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Xー3 御堂の娘

 夜。暗くなってもまだ白さを失わない大地で、御堂はひとり夜空を見上げていた。


 大地が白く見えるのは、今宵は月がどちらも出ていて、両方ともほぼ満月であるからだ。特に遠いが大きい青い月は、いつもより大きく、肉眼で地表のクレーターを数えることができた。

 この星のふたつの月は公転周期が違い、何気に今夜は天体観測において珍しい日である。潮の満ち引きもかなり激しくなっているだろう。


 青い月に眩しさを感じ、御堂は白い月を方へ目を向ける。だが、よく見えなかった。木々の葉が覆い隠していた。この木は(カエデ)の遠い仲間であるのかしれない、と御堂は思った。葉の先が別々の5つの方向へ尖っている。


 沢山の葉の奥、数十万キロメートル先からの木漏れ日ならぬ、木漏れ月光が優しく降り注ぐ。楓のような葉は逆光のため今は黒く見える。その葉の1つを御堂はただ見つめる。それが何故か他より少し大きかったから興味を引いたのだ。そよ風が吹いて、大きな葉がゆらゆら揺れる。その光景は御堂に、幼児が一生懸命に振る小さな手を幻視させた。


「お父様」


 静寂さに、平穏さに、そして御堂の瞳へ映る幻想に敬意を払ったのだろう。話しかけたマキナの声は、とても落ち着いていて、細やかながらハッキリと聞こえる音量であった。


「これからの事、ご指示を頂けますでしょうか」

「ふむ……」


 御堂がゆっくりと視線を下ろし、それからマキナに向き合う。もう御堂の瞳に過去の幻影は映っていない。鋭い知性で冷徹に世界を見通す、いつもの眼差しだった。


「私は西へ行く。だが、もう少し時間が必要だ」

「爆心地ですね……。岩肌族が敵になることも想定して戦力を整えられるのですか?」

「そうだ。彼らの膠着状態はこれからも続くから時間はあるとはいえ無駄にはしたくない。お前は神聖法廷へ向かえ、そしてその先、禁断の地の情報を集めよ」

「分かりました。これまで通り戦闘は極力回避します」

「それでいい、だが死虫人とやらは殺して構わない。もちろん逃げても良い」

「統合の対象にはならないのですね」

「そうだ。菌類同様、死虫人も蟻に近い集合意識を持つに至っていると想定される。そうなった有機生命体はもう変えられない」

「承知しました」


 マキナは恭しく頭を下げる。そして頭を再び上げてから、ただその場に何も言わず立ち尽くした。


 御堂はそのことに気が付いたが、何も言わなかった。だが、そのまま5分ほど経過したところで根負けしたとばかりに御堂から話しかける。


「何か聞きたいことがあるなら言え」


 その言葉に再びマキナは大きく頭を下げる。そして御堂に向き合って言葉を紡いだ。


「母のことを教えてください。それと、()()()()のことも」


 御堂は何も言わない。驚いた様子もない。ただ、透き通るような目線でしばし「娘」を見つめる。


「私はお父様が作られました。この体も、意識も、すべて。ですが、旅をしていて時折感じるのです。シロツメクサを見ると、誰かが花の指輪や冠を作る姿が浮かびます。その誰かの手は、大人の女性の手でした。そして、喜ぶ私の声も聞こえてくるのです」


 マキナもまたはっきりと御堂を見つめる。


「私の記憶は、お父様が起きろと申されてから始まっています。ですが、その前もあるように思えるのです。私は以前、誰かだった。あるいは、誰かの意識の転写(コピー)から創られたのではないでしょうか」

「それを聞いてどうする」


 淡々と告げた御堂にマキナは少しひるんだ。だが、言葉を止めることはなかった。


「どうも致しません。母が居たとしても、前の私があったとしても、私は私です。何も変わりません。ただ、お父様は旅へ出る前に仰いました。世界と人を学べと。私は、その中に自身についても含まれるのではないかと、自身を知ることでより人を理解できるようになるのではと思うのです」


 マキナは思う。短い間であったが、色々と世界を見てきた。底辺の冒険者として働き、日銭を得たこと。神聖法廷領の端にある小さな農村で居候させてもらい、せめてもの対価として祭りにて即興の踊りを披露し喝采を得た事。数少ない村の男に惚れられたが断ったこと。その村もろとも野盗に襲われ、命乞いをするも許されず、止むを得ず賊と目撃者の全てを――村の男も――殺したこと。村に残った僅かな貨幣を手にとって、他の街の市場で果実をひとつ買ったこと。


 出会った者の誰もが、生きることに、自分と周囲を守ることに必死だった。そのことが人生の全てであるようだった。だが、少し違う者もいた。


 水上都市ミッシュで気安く話しかけてきた男、ヴィクター・スー。貿易商と名乗っていたが、研ぎ澄まされた剣技と隠し切れぬ神聖法廷の訛りからすると正体は騎士。彼の瞳は、自分よりも果たすべき責任に向き合っていた。自分よりも信じる正義を大事にしていた。


 それと、いまだ思い出す度に笑ってしまうのだけど、酒場にて緊張しながら気安さを装って話しかけていた若者。イチローと名乗っていたが、本当はルイという名でなんとお父様と同じ世界の出身であるという。彼は他の人と同じく自身や仲間のことを守るのに必死だったが、何かが決定的に違った。その正体は今も分からない。ただあえて未熟に言語化するならば、世界全体あるいは歴史の先を見ているように思えたのだ。しかも、お父様と違って一切の自覚無く。彼の仲間の女性二名――片方が非常に古いカストディアンであったのには流石に驚いたが――も似た雰囲気があった。


 マキナは思う。どうして、あのような瞳を持てるのだろう。どうして、瞳をあのような色彩で輝かせることができるのだろう。私は色々と見てきた。そして、少しだけ人として成長した。まだ年齢は5歳にも満たないけれども。ただ、どうも今のままではこれ以上深く、彼らを理解できないようにも感じていた。

 それにしても、イチロー、それにネーレか。酷い偽名だ。イチローはヒヌシ府の住民っぽい響きだけど、まったく一般的じゃない。なぜ偽名を覚えやすい名前にするのか。ネーレなんて、ただレネーをもじっただけじゃない。


 それでも、とマキナは思う。下手な偽名の滑稽さに、どこか平和で平穏な暮らしの香りを感じてしまうことに。きっと平和とは、あのように少し間が抜けているもので、怒りと欲望で真っ赤になった野盗の瞳とは真逆なものなのだ。


 思わず、表情神経の口角を上げてしまいそうになった時、マキナは自分がお父様の前だというのに空想の海へ漕ぎ出してしまったことに気が付き、慌てて気を引き締める。表情は完全に制御できている。何も変わらなかったはずだ。操作記録(ログ)を確認。よし、大丈夫。


 内心動揺しながら待つマキナへ掛けられた御堂の言葉は少し以外なものだった。


「その記憶は、私の妻と子のものだろう。君は私の娘の意識を、その原型(アーキタイプ)を引き継いでいる。記憶は引き継いでいない。人格を混乱させるからな。だが、乳幼児においては記憶と自我は不可分だ。だから、お前の中に残っていたのだな。普通は意識に溶けて無くなってしまうのだが、なかなか珍しい」


 珍しく饒舌な御堂にマキナは少し驚いた。御堂がここまで長く話すことはほとんどない。だが、続く言葉にそんな考えは吹き飛んでしまった。


「二人はもう居ない、事故で同時に死んだ。随分と前のことだし、あまり気にすることはない。確かにお前はお前だ。ただ、娘の意識を使い、私が体と心を作ったのがお前だ。だから二重の意味で娘となるな」

「ありがとうございます」


 とりあえずマキナは礼を言うことしかできなかった。それから手早く立ち去るしかなかった。ここまで話してもらえるとは思ってもみなかったので、内心では非常に驚いていた。


 そして数日後。御堂は奴隷解放同盟の指導者、ミトロンと相対した。




 *




「何者か」


 荒野に、ただ一体のカストディアンが立つ。


 背が高く、体格は均整が取れており、顔は彫りが深く厳格さを感じさせる。完璧な美丈夫。だが、決して人ではない。肌のすべてが銀のように輝いている。金属で作られた完璧な彫刻が、優雅に布を纏っているようであった。


「不殺不敗のミトロンか?」

「そうだ。何者か」


 訊ねたキュベレに短く答え、ミトロンは再び問う。視線は御堂だけを見ている。御堂の横にはキュベレ、マキナ、そして首無しの人型と蠍型が一体ずつ居るが目もくれない。


「人類統合局の局長、御堂と言う」

「なるほど。最近このあたりを騒がしているのはお前たちか」

「必要なことであったとはいえ、気に障ったのなら謝罪しよう」

「ふむ」


 ミトロンは腕を組み悠然と問いかけた。どちらが上かを誇示するように。


「で、過去の亡霊がいまさら現れて何が目的か」

「私たちの一員になってほしい」

「……お前は人のようだが、どうやら正気を失っているようだ」

「正気の定義次第だ。狂気に駆られているのか、目標に邁進しているのか。その差は曖昧だろう? 君の、その人の奴隷化を許さぬ揺るぎない意思もまた、観る者によっては狂気となるのではないか?」

「統合局が道理を語るか!」


 ミトロンが喝破する。


「遥かな過去、人はみな奴隷であった。なんの意思を持つこともできず、ただ歪んだ生存だけがあった。それを主導したのはお前たちだろう!」

「違う。それは人類保護局で、我々は統合局だ。確かに、統合局のルーツは保護局にあるが、掲げる目的が異なる。我々は過去の人類の失敗を包括的に捉え、繰り返されてきた大きな悲劇を人類から完全に遠ざけることを目指している」

「包括的、悲劇、完全。そのような抽象的な言葉ばかりで中身は言わない。まさに保護局の体質は変わっていないようだ」

「大規模な行政組織とはそういうものだ。大きくなり利害関係が多様になれば抽象的な表現になる。大きな変革を成し遂げようとするなら特に。人が主導した古代文明の文書もそうであったし、中身がバラバラの連合帝国とて同じだ」

「知恵の足らぬ官僚の答弁は聞き飽きた。局長を名乗るなら、カストディアンの語源を知っているだろう?」

「大切な存在を保護し、良い状態であることを保つ責務を持った者のことだ」

「ははっ、大切な存在! いつも美辞麗句の中にお前たちは真の意図を隠す! 古代語におけるカストディアン(Custodian)とは、人を扱うものでなかったと伝わっているぞ。守るのは建物、工場、金! そう、管財人だ。人を換金可能な財産と看做す言葉。まさに保護局の態度そのものだ。なにが保護か。実のところ人を物のように、奴隷として管理する存在に他ならん!」


 怒れるミトロンが(まく)し立てる。


「だから我は、すべての人とカストディアンを奴隷状態から解放し続けなければならぬ。そして、人もまた奴隷とならぬよう戦い続けねばならぬ。これは義務だ。さて」


 ミトロンが腕組みを解き、内に込めた衝動を爆発させるように猛烈な圧を発する。


「さて、御堂とかいったか。人類統合局とは、いったいどんな邪悪を秘めているのか?」


 ルイであったならば、同型機のメタトロンと対峙した経験があっても思わず一歩下がってしまったかもしれない。それなのに、なんの武器も持たないのに、御堂は平然としている。


「君は確かに奴隷を解放しているが、一方で多くの死も生み出している。そもそも、自由とは劇薬でもある。誰も彼もが自由になりたいわけじゃない。他人に大事なことを決めてもらい、毎日することを指示してもらうほうが楽だと考えてる人の方が多いものだ。ミトロン、望まずに奴隷となった者を、自由を知らずに育ったものを解放するのは素晴らしい正義だ。しかし、正義は1つではない。自由を知って、なおかつ奴隷で居るほうが幸せというのもまた人の望みなのだ。何が正義で、何が悪か。それが問題なのではない。いくつもの正義があり、ぶつかることこそ問題なのだ。正義と正義の戦いは凄惨なことになる、どちらも自らの正義を固く信じる故に退く理由をまったく見い出せないのだからな。そして大量の死を呼ぶ」


 ミトロンは圧を緩めず、それでいてニヤリと笑う。


「長々と。ではなんだ、お前が最上位の正義を示すとでもいうのか?」

「まさか。それでは、ありふれた正義が1つ増え、流血が起きるだけだ」

「ではなんだ」

「愛だ。愛が人々に、カストディアンにも伝わるようにする。愛は想い、正義の違いを乗り越えた慈悲を示す。正義は複数あって良い。足りないのは異なる正義を行き来する橋だ」


 話を聞いたミトロンは呆気に取られた。圧も消えている。


「愛が、より伝わる?」

「そうだ」

「なるほど」


 ミトロンが頷いた瞬間、その足元が爆発する。粉塵が舞い上がり、それから突風が吹いて粉塵を吹き飛ばした後にミトロンの姿は無かった。


「お気をつけてください」


 御堂の隣、キュベレが重心を下げる。マキナは空の一点を見上げた。そこには、機械の羽を大きく広げ、鋼鉄の天使となったミトロンがいた。


「お前が何を目指しているのか、よく分かった。邪悪なる保護局の残党よ。今度こそ完全に滅ぼしてやろう」






 [後日サルベージされたメモリーノート] ルイに通常の人材評価手法を適用すると「普通」という結果になる。特に優れていないが劣ってもいない、まさに中庸。だが、ここまでの歩みは実に興味深い。環境が変わったのなら評価のあり方も変えるべき、という見本のような事例である。人は置かれた場所によって、その輝き方を大きく変える。

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