。そのような、ここでは誰も気にしない不便さを感じながら、ルイはゴーグルの端に浮かぶタマへ話しかける。


「なあ、サクヤ達が変に匂わなかったのはなんでかな」

『……ルイ、世間ではそのような発言は好ましくないとされているのでお気をつけください』

「いやまあ、そうなんだけど、真面目な話でさ。前に地球時代の、その中でも古い映画を見た時にさ、倉庫を覗き込んだ男がどんなに隠れても匂いで分かるぞって言って、そうしたら倉庫の(かめ)の間から男の子が出てくる場面があったんだよ。人間は誰でも体を洗わなければ臭くなるんだ。昨日の宿は高級旅館だった気がする。それでも個室に浴場はなかった。そうするとさ」

『なるほど、ここの衛生状況からするとそれなりに体臭がするはずってことですね。匂いを感知する機能を持たない私には分からないのですが興味深いですね』

「どっかで沐浴しているのかもしれないけどね」


 ソフォンには嗅覚がないとは知らなかったな、と思いながらルイは背後を見る。両脇にはサクヤとヤグラが、その後ろからは三騎の石竜が等速で追随している。それぞれの背には黒い布で頭と口を覆い、同じく黒い外套を身に着けた全身黒ずくめ男女が騎乗している。

 中央の壮年の男――といっても口元が布で隠されているのでよく分からないのだが――が指揮役らしく、左右をルイと同じような年頃に感じられる若い男女が固めている。そのうち、若い男のほうを見たルイに出発時の出来事が蘇ってくる。




 ルイの前に、サクヤが黒ずくめの3人を連れて現れたのは夜明けのことで、場所は宿の前にある広場だった。


 ふたつの月明かりだけが頼りの暗闇であったが、特段の不便はなかった。宿の門前に野外()があったからだ。油や木を燃やす松明ではなく電灯である。

 アズマ府には電力が存在している。昼間見た風車は発電も兼ねているのかもしれない、今は風が弱いから蓄電池もあるのかもしれない、そんなことをタマとコソコソ話していたルイにサクヤが話しかける。

 サクヤは彼ら三人が帝国の斥候であり、一人は谷の入り口で、もう一人は谷の出口で戻り、最後の一人は櫛稲田まで同行すると説明した。三人はルイに対して挨拶するどころかロクに目を合わせることもなかったため、ルイもまた深くは関わるまいと話しかけることはしなかった。


 小さな事件が起きたのはヤグラも含めて旅程について話し終わったその時だった。


 ドサッと何かが地面に落ちる音を聞いて振り返ったルイの眼に入ったのは、六体の石竜と、その足元に散らばった荷物を半裸の男女数名が慌てて拾っている姿だった。ルイは石竜を見て非常に驚いたが、直後にさらに驚くこととなった。

 半裸の男女のうち一人の女が「わ、私が落としたんじゃない」と言い出したとき、若い帝国斥候の男が弁明する半裸の女の太ももを突如小型のクロスボウで射抜いたからだ。さらに男は、一瞬硬直したあと痛みで転げまわる女の顔面を蹴り飛ばして気絶させた後、「さっさと荷物を積みなおせ」と冷たく言い放った。

 ルイは咄嗟に動けなかったし、脳が事態を理解して動こうとしたときにはヤグラの背中が前に立ちふさがっていた。その背中は「何もするな」と雄弁に告げていた。




「あれが奴隷か……」


 ルイの小さな呟きは荒野の乾いた風に吹かれて消えていく。タマは何も言わない。最初の休憩場所でヤグラに「あれが奴隷の日常だ」と言われた。続けて「気にするな」と言われたが、同僚が射抜かれても慌てず仕事を続ける奴隷たちの生気のない表情と、哀れみも嘲笑さえなく奴隷を見つめる帝国斥候の眼が脳裏に焼き付いて離れることはなかった。


 *


「ここからが谷です」


 夕暮れ、太陽が遠くの山脈に接し始めたころ、サクヤは帝国斥候の三人を向いて砂漠から地続きの台地を指さす。そこには谷を出るときに見た三階建ての塔があった。谷への入り口の目印だ。


「例の塔か」

「詳しいことは分からぬが無人ではあるようだ」


 道中ずっと無口だった帝国斥候の女の問いかけに対してヤグラが答える。そこへ帝国斥候の指揮役――ルイは斥候長と呼ぶことにしていた――の男が会話に混ざる。


「牢獄の塔だ。遥か昔、ここより東の半島に都を構えていた王国の遺跡。古くから伝わる帝国の記録が正しければ、だけどな。無人というのは好都合だ、神聖法廷の支配が及んでいない証拠だからな。おい、戻ったらここを拠点化するよう進言しろ」

「はっ」


 奴隷を矢で射抜いた若い男が冷静だが覇気のある声で応じる。きっと、上司には忠実な男なのだろう。

 ルイは、そんな帝国斥候らの会話から僅か一昼夜でそれなりに谷周辺のことを調べてきたこと、もう既に谷を街道にすると決めていることを悟った。そう思いながら斥候達たちを眺めてくると斥候長がルイに話しかけてくる。


「で、道案内。今日はどこで停泊するんだ。谷には血蜘蛛が居るんだろう? 細くて矢が当たらん危険な奴らだ。だからって、まさか塔に泊まるとか言わんよな。無人だからってロクに調べもせず、()()()()()の縄張りかもしれないところに入るのは御免だぞ。他に目当てはあんのか?」

「……」


 ルイはしばし沈黙する。実のところタマと計画していたのは塔での一泊だった。なにしろ内部に一切の熱源反応がないのだ、生命が居ないのなら停泊には最適だろうと考えていた。しかし、<砂漠の奴ら>というなんだか分からない存在を知る帝国斥候にとっては非常識な選択肢であるようだった。

 <砂漠の奴ら>が何者かを聞くのは躊躇われた。道案内としての信任を失う心配があった。どうしたものか、そう思っているとタマが不意に警告を発する。


『砂嵐が迫っています。夜半には巻き込まれる可能性が高いでしょう』


 ルイは東の空に目を向ける。夕暮れに染まる西の空と違い既に暗い。ただ、雲よりもっと低いところで特に闇が濃くなっているように見えた。


「おい道案内、聞いてんのか……ちっ。塔しかねえってわけか」


 斥候長も砂嵐が近づいていることを悟ったようだ。


「塔の中には誰もいない」

「調べてるってことだな?」

「いや、中に入ったことはない」

「……おい」

「信じてもらうしかない。信じられないなら谷に行こう。入り口付近なら蜘蛛は来ない、かもしれない。確証はないけどな」


 斥候長は当然の疑問を投げかけたが、ルイはまともに答えなかった。どうせ説明したって分かるはずもないし、ルイも良く分っていないのだ。赤外線だの熱源だの、それぞれの意味はなんとなく分かるが具体的にどうしてこの距離で塔の中を調べることが出来るのか、信頼できるのか、聞かれても答えられない。機動戦闘服のセンサーを使えば内部に人や動物がいるか分かる、それが説明できる限界だ。アクセルを踏むと何故バギーが前に進むか理解せずとも運転に支障はないように、その程度の知識でも困ったことがない。

 もちろん、タマの助けを得れば原理を解説できるだろうが、なぜそんなことを知っていると聞かれれば答えに窮してしまう。


「……生物以外はどうなんだ」

「分からない。だが大丈夫だろう」

「あのな、それが大事だろ……って、おい。本当に信用して良いのか?」


 斥候長はルイと共に塔へ向かうサクヤとヤグラにも声を掛けた。だが、二人はルイを信じることにしたようだ。


「夜に血蜘蛛と遭遇するのは大変危険です。石竜も疲れていると思います。ここはルイ殿を信じていただけませんか?」

「……随分とお姫様からの信頼が厚いじゃないか。しかしだな……なあ道案内、理由ぐらい説明したらどうだ」


 ルイはなにか答えようと考えるも、サクヤがそれを防ぐ。


「ルイ殿のことは深く詮索しない、その約束で道案内をお引き受けくださっています。昨日ご説明申し上げているとおりです。どうかご自重を」

「……ったく。おい、お前らは指示するまで塔に近づくな」


 斥候長は観念するも用心深く斥候二人を残して後を付いてくる。自分に何があっても誰かが事態を報告できれば良い。良く分からない任務は指揮官率先。そんな姿勢を物語る態度に見えた。

 ほどなく、ルイたち三人と斥候長は塔の外壁に設置された門へ辿り着く。門は丸い塔のような外壁に取り付けられた螺旋階段を少し上った先にあった。

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