7-4 忍者が来た(1)
凶報は突然来る、という。
だけど、きっとそうではない。本当は予兆がたくさんあったのに嫌なことなど起きるはずがないと無視しておいて、それを忘れて「突然だ」と騒いでいるだけなのかもしれない。僕は悪くない、仕方なかったんだと思い込むためにも。
そう思いながらルイは親指の爪を噛んだ。指が痛む。だが痛みが気分を紛らわせることはない。今思えば予兆と思わしき出来事が脳裏に次々と浮かんで膨れ上がるばかりであったからだ。
20日ほど前のこと。
ルイの手元に1通の封書が届いた。花の陰影が入った厚紙で、ケバケバしい色をした刺繍入りの布が丁寧に巻かれている。差出人は確かめなくても分かる。こんなに高価で派手で自己顕示欲が盛大に漏れ出している手紙を出すのは、貴族カデノ女史が子飼いにしている商人ギルド幹部の中年男しかない。
どうしても好きになれないのでルイは名前を未だに覚えていない。ただ、見かける毎に体がひとまわり太っていること、最近では頬の贅肉が垂れ下がり顔の形が四角のようになっていることだけは思い出せる。
手紙の末尾には次のようにあった。
――最近、奴隷解放戦線の動きが静かだ。もはやアズマ府とヒヌシ府を通行するのに支障がないほど。潜入している密偵からの報告によれば、南にある「不帰の森」という極めて危険な菌類が支配する危険な地域への監視を強めているという。あそこには如何なる勢力も存在しないはずだ。奇妙である。変化があればまた伝える。何か知っていれば是非情報を連携いただきたい。
10日前のこと。
今度は実に簡素な手紙が来た。記載はなくとも差出人が誰かは一目で分かった。小さめの紙をくるくると巻いただけでなんの装飾もない形式は、連合帝国の暗部が好む。つまり、連合帝国先遣隊に所属するカラスマ隊長からの緊急の密書だ。
内容は「ある日、若い芸術家が明日昇る太陽が黒く染まっているとの霊感を得た。だから彼は瞳を閉じて耳を澄ました」という短い散文があるだけ。
意味は、昇る太陽、すなわち東、そこを注視しろ。
読んですぐ、ルイはしばらく前にアズマ府からの手紙を受け取りながら机の上へ放置したままであることに思い当たった。
慌てて手紙を開けてみると、アズマ府の公式声明などの定期連絡事項の後に「アズマ府の東が何やら騒がしい、多くの獣が逃げ出しているらしい」という記載を発見した。
実に奇妙だ。なにせアズマ府の東なのだ。アズマ府は大陸の東端にあり、さらなる東と言えば利用価値のない小さな島々がいくつかあるだけ。世界有数の大都市であるアズマ府を脅かせるような勢力が存在できる広さではない。
「何があったのかな」
『竜か鬼でも出たんじゃないですかね』
不安になったルイだが、タマの反応は冷たかった。竜や鬼などの想像上の存在でしかない。
「うーん、警備隊に何が気がつくことがあったら報告するように言っておくか」
それでルイとしては対処したことにした。最近はルイもタマも忙しかった。
ここ最近タマは法律の整備に熱を上げていて、やれこの罪は強制労働1年でこっちは3年だけど釣り合っているのか、やれこの条文とこの条文で同じ用語が使われているが精密に見ていくと意味が違うのではないか、などの細かい分析に時間を使っている。
『法ってのは良き感情に合っているかが大事でしてね。まあ、あの幼女から聞いたんですけど』
タマは時折こう言う。
良き感情というのは、幸福感とか平穏ということだけではなく、不正や不条理への怒りも含む。例えば娘を無惨に殺された父が犯人に復讐したとしたら。それは確かに罪ではあるけれど、復讐へと至った気持ちは十分に汲まれなければならないということ。
もちろん、自分勝手で何の公益性もない感情を認めることはできず、その線引きはなかなかに難しい。
『だから私じゃ決められないんですよ』
続けてタマは言う。
アマテラスにはもう固有の常識や慣習がある。法というのはこれらにぴったり合っていなくてならない。だから葦原星系の現行法をアイデアとして紹介することぐらいは出来るけれども、アマテラスの人々が必ず良し悪しを判断しなければいけない。押し付けてはならない。押し付けても結局は守られない。
ルイもその考えに全面的に賛成だった。自分たちを守り、同時に縛る法は自分たちで作らねばならない。
だから、ルイとタマはアマテラス法審議会を作った。アマテラスの各行政地区と主要な産業の代表者、それに神羅と連合帝国の法学者も呼んで知恵を出してもらっている。条文案に対するタマの細かな分析結果も、アマテラス行政の担当者から述べるようにしている。
法審議会は既にまっとうな立法の提言を何度かアマテラス行政にしている。そのほとんどをルイは承認した。議会がないからルイが首を立てに振るだけでよい。
新しくアマテラスに合った法が作られていることを、ルイだけでなくリン、サクヤそしてヤグラも歓迎していた。まず法があり、議会と行政機関それから裁判所の三権が分立している。これら三権で決めたことを、地域の役所が実行していく。今はまだルイが独裁者でなんでも出来る立場ではあるが、こういう未来の都市の形を目指そうと全員で何度も話し合ってきたし、そこに着実に近づいていることが感じられるからだ。
一仕事終えて、月次開催されている次の審議会に向けてまたタマがぶつぶつ言い始めたのを見たルイは、気分転換に外へ出た。
明るく暖かな日差しが、少し暗い室内に慣れた瞳を刺す。それから東の大通りをぶらぶらと歩き始めた。移民の多い、あまり裕福ではない人たちの商店街だ。
服は地味でフードも被っているから、すれ違う人々は領主が一人で気ままに歩いているなどと気が付かない。ルイはこうして時折、街を歩いてまわることを習慣にしている。都市の現状の姿は力をつけてきた行政組織が定期的に報告してくれるけれども、やはり実際に見ることで入っていくる情報は貴重で説得力に溢れている。
大通りをしばらく歩いてから目についた裏通りへ入り、古着服飾店にて質素だが丈夫な綿素材の服が売られているのを見た。藍染がほとんどだが、洗濯が大変な白も少しある。
次に乾物屋にてアマテラスの米や豆で作られた味醂と味噌が並んでいるのを見た。まだ少し値が張るけども乾燥肉すらある。豆腐は超高級品だからまだ置かれていない。貴重なタンパク質なのだから、もっと量産できるようにしなければならないと思った。
それから茶房に入り、茶を飲みながらフードを深く被って壁新聞を読んだ。近くの学校で開かれるがらくた市と大人向け学習会の案内も貼られてして、黒岩流の護身術講習まであったのには少し笑った。きっと無許可だろう。ともあれ学校は地域の集会場でもある、との狙いが機能していることに満足した。
その後、外へ出て目当てにしていた屋台でコロッケを1つ買った。帝国芋の生産が安定し、そして油の大量生産が可能になった今だから作れる最新の流行食だ。使い捨ての包み紙の端から出して食べるとサクッと心地よい食感と共に油と芋の甘みが口いっぱいに広がった。特にこの屋台は堅めの揚げ方と小さく丸い形がルイの好みにあっていて、時折買っていた。
食べ終わり大通りへ戻ろうとして角を曲がった時、小さな影がルイにぶつかって来た。「痛っ」と鼻を抑えながら言ったのは10歳ぐらい男の子。小さい頃から着ているであろう着古した服はもう体に合わなくなっている。見たところ、体を清めたのは2週間前というところか。
「ちっ、気を付けろよなー」
そういって子供が走っていくと、突然横から中年の女性が出ていて子供の頭をひっぱたいた。
「アンタ! 自分からぶつかっておいて! 精霊様に恥ずかしくないのかい!?」
「うっせーな!」
目の前で親子喧嘩が始まるが、決着は一瞬だった。女性が子供の両方の頬をつねり上げながら言う。
「すまなかったね、良く言っておくからさ」
ルイは「ああ」と片手を軽く上げて立ち去った。少し歩いてから振り返ると、もう二人は何やら談笑していてコロッケを買っていた。それから二人で食べて幸せそうな顔をした。
先程ルイは、二人にぶつかられたことなど気にしてないことを示すため平然とした態度をとっていたが、実のところ内心では驚いていた。
都市アマテラスを立ち上げたころ、やってきた人々は喰い詰めた農民や逃亡奴隷ばかりだった。彼らは流石に領主の前ではやらなかったが、裏通りでは些細なことで殺し合うことも多かった。例えば、今のようにぶつかってしまった時でも。空腹と困窮は本当に人の心を荒廃させるものだ。
連合帝国から来た人々は神聖法廷への反発からか、宗教的な風習を持たない。そのため新しい事を次々に進めていくアマテラス行政に自然と馴染んだが、倫理を説く聖職者もまた居ないということでもある。だから罪を犯すことをなんとも思わない者が多く、アマテラスの治安は悪かった。
それが今や、迷惑を掛けたら謝罪するという風習が定着してきた様子が垣間見えている。人々の倫理感が高まっている証拠に見えた。
タマを祀り上げかねない精霊信仰が広がっていることはちょっとだけ気になったけれども。
ルイはふと、何かに誘われるように早歩きになって大通りへ出る。そして改めて見渡すと、沢山の子供がいることに気が付いた。これまで街を見る時は経済や治安のことばかり考えていたので、少し視点を変えるだけでこんなにも見え方が変わることに驚いた。
子供といえば、以前は十分に食べさせてもらえずガリガリに痩せている子も多かったものだが、みな健康そうな体格をしており顔色も良い。そして笑顔で母あるいは父と話したり、手を繋いでいたりする。
ルイは突然、都市アマテラスはずっと続いていくんだと思った。強く、強く思った。
子供だ。都市アマテラスでは子供が増えている。未来に希望を感じた人たちの多くが家族を持とうとしている。アルコール度数の高い焼酎を開発し、出産時に消毒液として使わせるようにしたので妊産婦死亡率が激減していることも影響しているだろう。
ルイは思う。人の暮らし、文明が続くというのは実に単純なことで子供が生まれることであると。子供が生まれる社会だけが未来へと続いていく。例えどんなに立派でも、子供が生まれない文明は消滅する運命にある。そのことを考えると子供が多く、しかも笑顔であるということは、これ以上なく良い事なのだろうと思えた。
ルイの前を6か7歳ぐらいの男の子がふざけた調子で駆けて行く。そして案の定すぐに転んで泣き出し、一緒に走っていた10歳を少し越えたぐらいの賢そうな少女が手を差し出して立たせる。泣き止んだ男の子はすぐ笑顔になり、また走っていった。少女も笑いながら追いかけていき、紅い夕日の中へと消えていった。





